18 パンケーキ

 日向が、俺をしょっちゅう睨んでいるように見える謎。


 最初は「なんで睨むんだろう……?」とビビりまくっていた俺は、次第に「こういう顔なのかも?」と思い始めた。まさかそれが見ている対象に興味があるからだなんて、欠片も思いもしなかった。普通、絶対そんなことは思わないと思う。


 要は、日向の睨むという行為は実際には睨んでなんていなくて、俺に関しては、俺自身に興味があるあまり凝視しているだけってことじゃないか――。


 そんな安直な結論に達した途端、自然に笑みが溢れてきた。


「……へへ、そっか!」


 あれは、俺のことが嫌いであの顔をしていたんじゃなかったんだ。むしろ俺に興味を持ってくれていたなんて、ぼっちな俺からしてみたら奇跡に近い出来事だ。


 そもそも日向は最初から、俺が一年の時に知り合った奴だと分かっていた訳だ。俺がビビっていたせいで話しかけづらかっただけで、日向は俺と早くまた話せるようになりたかった、とこれまでの話からも感じられる。


 そう考えると、隣に俺に興味を持ってくれている奴がずっといたのに、今日まで随分と勿体ないことをしていたもんだ。このビビリの性格も、そろそろ本格的にどうにかする時が近付いているのかもしれない。


「なんだ……そんなことだったのかー。よかった!」

「え」


 意外そうに目を見開く日向に笑いかけた。


「いやあだって俺さ、最初はしょっちゅう睨まれてるから、日向に嫌われてるのかなって思ってたもん! そうじゃなかったって分かって本当によかった!」

「ごめん……井出は俺のこと、苦手じゃない? 怖いと思ってない?」


 恐る恐るといった体で尋ねてくる日向に向かって、大きく頷いてみせる。


「そりゃあ最初はビビったよ? 日向っていつも俺を睨んできたし、無口だしでかいしさ」

「……」


 黙ってしまった日向の肩を、安心させるようにポンポンと叩いた。


「でも、今はちっともだよ! 俺さ、日向とこうして友達になれて、すっげー嬉しい!」

「井出……」


 日頃の俺だったら、こんな台詞は絶対口にしなかったと思う。俺が過度な好意を見せたらまたうざいとか金魚のフンとか言われるんじゃないか、という考えがひょっこり顔を覗かせるからだ。


 でも。


 相手が日向なら、素直になることができた。日向は外見が変わって日向に気付けなくなってしまった友達甲斐のない俺を怒るでもなく、日向の方から歩み寄ってくれるようなとんでもなくいい奴だから。


 だから――日向なら信じていいんじゃないか。日向と過ごす内に、少しずつ強張っていた俺の心が解れてきているのを、確かに感じていた。


 日向が目を細めて軽く顎を引く。


「……ん、俺も凄く嬉しい」

「へへ……っ」


 友情の再確認という、きっと側から見たら小っ恥ずかしいやり取りも、俺にとっては心底嬉しいものだ。


 斜に構えていた癖に、本当は喉から手が出るほど欲していた、気を許せる友達と過ごす時間。

 

 ようやく手に入れることができたんだ――。


 互いに少し照れくさそうに時折視線を合わせつつ、日向が行きたがっていた店に向かったのだった。



 日向がまた行きたいと思っていた店は、なんとお洒落なパンケーキ屋だった。


 店内は非常に賑わっていて、客はほぼ女性ばかり。というか、俺と日向以外全員女性だ。


「おお……」


 俺をソファー席の方に座らせて自分は向かいの椅子に腰掛けた日向が、早速メニューを俺に向ける。目は真剣そのものだった。


「井出。前回俺が食べたのはこれなんだけど」


 眉間に力を込めながら、いちごチョコ生クリームバニラアイス添えというパンケーキの上にソフトクリーム以上のレベルで生クリームが盛られた写真を指さす。この強面が、このとんでもなく甘そうなものを食べたのか。チャレンジャーだ。


 春香ちゃんが『お兄ちゃんといるとジロジロ見られるから嫌』と言った理由を悟る。確かにこの小洒落た女子空間の中で、体格のいいイケメンが真剣な顔をしてメニューを熱心に見ている姿は、非常に目立った。一緒にいる俺も凄い見られてるし。


「お、おう……っ」


 内心「ひええっ」と怯えながらも、日向が喜ぶ姿が見たくて、懸命に周囲の視線を気にしないよう意識する。……無理! めっちゃ見られてる! 見ないでくれぇ!


「シナモンキャラメルのエスプレッソソースがけとどちらにしようか凄く迷ったんだ。だけど最初は冒険しないで王道から行った方がいいと春香にアドバイスされて」

「そ、そうか」


 シナモンを推したいのかキャラメルを推したいのか、はたまたエスプレッソソースを推したいのかも分からないパンケーキの写真を指差す日向の眼差しは、やっぱり真剣そのものだった。そんなに好きなのか。意外すぎる。


「確かに王道だった。だから次はもう少し冒険しようと思っていたんだ。井出が付き合ってくれて、嬉しい」

「う、うん……はは」


 嬉しそうに頬を緩ませた姿なんて見せられたら、本当はもう耐えられないなんて言えっこない。


「井出は何にする?」


 日向は日頃から視線慣れしすぎているのか、あからさまな視線やクスクス笑う声にも一切動じた素振りはなかった。潔い。


 それでハッと思い出す。そうだ、俺は春香ちゃんに告白しようと思い立った時、日向のこの姿勢に勇気をもらったんじゃないか。だったら――男を見せるんだ、冬馬! 周囲の目を気にしすぎて友人の笑顔を曇らせたいのか、お前は!


 心の中で己を鼓舞すると、メニューを見る為下を向く。そう、周りを見るからいけないんだ。見るのはメニューと日向だけ。この世界は今俺と日向の二人しかいないと思えばいい!


「じゃあ、このトロピカルフルーツと生クリームのマンゴーソースがけにしようかな! あ、日向も遠慮せず頼めよ! おかわりしたっていいんだからな!」


 なんせこれは日向の献身に対する感謝を伝える為にもうけた機会だ。ぼっちの上ひとりで彷徨くことも殆どしない俺のお財布事情は、割と潤っている。


 すると日向が、男だと分かっているのに思わず見惚れてしまうような艶やかな笑みを浮かべたじゃないか。


「ありがと、井出」

「お、お……おうっ!」


 自分だけに向けられる日向の笑顔を独り占めしている事実にモゾモゾした感情が溢れ出しそうになってしまった俺は、慌ててまたメニューに目線を落とした。なのに、相変わらず日向の視線を感じる。


 な、なにか話題! このこそばゆさを吹き飛ばすような別の話題を!


 ぐるぐると必死に考えた俺は、先程日向の口から聞いた俺の失恋相手の名前を口にした。


「そっ、そういえば日向って、春香ちゃんと仲いいんだな!?」

「そうかも」


 笑顔を引っ込めた日向が頷く。


「実は……井出のことも、ずっと春香に相談してたんだ」

「――はい?」


 え、どういうこと? と目を見開くと、日向はどこか申し訳ない様子でこめかみをポリポリと掻いた。

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