第7話

ユエルウサギが森の奥へと消えてから間もなく、冒険者たちはユエルウサギの逃げた方向と足跡などを頼りに足を進めていた。

踏みならされた獣道のような痕跡が続いており、ところどころ木の皮が削り取られている。鷹志は気乗りしなかったが、男の行方も確認しないわけにもいかず、後ろからそろそろとついていった。


「見て…あれ」


見つからない様に距離を取りつつ、ミレーヌが指差した先には薄暗い林の切れ間に、わずかに開けた空間があった。

そこで、白銀の毛並みを輝かせたユエルウサギが一匹、ぬめるように地面を這いながら何かを抑え込んでいた。


「……あれ、まさか……」

鷹志が恐る恐る歩を進める。


その“何か”は……例の男だった。


かつての人間らしさは消え失せ、無残な姿となった男が、地面にぐったりと倒れていた。体には無数の引っかき傷と、花粉と思しき黄色がかった痕が斑のようにこびりついている。


ユエルウサギは興奮状態にあるのか、その男の体の上を跳ねるように動き回り、時折鋭い爪で突き立てては小さく鳴いた。


「っ……う、うえっ……!」


鷹志はその異様な光景に思わず口元を押さえた。胃の奥から込み上げるような吐き気が襲い、膝が震える。


冒険者一同も顔をしかめる。


男の目は見開かれたまま、どこも見ていなかった。だが、口元は微かに笑っているようにも見える。

それがさらに気味悪く、鷹志の背筋に冷たいものが走った。



幸いイレギュラーの男の再乱入は無いだろうからこのまま先のユエルウサギをどう討伐するか話合いの議論をユエルウサギを刺激しないように少しばかり離れて作戦を考える事に。


「……まさか、ここまで危険な個体だとはな」

グレンが地面に枝で地図を描きながら険しい表情を浮かべる。


「花粉の影響も予想以上だわ。あれ、長時間浴びたら思考に異常をきたす可能性すらある」

ミレーヌは布で口元を覆いながら、周囲の遠くを見つめ警戒している。


「問題は、仕留めるタイミングと場所。動きが速すぎる。しかも知性がある節もある……ベストなタイミングでの奇襲じゃないと無理だ」


三人の間で緊張感のある議論が続いていた。だがその輪に、鷹志の姿はなかった。


彼は少し離れた岩陰に腰を下ろし、小さく身を縮めていた。衣服は相変わらずボロ切れ。頬には疲労と寝不足の影が濃く、口を結んだまま、時折ちらりと冒険者たちを見やる。


(……ああいう時、俺には何もできないんだよな)


少し前まで、ブラック企業の社畜だった。業務マニュアルとタイムカードが世界のすべてだった鷹志には、剣も魔法も、戦略もなかった。


話し合いの内容も、専門用語や難しい言い回しが混ざり、言語の理解が追いつかない部分も多い。


しかし、今の身にはそれに抗う術もない。

冒険者たちが真剣に作戦を立てているのはわかる。だからこそ、自分の素人ぶりが痛いほど突き刺さった。

せめて自身の電マが使えたらもう少しだけ助けになりそうな物だがアレは大分異質過ぎる。下手したら自身が珍獣扱いされて討伐されかねない。


(……せめて、邪魔だけはしないようにしないと)



そんな彼に気づいたのか、ミレーヌが一瞬だけ視線を向けたが、すぐに議論に戻っていった。



鷹志は再び遠くの森の中を見つめた。

その奥に、あの異様なウサギが潜んでいる。自分が関わってしまった命の連鎖――その結果はまだ、終わっていなかった。


森の空気が徐々に重く、湿り気を帯びているように感じる。鷹志は、先ほど嗅いだ“あの花粉の臭い”が微かに漂っているような気がして、立ち止まった。確証はない。けれど、何かが引っかかる。


「ん?……あっちから臭いがする様な」


ぽつりと呟いた鷹志に、冒険者たちは眉をひそめた。“バルト”は目だけで問いかけてくる。



「ん、何か感じるの?」


「……あの、さっきの花粉みたいな……臭い、が。なんとなく、ですけど」


「“なんとなく”で動けるほど俺たちはヒマじゃねぇんだが」


ガルドが苦々しく呟く。が、背後のミレーヌが小さく肩をすくめて言う。


「でもあのウサギ、わたしたちの罠は全部避けてた。足跡も薄いし、どこ行ったか分からなかった。だったら……その嗅覚、試してみる価値はあるんじゃない?」


グレンが腕を組み、森を見渡した。そして、ふっと息を吐いた。


「……信じてみるか。道案内、頼めるか?」


「え、えぇ!? あ、はい……」


ボロ布一枚をまとい、情けない外見ながらも、どこか妙な観察眼と鼻の利きを持っている鷹志は、気配を頼りに森の中を進む。すると、次第にその“感覚”が濃くなっていく。


やがて、草を押しのけた先に、踏み荒らされた地面、そして木々に残る掠れた爪痕が見えた。


「……ここ、通ったんだ。間違いない」


鷹志の言葉に、グレンが小さく頷き、冒険者たちは一気に警戒態勢に入る。


「作戦を再確認するぞ。鷹志、ここからは下がっていろ。巻き込まれたら命がない」


「わかってます。……でも、何かあったら、また臭いで追えます。俺、後ろで待機してますから」


「それで十分だ」


そう言って、冒険者たちは森の奥、ユエルウサギの気配へと消えていった。




森の静寂が、一瞬にして張り詰めた空気に変わる。


鷹志は木の陰に身を隠しながら、弓を引く音、斧を握り直す気配、そして「近い...」という微かなミレーヌの声を聞き取った。視線の先、茂みの向こう――木漏れ日の中を、白く滑るように駆ける影があった。


ユエルウサギだった。


ぴくり、と耳が動く。大きく、丸い目があたりを見渡し、まるで思考しているような仕草を見せる。かすかに花粉が舞い、森の空気に独特の甘ったるさが混じる。


「来る……!」


ミレーヌが声を抑えて矢を番えた瞬間、ユエルウサギの身体がまるで弾かれたように跳ね、次の瞬間にはガルドの正面に突撃していた。あの巨体が一瞬で姿をくらますような速度――鷹志は思わず息を呑んだ。


「うぉおっ……!! こいつ、速ぇ!!」


ガルドの斧が振るわれるが、空を切る。ユエルウサギは地面を蹴って側面へ回り込み、攻撃の隙を狙う。だがその間に、ミレーヌの矢が正確にその動きを読んで放たれた。


ビシュッ!


だが――弾かれた。


「あの毛並み、まさか……矢が通らない!?」


「皮膚じゃない、花粉だ。まとった花粉が防御になってる!」


グレンの言葉に鷹志は驚いた。まるであの生物が、自分の花粉で防御膜のようなものをまとっているかのようだった。


「囲め!」


「了解!」


冒険者たちが連携し、挟撃の形を取ろうと動く中――鷹志はふと、また“あの臭い”を強く感じた。


「やばい……また、花粉が濃くなってきてる……!」


それは、先ほどよりも遥かに濃密だった。地面にうっすらと黄色がかった粉が見える。ユエルウサギは戦闘状態になればなるほど、その花粉をまき散らしていくようだ。


「やべぇぞ……あれ、吸ったらまずい!」


すでにガルドの動きがやや鈍くなっている。視線がややふらつき、体の動きが不自然だった。


「吸うな! 花粉を吸うな! マスク、布でもいい、顔を覆え!!」


バルトの指示が飛ぶ中、鷹志も焦りながら口元を覆う。まだ戦闘は始まったばかり――だがすでに一筋縄ではいかない敵であることが、誰の目にも明らかだった。


そして、次の瞬間――ユエルウサギは跳躍し、ミレーヌに向かって高速で突進した。


鷹志の心臓は、まるで自分の耳元で鳴っているかのように脈打っていた。


「危な……っ!」


ユエルウサギが放った跳躍は獣というより、まるで狙いを定めた刺突のような鋭さだった。だが伊達に冒険者していないのだろうか、ミレーヌは冷静だった。わずかに身体をずらし、矢を一矢放つ――それは狙い違わず、ユエルウサギの脚に命中した。


だが――やはり、貫けない。花粉が邪魔をしたのだろうか、傷が見当たらない。


「……あれだけ速く動いても花粉の膜が崩れないなんて……!」


ミレーヌが歯噛みする中、ユエルウサギは一度距離を取った。次の動きに備えて地を蹴る構えだ。


「このままだと、ジリ貧だな……っ!」


ガルドが構え直す。彼の体にも、すでに黄色い花粉がうっすらと積もっていた。


その時、鷹志の鼻がひくりと動いた。


(……また、あの臭い……でも、なんか変だ)


明らかにいつもと違う、臭いの“流れ”を感じた。まるで――風向きが変わったかのような感覚。


「……風が……?」


鷹志は無意識のうちに、風の流れを追った。そして、その方向をじっと見つめると、ユエルウサギの動きが微妙に変わったことに気づいた。


(……あいつ、風向きで攻撃してないか? もしかして、花粉の拡散を……)


思考が走る。ユエルウサギは花粉を操る。ならば、風を読むことで――“花粉の届かない場所”があるかもしれない。


「ミレーヌさん、左後方、三時の方向! そこ、風が逆だ! 花粉が届いてない!」


「えっ……!」


一瞬、ミレーヌが鷹志を見た。信じていいのか――だが、迷いを断ち切って彼女は位置を移動する。


そして、次の瞬間。


「――花粉の膜が薄い?!」


ミレーヌが叫ぶとともに、放たれた矢がユエルウサギのわき腹に突き刺さった。血飛沫が舞う。ようやく、本当にダメージが通った。


「……やった、やったぞ!」


グレンが叫ぶ。


「風だ! 奴は風向きに依存してる! 風下には花粉を展開できてない!」



(……初めて、ちゃんと役に立てたかもしれない)


戦闘は、次の段階へ――ユエルウサギも、血を流したことで本能的に危機を感じたのか、その動きに一層の殺気が帯びていく。



ユエルウサギの瞳が、血走っていた。


傷つけられたという事実に、純粋な「怒り」をぶつけてくるような気迫。黄色い花粉が周囲に濃く立ち込め、視界が霞む。鼻にくる独特の甘ったるい香りは、嗅ぎ慣れていたはずの鷹志ですら思わず顔をしかめるほどだった。


「くっ、距離を詰めてくるぞ!」


「下がれ、ガルド!」


ガルドが咄嗟に剣を突き出して前に出た。鋭い一撃。しかしユエルウサギはひらりと身を翻し、その細身の体を生かしてかわすと、逆に跳ね上がってミレーヌの方へ飛びかかった。


ミレーヌが矢を番える――だが、今度の花粉の濃度は段違いだった。空気ごと濁ったような圧迫感がある。


「……まずい、視界がっ!」


全員が思った。もう一手遅ければ、誰かが致命傷を負う。


(花粉の流れ……まだ風が残ってる……!)


鷹志は、再び感じていた。微細な空気の流れ。あのときと同じ“隙間”が、ユエルウサギの周囲にある。


「左! もう一度左だミレーヌさん! あいつの横からなら……!」


咄嗟に叫んだ。


ミレーヌはその言葉に反応して、花粉の濃度が一段階落ちた空間に足を踏み入れ――


「はあああッ!」


叫びとともに放たれた矢が、まっすぐユエルウサギの胸元に突き立った。


「グ……ギィイイイイィイッ!!」


急所に当たったのか金切り声とも断末魔ともつかぬ叫びを上げて、ユエルウサギが地に崩れ落ちる。その身体が痙攣し、花粉が霧のように散っていった。


「……やった、やったか?」


グレンの声に誰も答えない。ただ、しばらくしてユエルウサギの動きが完全に止まり、戦闘が終わったことが実感として押し寄せた。


「……討伐、完了だな」


ガルドが肩の力を抜き、斧を地に突き立てて呼吸を整える。ミリアも矢筒を下ろし、鷹志の方を見て小さく頷いた。


「鷹志……助かったわ。あんたがいなかったら、きっと私たち、やられてた」


「そ、そんな……ただ鼻が利いただけですので……」


鷹志は照れ臭そうに苦笑いする。


戦いの余韻が冷めやらぬまま、倒れたユエルウサギの巨大な体を前に、冒険者たちはしばし無言だった。ミレーヌが矢を抜き取ると、花粉がふわりと舞ったが、もはや脅威は感じない。


「……ま、なんとかなったな」


グレンが安堵の息を吐き、ガルドが重々しく頷く。


「タカシ、よくあのタイミングで花粉の流れを読んだな。あれがなければ、ミレーヌは……」


「……ありがとう。あんた、ただの素人じゃないでしょ?」


ミレーヌがじっとちょっと距離の近いお顔で鷹志の目を見つめる。めっちゃ可愛い。胸は絶壁で今後の成長に期待か。胴回りはきゅっと尻ボンと出ていて大変素晴らしい形をされておられますぞ。


ミレーヌは鋭い視線で見つめており、そこに敵意はない。ただの探るような好奇心。


「いえ、旅の途中でたまたまあのウサギと出くわして、変態に襲われて驚いて逃げた先で貴方方に出会った....だけですよ」


鷹志はなるべく自然に、あらかじめ用意していた設定を口にする。戦闘が終わり緊張が抜けたのか目線は女体であられるであろうミレーヌさんをチラチラ。


「遠い東の出身でしてね。この辺りの風習も言葉もまだ慣れてない。地図も読めないし……さっきの花粉の臭いだって、旅の途中で何度もかいだからわかっただけですよ」


「ふぅん……」


ミレーヌは少し納得したような顔をしながらも、まだ完全に信じた様子ではない。だがグレンが言った。


「戦闘に直接関与したわけじゃない。だがあの状況で冷静に動けたのは事実だ。報酬は……」


「いえいえ、いいですよ。俺は冒険者じゃないので。報酬なんて受け取る立場じゃないですし。ただ……街まで案内してくれるのと、服を一着くれるありがたいのですが」


「……本当にそれだけでいいのか?」


「はい。服も……さすがにこのボロ切れじゃ寒くてね」


鷹志の身にまとった布切れは、もはや“服”と呼ぶのも憚られる代物だった。ユエルウサギの花粉と戦闘の熱気でほつれた繊維が剥き出しの肌にへばりついている。


「……ハハ、そうだな。さすがに街にこれで入ったら、門番に捕まるかもしれん」


グレンが笑うと、ミレーヌも少しだけ微笑んだ。


「仕方ないわね、余ってる服があるからあげるわ。」


「ありがとう、助かりますよ本当。ですが女性の服装はちょっとこの身に合わないじゃないかなと思いまして」



「ん?コイツ男だぞ?」



「.......え......」


おいおいおいおい、グレンさんが妙な爆弾発言をしてくれる。




今のところは大丈夫だろう。自分は、遠くの東方から来た旅人。言葉も不慣れ、風習も知らず、少し勘がいいだけのブサ男――それで通す。それしかない。そんな設定を考えていた矢先に......なんだとこの野郎

会話のやり取りはミレーヌさんだが、一応女性の服をもらうのはややおかしいのではと感じる鷹志は、胸の奥にわずかに抱いた嫌な予感が当たった。



だがそのとき――ガルドがふと、独り言のように呟いた。


「東の方から……か。なら、あの言葉の混ざり方にも納得がいくかもな」


「……え?」


「いや、方言が妙だったからさ。あれは大陸の北東にある辺境の集落……“シンヨ”って土地の訛りに似てる」


(シンヨ……?そんな土地、聞いたこともないけど……)


鷹志は一瞬固まったが、すぐに小さく笑ってごまかした。

性別の件は話が流されてたのかすぐ別の話題になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る