第6話 外の世界へ

 アーノルドとジャスティーンに左右から守られて、リーズロッテは屋敷の正面玄関から一歩外に踏み出す。

 吹き付けてきた風に、息が止まった。

 その瞬間は、日差しが眩しいとか、空気が美味しいとか、そんなことを考えている余裕もなかった。


 こんなにも今日は風が強い日だったんだ、とだけ思った。


(外の世界に出たくらいで、感動なんかないわ。「幽閉」「軟禁」なんて言うけど、わたくしはべつに、何もかも禁じられていたわけじゃない。前庭に出ることは、自由だった)


 開けた空間に、どこまでも続く空の下、一直線にはるか先まで伸びる道。

 左右にはオブジェのように刈り込まれた緑の植込トピアリーや、幾何学模様を描くように整えられた花壇が整然と並んでいる。

 ふっと晴れ渡った青空を見上げて、リーズロッテは目を細めた。


(必要以上に、家族をはじめとした、身の回りのひとを憎まないようにしなければ。関係性がおかしくなったのは、成長が止まって二、三年してからのこと。それまでは、わたくしも、きちんと家族の一員だった)


 自分の身の内で蠢く「何か」に、言い聞かせる。

 こんな家、二度と帰ってくるものかという思いを抱かないように、心を落ち着かせる。


(もし本当にわたくしに大いなる魔力があるのなら、恨みや憎しみに染まった人間になってはいけない。その暗い望みを叶えようと、願ってはいけない……!!)


 いつの頃からか、感情が走り出そうとする瞬間、そう考えて強く自制するのが習い性となっていた。


「リズお嬢様、お久しぶりです」


 呼びかけにつられて視線を正面に戻すと、白く塗られた公爵家の四頭立て馬車のそばに、銀髪に眼鏡の男性が立っていた。


「マクシミリアン様もいらしていたんですね」


 宰相ロレスリーの息子で、アーノルドたちの学友。

 生真面目そうな顔立ちで、一見細身であるものの、肩が広く筋肉質な印象を受ける。王子のお目付け役と護衛を兼ねていると聞いていたが、さもありなんであった。

 マクシミリアンは、小ぶりの旅行鞄を軽く掲げてみせた。


「お嬢様のメイドさんが、荷物を詰め合わせてくれましたよ。サリーさんという方です。お嬢様のことを、心配していました。よろしくお願いしますと、よくよく託されました」


 ほんのりと、唇に笑みを浮かべる。怜悧な印象が和らぎ、親しみやすい表情になった。

 リーズロッテは、思わず出てきたばかりの屋敷を振り返った。お礼を言いたい相手の姿は当然そこにはなく、心の中だけでありがとうと言う。

 そのリーズロッテの前に回り込み、アーノルドが風に黒髪を靡かせながら微笑みかけてきた。


「さて。こうして首尾よくさらってきてしまったわけだが。リズ、思い残すことはない?」

「大丈夫です。一生の別れのつもりはありませんから。少し家族やこの屋敷と離れたかっただけ」

「うん、そうだね。リズは思うところもあるかもしれないけど、今すぐその感情に名前をつけなくても良い。心の底から決別を願わない限り、すれ違ったひととわかりあえることもあるよ。生きているって、そういうことだと、俺は思っている」


 さらりと言って、アーノルドはリズの横を通り過ぎる。馬車の方へと向かって歩き出したが、遠くから響いてくる音が気になったように体を横に傾けた。

 一直線の道をたどって、もう一台の馬車が向かってきたところであった。


 * * *


「ヘイレン伯爵家の、デヴィッド・ヘイレン様だと思います。今日の午前中、約束があるとお父様が言っていました」


 リーズロッテが告げると、アーノルドがジャスティーンに視線を滑らせた。鋭い眼差しで、声を低めて言った。


「レイザー商会だな。ヘイレン伯爵家の名前は出していないけど、いま王都周辺を中心に、かなり手広く商売をしているはず」

「手広くというのが、『悪どく』という意味ならその通りだね。良い噂は聞かない」


 二人の会話に耳を傾けていたマクシミリアンが、リーズロッテに目を向けた。


「用件はご存知ですか」


 三人の空気が一様にひりついたものになったのを感じ取り、リーズロッテは両手を握りしめて答える。


「クララと婚約したの。まだ公式に発表はしていないけど。それで取り急ぎ家族に挨拶に来ると、朝食の席で聞いたわ」

「ずいぶんな年齢差だ。結婚はだいぶ先になるだろう。クララはともかく、相手は成人しているのに待ち続けると?」


 即座にジャスティーンが呟く。

 リーズロッテは眉をしかめて、言葉を詰まらせつつ続けた。


「最初は、わたくしに縁談があったそうです。ただこの体だからと、お父様がクララへ……」

「わかった。リズは馬車に乗って。ここは俺が対応する」


 アーノルドが、ジャスティーンとマクシミリアンに目配せをする。ジャスティーンは、目を細めて前方を見た。

 

「当家の馬車だ。私もいた方がいいだろう。リズはマックスと先に乗って、待っていて」


 ジャスティーンに急かされて、リーズロッテはひとまず頷いた。マクシミリアンの手を借りて馬車に乗り込む。

 そのすぐ後に、もう一台の馬車が止まる音がした。

 ドアをぴたりと閉じてしまったので、外の会話がくぐもってよく聞こえない。


「二人は何を警戒していたの?」


 車内とはいえ、ゆったりと余裕のある空間。

 向かい側に座ったマクシミリアンに対し、リーズロッテは小声で尋ねた。

 ドアの方を窺うようにしていたマクシミリアンであったが、すぐにリーズロッテに顔を向けて、穏やかな調子で答える。


「ヘイレン伯爵家のレイザー商会には、何かと黒い噂があります。そのひとつに『魔法』を信奉する組織と繋がりがある、というものも。組織に関して、リズお嬢様は聞いたことはありますね?」


「注意は促されているわ。仮にも『聖女』と過去に喧伝されているから」


「はい。かつてこの世界には、光や炎、風や水を生み出す強大な魔力を持つ魔導士たちがいました。しかし、時代が下った現在、『魔力』を持つ者が殆ど生まれなくなり、いまや『魔法』を使える者はごく少数。使えたとしても、ほとんどが実用性のない、弱いものばかり。自分が魔力を持つと気づかないで一生を終える者もいるほどで、魔法に関する研究も急速に廃れている。それが現在の状況では、ありますが」


 マクシミリアンの言わんとしていること。「わかっていますわ」と、リーズロッテは頷いてみせた。


(神秘の力としての「魔法」に、憧れを持つ者が根強くいるのも事実)


 魔法を使いたい、使えずとも身内に使える者が欲しい。「魔力を持つ人間」に関しての情報を裏で取引し、付け狙っている組織があるというのは、ずっと言われており、たびたび、それらしい被害報告も上がっている。

 特に狙われるのは、若い女性。子どもを産ませるため。「魔力」に関しては現在に至るまで発現条件が突き止められてはいないが、「血筋」ではないかと考える者も多いためだ。


「もしランパード家に婚約の打診があり、それがリズお嬢様宛だっというのなら、『その意味』で狙っている恐れは十分にあります。一旦クララ嬢で了解したふりをして、家同士でつながりを持ちつつ、リズ様を狙ってくるかもしれません。ここは、無駄に顔を合わせない方が懸命でしょう」

「そんなことを言っても、わたくしは子どもを産めるような体では」


 曖昧に濁したリーズロッテを見つめて、マクシミリアンは誠実そうな態度を崩さずに頷いた。


「リズお嬢様がそのご年齢のお姿で『一時的に成長を止めている』のは、そういった相手からお嬢様ご自身を守るためかもしれません。現に、それを理由に今回、裏がありそうな縁談を逃れられています。ただし『その体に、妊娠や出産の無理をさせられない』と考えるのは、良識ある人間だけです。不用意にお姿をさらして、相手の興味をひくのは得策ではありません。あまり脅したくありませんが、ご理解いただけると幸いです」


 言い終えてから、マクシミリアンは軽く咳払いをして、大変言いにくそうに続けた。「狭い車内で、男女二人きりなので、これ以上の直接的な表現では申し上げられません」と。

 ぼんやりとその顔を見ていたリーズロッテは、思ったままに呟いた。


「クララは大丈夫なのかしら」


 マクシミリアンは力強く二、三度頷いて、しっかりとした口調で答えた。


「殿下とジャスティーンがこの件をいち早く把握できたのは大きいです。私も尽力を惜しみませんので、あまり心配なさらないように。必ず、悪いことにならないように対応します」


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