第4話 伯爵家のお客様
クララが部屋に戻ると言うので、ドアまで見送りに付き添い「おやすみなさい」と送り出した。
ドアを閉めて、足音が遠ざかっていくのを確認する。
リーズロッテは、そのままゆっくりと崩れ落ちるように床に両膝をつき、へたりこんだ。
この家では誰も彼もが悪意のない顔をして、上品な口調で、信じられないくらい無造作にひとを傷つける。
(不思議ね。いつもあんな会話をしていて、気づかないものなのかしら。クララはお父様やお母様に恨みを抱くことはないの?)
両親が、二人の娘にことさら差をつけて育てているとは思わないものの、うまくやれているクララが不思議でならない。鈍感力のたまもと言うべきか。それとも、自分が気にしすぎるのだろうか。
(わたくしは、いつも顔が強張ってしまって笑えない。それが「不機嫌を露骨に態度で表現する」と言われて、両親からは嫌がられてきたわ。そんなわたくしを見ていたから、クララの立ち回りはわたくしとはまったく違うのかしら。天真爛漫で誰からも愛される……、両親にも大切にされて。そもそも周りのひとの言葉を「嫌だ」と思うのは、わたくしの問題なの? わたくしが狭量だから? 小さい体と同じように、心の容量まで?)
馬鹿なことを考えてしまった、とリーズロッテは首を振る。
とはいえ、傷ついたと訴えようものなら、眉をひそめて「誰もあなたを傷つけるつもりはなかった」と言われのは目に見えている。
或いは、「体が成長しない焦りから卑屈になっていて、被害妄想が甚だしい」と呆れられるのかもしれない。
なにしろ、自分以外の家族は「互いに愛し合っていて、うまく行っている」と信じているのだ。
居場所が無いように感じているのは、リーズロッテだけなのであり、家族からしてその原因はリーズロッテの中身にあると思われていても何も不思議ではない。
リーズロッテはのろのろと立ち上がり、やわらかなルームシューズで絨毯を踏みしめながら、天蓋付きのベッドへと向かった。
真っ白なフリルやレースで縁取られたベッドスプレッドの上に、身を投げ出す。
仰向けになると、小さな手をかざして、じっと見つめた。
(わたくしの家族は、本当に善良なのかもしれないわ。疎んじられているように感じているのは、わたくしに原因がある。この成長しない体。両親でさえ持て余してしまっている。「普通」ではないから、クララと同じように愛することが……、愛しているふりすら難しい。わたくしが「普通」なら、家族でぎくしゃくとした会話をすることもなく、クララも素直にわたくしに懐き、互いに思いやりをもって接することができたのかもしれない。どうして)
わたくしは、いつまでも、子どものままなのかしら。
長い悪夢を見ていたというのならそれでもいい。
朝起きたら、十五歳の体に成長していて、家族が仲睦まじくなっていればいいのに。
その晩、泣いているうちに、眠りに落ちてしまった。
目覚めたときにも、手は小さく、体は子どものままだった。
* * *
朝食の席で、父である伯爵が突然に言った。
今日はこのあと、午前中にデヴィッド・ヘイレンが訪ねてくる、と。
「ずいぶん忙しいらしくてね。ゆっくりと晩餐に招こうにも、まだ日取りが決められていないのだが。取り急ぎ、家族と顔合わせをしておきたいと。時間はそんなに長くないはずだ。恥ずかしくない格好でお出迎えをするように。今後長い付き合いになるのだから」
「お父様。聞いていません」
白磁に薄紅色でバラの描かれたカップでお茶を飲んでいたリーズロッテは、固い声でそう言った。
ちらりと並びに座ったクララを横目で確認する。
朝からすでに、髪に花を編み込んで複雑に結い上げ、柔らかなピンク色を基調にした新しいドレスに身を包んでいた。袖や前身頃、スカートのドレープにもたっぷりとレースがあしらわれており、可憐さが際立つ。
(ずいぶん気合が入っているから、何かあるのかとは思っていたけれど。どうしてわたくしには、教えてくれなかったの? いつもいつも後回しで)
リーズロッテは、膝に手を置き、うつむく。
伯爵はそんな娘の様子を気にすることもなく、鷹揚に言い放った。
「今日の主役はお前じゃない。だらしない姿を見せなければそれでいい」
言い終えてから、ふとリーズロッテの姿に目を向け、聞こえよがしな溜息をついた。ただでさえその体なのだから、と小声で呟いたのが聞こえた。
リーズロッテは、きゅっと小さな手を握りしめる。
(わたくしはこれまで貴族の娘として、だらしない姿でお客様の前に出たことはないです。恥ずかしい格好も覚えがないわ。もっとも、身なりの問題ではなく、この「成長しない体」が他人の目に触れさせるべきではないというのなら、どうしようもありませんけど)
せめて、クララと同じタイミングで来客の件を教えてもらえたなら、ドレス選びから時間をかけることができたのに。
両親は気づいていないが、ここ数年屋敷のメイドにすら「伝染る病気なら、怖い」と避けられてきたリーズロッテである。着るのにテクニックを要するドレス以外は、自分でさっさと身につけるのがすでに習慣になっていた。
そのため、普段は長い黒髪は背中に流したままで、簡素なワンピース姿でいることが多い。
だが、外向きに正装が必要なときはきちんとメイドたちにお願いを申し出て、対処してきた。
来客があることを教えてもらえてさえいたなら、髪もドレスも、貴族の娘として恥ずかしくないように整えたのだ。
「お姉さま? もし気が進まないなら、体調を理由にお部屋で休まれていても大丈夫だと思いますわ。デヴィッド様は、お姉さまではなく、私やお母様にお会いにくるのですから」
沈んだ表情になったリーズロッテに対し、クララが思いやりに溢れた優しい口調で囁く。
(……悪気なんてない。この子は、今から髪や服装を整えても、お客様のお出迎えには間に合わないわたくしを気遣って言ってくれているの)
“お姉さま。部屋から出てこないでくださいます?”
そんなふうに聞こえてしまうのは、自分の心の問題なのだ。
目を瞑り、苦いものを飲み下して、微笑んで返事をしようとした。そのとき。
お仕着せに身を包んだ老齢の執事が、食堂に現れた。
「旦那様、お客様がお見えになっております」
いつもどおりの慇懃さであったが、声には緊張が滲んで、張り詰めている。
余裕を持ってお茶を飲み干した伯爵は、ちらりと銀髪の執事に視線を向けて「早いな」と呟いてから続けた。
「時間まで待たせておくように。手厚く遇する用意もあるが、下手に出るつもりはない。遅刻は無礼だが、早すぎるのも問題だ」
「それが、ヘイレン様ではないのです」
「ならばなおさら後だ。今日は他に約束もない。飛び込みの客など」
執事は顔を強張らせ、視線をさまよわせながらリーズロッテを見た。
目が合っても、何を言わんとしているかわからず、きょとんとしてしまう。
そのリーズロッテを見たまま、執事が告げた。
「第三王子のアーノルド殿下と、公爵家のご令嬢のジャスティーン様です。寄宿学校の休暇を利用して、ここ数日公爵家で過ごされていたのだとか。学校に帰る前に当家を経由することにしたということで、公爵家の紋章の入った、四頭立て馬車でお見えになっています。用事があるのは、リーズロッテお嬢様だと」
それまで黙って聞いていた伯爵やクララ、伯爵夫人の視線が、いっせいにリーズロッテに向けられた。
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