異世界役者〜剣と魔法の世界を演技で無双する〜
ハチニク
第一章 転生編
プロローグ 『レイレイを汚した罪』
俺は日本の人気俳優だ。
名は
名乗るまでもなく、その名は疑いようもなく広く知られている。
ただそれを自慢するつもりは一切ない。
渋谷スクランブル交差点のビル群に巨大な電子広告が、俺の新たな主演作を荘厳な音響と共に映し出している。
その映像と音は、交差点を行き交う無数の人々の心に無意識に刻み込まれ、街の喧騒の中に鮮烈な印象を残していた。
今、わざと過去形を使ったのは、その映画が公開されてから一ヶ月が経過しているからだ。
タイトルは『星降る夜に君と』。
大学生で難病に苦しむ臆病な主人公、『直人』を演じるのが俺で、同じ病院で治療を受ける超人気アイドルグループ「純華坂42」のセンター、
自分の出演作を貶めるつもりはないが、率直に言えば、あれはクソをクソで纏ったクソなクソ映画だ。
「梨花、君の強さに感謝してる。君がいてくれたから、僕も戦えた。このまま最後までそばにいてほしい」
「どんなに星が遠くても、私たちの心は一緒だよ。星が繋いでくれる」
「うん、星が繋ぐ愛は永遠だね」
……星が繋ぐ愛は永遠だねってなんだよ。
と突っ込みたくなる。
設定が魅力に欠け、繋ぎ目は大雑把で、涙が流れるどころか目くそが溜まりそうなクライマックスシーンが待っている。
にもかかわらず、広告は「絶賛公開中」と謳っている。
実際のところ、俺のファンや「純華坂42」の熱狂的なオタクたちが興行収入を支えているに過ぎない。
少しでも分別のある者なら、このような熱が冷める映画にわざわざ足を運ぶことはないだろう。
少なくとも、俺がこんなクソ映画を観ることは決してない。
俺はこの世界にすっかり飽き飽きしている。
人生とは結局、顔が良ければ何でも許されるというのが、二十七年間の経験が証明している。
これまでの人生で、大きな苦労はほとんどなく、女のことで困ったことも一度もない。
高校時代には、一人の女性と真剣に付き合うなんてことをしていたが、今では芸能界の大物たちから紹介された女性たちと次々に関係を持つ日々だ。
これまでに関係を持った女性の顔もほとんど記憶に残っていないし、覚えようともしない。
後からしつこくアプローチされるのは、ただただ煩わしいだけだからだ。
もちろん、あのつまらない恋愛映画『星降る夜に君と』で共演した清純派を謳う高瀬麗奈とも、撮影中には何度かヤッた。
しかし、業界の一部としてそれを受け入れているから、彼女らを変態と呼ぶつもりは一切ない。
完璧に見える人生だからこそ、今では人生をさらに追求しようという気持ちはすっかり失せてしまった。
三十代に入る前に、すでに定年退職したような気分に浸っている。
退屈を紛らわせるために、SNSでわざと際どい発言をして、炎上を狙うこともあった。
しかし、正直なところ、どんなに底辺の連中から何を言われても、心に響くような変化はまったく感じなかった。
金も女も、そしてカッコよさもすべて手に入れた俺を動かすようなアンチコメントは、一つとして存在しなかった。
むしろ、自分以外の人を小馬鹿にするような感覚が強まっていくばかりだった。
全てを手に入れたことで、人生に対する感覚はどうしようもないほど鈍くなっていた。
要するに、俺は自称ではなく、本物の人気者であり、勝ち組だというわけだ。
ついでに言えば、性格は救いようがないほど悪い。
いや、正確にはゴミとは呼びたくない。
なぜなら、自分がゴミであることを自覚しているからだ。
本当のゴミクズは、自分がゴミだとは夢にも思っていない。
それに比べれば、俺の自己認識はまだしもマシであり、むしろそれ自体が欠点にはならないと思う。
「すみません、もしかして中沢煌さんですか? ファンなんです、写真撮ってもいいですか?」
現にマスクにサングラスをしていても街中にいれば声を掛けられる。
何度でも繰り返そう。
生きるために欠かせないのは、金銭、愛人、そして名声なのだ。
性格などは二の次、三の次でもなく、むしろ生きる上で不必要なものだと身を持って呈する。
「えーまじっすか。男性ファンって珍しいんで、嬉しいです」
「そうなんですか。じゃあ写真撮りますね」
この時点でなぜ気づかなかったのかと問われれば、正直なところその理由は分からない。
ただ今思い返せば、違和感はいくつかあった。
第一に、俺の男性ファンなどほとんど見かけることはない。
仮に存在したとしても、しばしばオネエの雰囲気を漂わせている場合が多い。
第二に、ファンにしては異常なほどの静けさが際立っていた。
声の抑揚が全く感じられないのは、稀に見る現象だ。
普通ならば、俺の姿を見るや否や興奮してはしゃぎ立てるのが常だが、この人物は俺と対峙する際、まるで冷静沈着そのものだった。
「握手もしてください」
「いいっすよ」
憎きキモオタと撮ったツーショットがまさかこの世での最期の写真となることはまさか想定していなかった。
明日もまた女の子を抱いて、金は稼いで、誰もが羨むようなつまらない生活を送っていくのだろうと思っていた。
街灯もまばらな人通りの少ない道で握手を求められた瞬間、すでに手遅れだったのだと感じた。
握手を求めた当人とは思えないほど、その手は袖の奥深くにひっそりと隠れていた。
バッ!
刃はまるで人造人間のように完璧な動きで、袖の奥から姿を現し、そのまま一直線に俺の胸元に深々と突き刺さった。
もし相手が俺でなければ、その技量に思わず拍手を送りたくなるほどのものだ。
まるで戦隊ヒーローのように、片手を前に出したアクションポーズを何度もシミュレーションしてきたのだろうか。
いや、今はふざけている場合ではない。
胸から身体中に、強烈な痛みが一瞬で広がり、ブワーッと体内に波紋のように広がっていった。
「俺らのレイレイを汚しやがってッ!!」
痛い。
そしてイタイ。
二つの感情が交差する。
後は何を言っているのかが聞こえなかった。
意識が朦朧としていたからだ。
だが、予想は大体できた。
キスなんてしやがって!
レイレイはチューなんかしたくなかったはずだ!
性的暴力で訴えるぞ!
とかそんなだ。
やはり下民の考えることは単純だ。
これまでにも、ネットや直接、何度も同じような言葉を浴びせられてきた。
映画の役柄として共演した女性とキスを交わすたびに、必ずと言っていいほど現れるキモオタたちがいた。
特に相手が人気女性アイドルのレイレイこと、高瀬麗奈となれば、その手の声は一層増してくる。
まるで魔法を使えるかのように、これから起こる展開がなぜか鮮明に予想できた。
この通り魔は俺を刺し、その後アドレナリンが引いて冷静になったとき、自分がどれほどの失態を犯したのかを痛感するだろう。
実に滑稽だ。
アホにも程があるだろ。
言っとくがな、お前らの言うレイレイは清純派でもなんでもなくてだな、「もっとして、」と顔を赤く熱らせて言う変態なんだよ。
まあそんなことを言うと余計に刺されそうで怖いからやめておこう。
(おい、そこのお前、救急車を呼べ)
ってあれ。
声が全く出ない。
「……ぉ……ぃ……」
まずい。
視界が狭まってきた。
ちゃんと痛みを感じてきた。
息をするたびに血が刺し傷から飛び出る。
心臓の鼓動が身体中に響く中で、次第に心臓がリズム音痴になり、ムラのある拍動を打っていたことに気づいた。
ちゃんと呼吸をしているのかもよく分からなかった。
意識の波がゆっくりと遠のく中で、俺はなんとなく悟った。
このまま死んでしまうのだろう。
少しばかりか死ぬことへの恐怖心が生まれてきた。
死ぬのか。
こんな感じで死ぬのか。
いや、
まだ死にたくない。
こんな時は高瀬玲奈を責めるべきなのだろうか。
それともキモオタの気持ち悪い勘違いを責めるべきなのだろうか。
全ては全て、結局、自分のせいなのではないのだろうか。
いや……それはない。
それだけはない。
◇◇◇
中沢煌は刺された数秒後に大量出血し、心肺停止に陥った。
そして、
意識を失ったまま、
死んだ。
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