第28話 離れないでね?
屋根からひとけのない裏道に下り、明るい場所を目指して建物の間を歩きながら、リーズロッテは二、三度隣を歩くジェラさんを見上げた。
(ジャスティーンで美形は見慣れているつもりでしたが、本当に、ため息が出るほど綺麗……)
魔法使いとしての異様な空気をうまく隠しているらしく、威圧感こそないが、すれ違ってその顔に目を留めれば、誰しも彼が「普通」ではないと気づくだろう。
長い睫毛に縁取られた翠の瞳は、宝玉のような煌めきを湛えている。その顔の造形は、あまりにも整っているがゆえに、人ならざる天使のような清らかさを思わせた。
口を開かず、黙っていれば、彼は禍々しさとは無縁なのだ。
黙っていれば。
「腹減ったなぁ。何食おう。リズは何が食べたい?」
リーズロッテの華奢な手を不意に強く握りしめて、笑いかけてくる。
途端に、完璧すぎる美貌がやんちゃな崩れ方をして、凶悪な魅力がダダ漏れになった。
「何が……あるんですか?」
見とれていたことに気づかれていないか、ドキドキしながらリーズロッテはなんとか聞き返す。
街路樹にランタンの明かりが連ねられていて、まだらに落ちてくる光の下を、ざわざとひとが行き交っていた。
声が届くように気遣ったのか、ジェラさんはリーズロッテに顔を寄せながら、楽しげに囁く。
「祭りだからいろいろあるよ。俺は串焼きの肉が好き。揚げパンとかシチューもいいな。熱いのは苦手だけど。リズは甘いのが良い? お菓子もたくさんあるはず。全部食おう」
話しながらジェラさんは、リーズロッテとつないだ右手を離さぬまま、左手をリーズロッテの右肩に伸ばして軽く抱き寄せる仕草をした。
自然と向き合う形になり、驚いてリーズロッテが見上げたところで「ぶつかりそうだったから」と、通り過ぎた男に視線を流す。
酔っ払いらしく、足元が覚束ない様子で人混みにまぎれていく後ろ姿。
「危ねぇな。今日、ああいうのが多いと思うから、俺から離れないでね? 離れられると、俺も魔法使えなくなるし、猫になるから」
「ああ、そうでしたね」
リーズロッテは、無邪気に片目を瞑ってみせたジェラさんを、苦笑しながら見つめる。
(人間の男性の姿で笑顔を向けられると、なぜかすごく心臓が痛くなるんですが、この方は猫なのでした。猫にならないために、わたくしの魔力を必要としているだけで)
だからこの手を離さないんですよね、と自分に言い聞かせる。
まるでそのリーズロッテの考えを見透かしたように、ジェラさんは笑みを深めて「リズ?」と一段低い声で呼びかけてきた。
「俺の話ちゃんと聞いてる? 勝手に端折って理解したふりをしないで欲しいんだけど、俺がいまリズと繋がっているのは、魔力がほしいからだって思い込もうとしてない? 違うよな? 俺はリズのことが好きで一生ものの
笑っているのに、妙に空気が研ぎ澄まされていて、鋭い。
リーズロッテは、笑顔をこわばらせて聞き返した。
「泣く……ですか」
「にゃあん♪」
良い声で鳴いたジェラさんは、リーズロッテの手を引くと「よし、さっさと行こう」と何事もなかったように歩き出す。
(……!!??)
心臓が、痛い。死ぬかもしれない。
リーズロッテは、空いた手で心臓の位置をそっと押さえながら、ジェラさんに引きずられるようにして、明るい広場へと向かった。
立ち去る二人をつかず離れず追いかけながら見舞っていた三人組は、揃って難しい顔をする。
「審議中」
アーノルドが代表して呟き、ジャスティーンが「もう見ていられないよ、止めてくる」と言いながら早足で近寄ろうとした。
背後から、アーノルドとマクシミリアンが同時に左右の肩に手を伸ばして、引き止める。
「気持ちはわかるが、あれは純然たるデートだ。いかがわしいこともしていないし、手を繋いでいるのもエスコートの範囲内に見える。ここで二人の間に突っ込んで行ったら、俺たちは空気を読まないだけの、ただのお邪魔虫という奴だ」
「はなせアーノルド。虫でも蛇でもカエルでも構わない。俺は、あの二人の邪魔をしたいんだ」
正直すぎるジャスティーンの言葉に、メガネを指で押し上げながらマクシミリアンがため息をつく。
「さすがにそれは見過ごせません」
「そうは言うけどな。あっ、だめだ、このままだと見失う」
言い合っている場合ではないと気づいたジャスティーンが、二人の去った方角へと視線をすべらせる。
そのとき、視界に違和感が入り込んできて「ん?」と小首を傾げた。
「どうした?」
「いま何か……。なんだろう。二人の後ろに何か、尾行しているみたいな動きの人影があったような……」
「ジェラさん、あの美貌ですからね。誰か釣り上げたんじゃないですか?」
マクシミリアンが混ぜっ返すように言うも、ジャスティーンは腑に落ちない表情のまま。
即座に、アーノルドが判断を下した。
「違和感は大事だ。何かあってからでは遅い。俺たちも、このまま二人の尾行を続行しよう」
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