第15話 猫だよ

 身の毛がよだつとはかくやという、凄まじい悲鳴が上がった。

 光の一撃を見舞われた男は、叫びに続いて口から苦痛の呻きをもらし、足は完全に止まってしまう。

 リーズロッテを抱える腕からも、力が抜けた。


(落ちる)


 ひゅっと息を飲み込んだ瞬間、別の腕に掴まれた。

 あっという間に、しっかりと抱え直される。

 暗いローブの、長身の人物。固い腕にとらわれ、胸に抱え込むように抱きしめられて、リーズロッテは硬直してしまった。相手を確認するどころではない。


(生きてる。このひと、実体がある)


 触れ合った部分から、鼓動が伝わってくる。

 リーズロッテを抱えたまま、そのひとは店の奥へと歩き出した。

 やがて、アーノルドや「エルさん」と酔客たちで入り乱れていた一帯にたどり着くと、リーズロッテをそっと床に下ろした。待ってて、と歌うほどに楽しげで優しい声が耳のそばで聞こえた。

 リーズロッテは顔を上げて背の高いそのひとを見上げる。


 まさにそのとき、そのひとは荒れた現場を確認するように首を巡らせてから、フードをはだけさせた。


 乏しい灯りの下、黒とも紫とも見える艷やかな髪から鋭角的な顎までがあらわになった。

 衆目に晒されたのは、あまりにも奇跡的な造形美。

 長い睫毛に縁取られたまなざしは憂いを含んで、壮絶な色香を漂わせていた。鼻筋はすらりと通っていて、口元はいつかリーズロッテが夢で見たとおり。形の良い唇が、うっすらと笑みを浮かべている。

 見る者を圧倒する、ひとならざる美形。


(綺麗……)


 吸い寄せられたように目を離せなくなったリーズロッテの目の前で、出し抜けにそのひとは口を開いた。


「三秒以内に出て行かないと全員殺す。ちなみに俺は殺したいので、出て行かないことをすすめる。一。

二」


 陶酔を誘う美声に打たれたように立ち尽くしていたリーズロッテであったが、相手がとんでもないことを言っていることに遅まきながらようやく気づいた。


(全員? 全員ってどういうこと? まさか、店ごと吹っ飛ばす気!?)


「三。よし、全員死ね」


 鮮やかな笑みを浮かべて、宣言。

 ほぼ同時に、リーズロッテは相手の足を掴んで訴え出た。


「待って、店員さんは殺さないで」


 ああ? と聞き返されたが、リーズロッテはここは譲れないとばかりにいっそ必死になって足にしがみつく。

 そうして触れ合っていると、不思議な交感があって、リーズロッテの願うままに彼の魔力を抑え込めている感覚があった。

 錯覚だとは思うのだが。

 いまはその感覚を頼りに「やめて」の気持ちを、伝えようとする。


 少し間を置いて「ああ」という返事があった。

 そのひとはリーズロッテの髪を振れるか触れないかの優しさで軽く撫でてから、アーノルドたちと会話を始める。

 お前らは殺さない、と。


(や、やっぱり。無差別に殺す気だった……!) 


 危なすぎる、と肝を冷やしたリーズロッテであったが、エルに何者かと問われたそのひとは朗らかに答えていた。


「俺だよ、俺。お前らの言うところの猫だ。それで、誰を殺せばいいんだ? 手元が狂うと殺し過ぎるから指示は正確にな」

「ジェラさん……」


 アーノルドが諦観をのせた声で呟いた。


(「猫」で「ジェラさん」ということは……)


 リーズロッテが見上げると、見下ろしてきた相手とばっちり目が合ってしまった。

 どこからどう見ても人外の美貌を誇るその男は、ひどく愛想よく「俺だよ」と言って笑みを浮かべていた。


 * * *


 酔客を店から叩き出した後、怪我をしてしまい、仕事をするどころではなくなったエルとジェラさんと、三人で食事をすることになった。


(言いたいことはたくさんあるんだけど……。後で)


 やはりエルは学校の生徒で、今まで「魔力」があることを隠していたとのこと。

 明らかに、ひとの姿になった「聖獣」ジェラさんに何か言いたそうにしていた。

 リーズロッテにもそれはよく伝わってきたのだが、美青年本人に「聖獣……?」と尋ねても「にゃーん」と返されてなんの収穫もなく終わってしまうという有様。


 かといって、エルの前で込み入った話はしたくないというのも本音ではあった。

 正直に言えば、緊張していたというのもある。

 つい先日まで自分を口説いてきていたり、ベッドを分け合っていた「猫」が、成人男性の姿で現れてしまったいま、対処しかねているのであった。


(猫じゃなくなってしまったジェラさんと、どう付き合っていけば)


 戸惑うリーズロッテに対し、ジェラさんは「俺は『聖女』には逆らえないから、何も悪さはしない。心配しないで」と見透かしたように囁いてきた。

 なお、食事後迎えにきたジャスティーンは、ジェラさんを見てもあまり動じることなく、それどころか余裕たっぷりに喧嘩を売っていた。


「誰? 顔の造形に気合入り過ぎて、見るだけで目が痛いんだけど。こっち見ないでくれる?」


 ジェラさんもそんなジャスティーンの態度を咎めることなく、胸を張って言う。


「まあ、なんだ。リズの護衛は今後俺に任せろ。学校からここまでの送り迎えも、なんだったら学校での生活も。全部」

「リズ、この顔面凶器は何? 変なこと言っているけど、リズはどう考えているの?」

「とりあえず、私の力には逆らえないそうなので、心配はいりません……」


 それを言うだけが精一杯のリーズロッテに対し、ジャスティーンは「魔法関係なら俺は手を出せないけど。見た目、男みたいだから貞操には気をつけて」とご丁寧な忠告をくれて、リーズロッテを大いに焦らせた。

 そのまま結局、一緒に寮まで帰ることになってしまった。


「リーズロッテの護衛、手が回らないときもあるから、日中もついていてくれるなら助かるけど……その姿は目立つな」


 帰り道、ジャスティーンが考えながら言うと、ジェラさんは「大丈夫、普段は猫で」と言って、瞬く間に猫の姿へと変身を遂げる。


「へえ。本当にジェラさんだったんだ。猫のほうが可愛いよ」


 ジャスティーンは感心しきりで、寮についてからもジェラさんが当然のようにリーズロッテの部屋についていくのを特に咎めることはなかった。

 そうして、結局部屋まで猫を連れてきてしまった後に。


 ドアを閉めて、ジャスティーンの足音が遠く去っていくのを聞いた後、リーズロッテは溜息をついて部屋の中を振り返る。


 そこには、人の姿になったジェラさんが微笑みながら立っていた。


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