Episode3「痛み」

ep3-1

 オフシーズンといえど、休んでいる暇はあまりない。惜しくも日本一の座は逃したものの、ラ・リーグ三連覇にベストナイン、守備のベストナインと呼ばれるプラチナグローブ賞を受賞し、あまつさえ顔がよく愛想もいい要は、テレビ出演や取材の依頼が山ほどきていた。受けられる範囲ではあるがそれらをこなし、ようやく落ち着いてきた頃。美澄は要の自主トレに付き合う為、沖縄へやってきた。


 飛行機から一歩外へ出ると、冬とは思えない暖かな空気に出迎えられた。


「うわ、あったかい」


 ボーディングブリッジを歩きながら感嘆の声をあげた美澄に、要は目尻をさげる。


「今日は天気いいし、むしろ暑いくらいだよな。ってか、沖縄初めて?」

「初めてです。修学旅行は大会で行けなかったですし」

「あー、覚えてる。俺たちもそーだったしなぁ。遠征しょっちゅう行ってたし、まーいっか、って」


 昔ばなしに花を咲かせる二人に、三歩先を行く背中が足を止めた。くるりと振り返った若槻真尋は見事なふくれっ面で、美澄と要の顔を交互に睨めつける。


「……ちょっと、身内ネタで盛り上がるのやめてくれる? 俺もいるんだけど」

「ああ、わりーわりー」

「っ、ごめん」


 そう、旅行ではなく自主トレだ。トレーナーとしてサポートとをする立場の美澄が浮かれてどうすると、背すじを伸ばす。


――「元」相棒さんね。


 シーズン中に嫌味たっぷりの牽制を受けてからというもの、挨拶を交わす時はいつも空気がヒリついた。真尋は人に声をかける際に人の目を食い入るように見る癖があるようで、お疲れさま。ああどうも。そのやり取りだけで、心の中を全て丸裸にされそうで苦手だった。

 今日から二週間沖縄に滞在し、要と真尋は合同自主トレを行なう。真尋には専属トレーナーがいないので、今回は美澄が二人のケアをすることになっていた。

 正直に言ってしまえば、ファーストインプレッションが最悪で、犬猿とも言える間柄の真尋が素直にケアを受けてくれるかは心配だったが、要が大丈夫だと言ったので信じてついてきた。アイツは気難しいけれど、野球に関してはまっすぐだから、と。

 スーツケースを引きながらロビーに出ると、待ってましたと言わんばかりに五人の大人が要たちを取り囲んだ。名刺に書いてある文字を、後方から目を眇めて確認する。新聞記者と雑誌のライター、地方局の報道記者など……囲まれた本人たちは驚く様子もなく爽やかに対応している。


「昨年に続き、今年も東京スワンズのエースと正捕手の合同自主トレということですが、どちらから声をかけられたんですか?」

「俺からです。真尋、今年もやるかって」

「若槻選手はなんと?」

「誘われると思ってたので、二つ返事で承諾しました。来シーズンこそ日本一を奪還する為、エースとしてチームを引っ張っていけるように。今から頑張りたいと思います」

「真尋、すげー優等生なコメントじゃん。昨日から何言うか考えてた?」

「考えてないし!」

「まあ、こんなに頼もしいエースですから。女房役として、しっかり支えていけたらいいと思ってます」


 要はやさしい顔をして言った。シーズン中のヒーローインタビューを思い出させる息のあったやり取り。マスコミを巻き込んだ和やかな雰囲気。二人の関係性の良さを感じさせた。


「間宮選手は今シーズン、打率や本塁打数等でキャリアハイの大活躍でしたが……その要因をご自身ではどのようにお考えでしょうか」

「一番は、夏に失速しなかったことですかね。専属トレーナーと契約して、支えてもらいましたから」


 甘ったるい眼差しが美澄を捉えた。後を追うように、真尋や記者たちの視線がぶつかる。


「彼が専属トレーナーですか? 随分と若いようですが」

「腕は確かですよ。俺の成績を見てもらえば分かると思います。じゃ、そろそろホテルに向かいますので」


 とびきり愛想のいい笑みを浮かべた要が、ひと足先に出口へ向かう。急に話を切り上げたので、美澄だけでなく真尋も遅れて背中を追いかけた。


「あーあ。あの記者が余計なこと言った所為で、要さんご機嫌損ねちゃったじゃん」

「余計なこと?」


 わずかに速度を落とした真尋が隣に並んだ。前を行く背中には届かぬよう、声のボリュームを下げる。


「あんたのこと、そんなに若いのに専属トレーナーとか大丈夫なんですか? 的なこと言ったの、嫌だったんじゃない?」

「別に、俺はいいのに……」

「ダメなんだよ! もっと堂々としないから舐められるんじゃん。あんたはいいけど、要さんの印象を悪くしたら俺が許さないから!」

「ご、ごめん」


 普通にしていただけなのに、どうして叱られているのだろう。エントランスを抜けて外に出ると、愛想のいい笑みを引っ込めていつも通りに戻った要が足を止めて振り返った。


「なに、二人とも仲良くなったの?」

「べーつにー。仲良くなってないし」


 否定された。いや、美澄としても仲がいいとは微塵も思っていないけれど。


「あ、タクシーはあそこですね。もう到着してるみたいです」

「おー、ありがと」

「あざーす」


 ロビーでのぶら下がり取材が始まってすぐに呼び出しておいたタクシーが、既に到着していた。荷物をトランクに入れ、三人で乗り込む。車窓から見上げた紺碧の空が綺麗だった。





 ホテルに到着してチェックインを済ませると、要と真尋は早速練習着に着替えて部屋から出てきた。そこそこのスピードで走って五分ほどの場所に今回の自主トレを行なう室内練習場があるらしい。長距離の移動で疲れていないはずがないのに、一息つく間もなく練習をするつもりなのだから、二人とも相当な野球バカだ。

 美澄も一緒に走ろうかと思ったが、現役アスリートのスピードと体力についていける自信がなかったので、ホテルのレンタサイクルを利用して自転車で二人を先導することになった。


「美澄、そっちじゃない、逆、逆!」

「え、もしかしてあの人方向音痴……?」

「うん」

「いや、先導させちゃダメでしょ! 迷子んなるから!」


 方向音痴の所為じゃない。初めての道だったから、口頭で説明されただけでは分からなかったのだ。


 結局、初日は二人の後ろをついていくことになったが、自転車と変わらないスピードで走っていく二人に美澄は感心してしまった。特にエースピッチャーの真尋だ。練習場に到着し、軽く息を上げた要の隣で、涼しい顔をして鼻歌交じりに肩のストレッチを始めた。


「要さん、あの」

「んー? どした?」

「真尋くん、すごいですね。かなりのスピードで走ってきたのに、全然息が上がってない」

「シーズン中もシーズンオフも、暇さえあれば走ってるからなぁ。相当な努力家で野球バカだよ、アイツは」


 全身からみなぎる自信は、練習量に裏付けられているのだろう。要が言うのだから間違いない。

 練習場には、先ほど空港で見かけた記者が二人ほどついてきていた。どうやって情報を仕入れているのかは分からないが、トレーニングを非公開にしているわけでもないので、自由にさせているらしい。要の機嫌を損ねたという人物はいなかった。

 それにしても、プロ選手は大変だとつくづく思う。ただひたすらに野球だけに向き合えばいいなんてことはなく、スター選手であればあるほど野球以外の仕事や対応に追われるのだ。ファンありきの人気商売であるのだから仕方ないし、高校の時だって甲子園常連校と言うだけで知らない大人がたくさん挨拶にやってきては監督が頭を下げていた。

 二人いればキャッチボールもストレッチもできるので、美澄はドリンクを用意したりタイムを計測したり道具を運んだりと、マネージャーのような役割をこなしていた。二人の役に立てるのは嬉しいが、要と楽しそうに柔軟運動をしている真尋を見ていると、どうしても羨ましい気持ちが芽生えてしまう。空港からついてきたスポーツ雑誌の記者だという男が一眼レフカメラを構えると、真尋は要にぴったりと密着したままピースサインで応じた。


「やっぱり若槻くんは間宮くんとセットだと、表情が柔らかくなっていいね」


 美澄が二本のスクイズボトルに水を補充していると、カメラで撮影したデータを液晶モニターで確認しながら男が言った。周囲には美澄以外に誰もおらず、独り言ではなさそうな声量だったので話しかけられているのだろう。


「そうなんですか?」


 要から教えられた程度しか真尋のことを知らないので、素直に問い返す。これから二週間、身体のケアをする相手だ。少しでも情報が欲しかった。


「若槻くん単体だとすごく気分屋というか……塩対応っていうのかな。登板する試合の後だとピリピリしてるし、あまりマスコミの前に姿を見せなかったりするから。間宮くんと一緒だと、こう、撮れ高がよくて助かるんだ。ああやってスキンシップもとってくれるし」


 視線を記者から二人へ戻す。何をどうしてそうなったかは知らないが、広い背中に真尋がしがみつき、楽しそうに笑っていた。要も完全に面白がっているのか、されるがままだ。二人の為の合同自主トレだと分かっていても、モヤモヤする。

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