第7話 必要なピース

 料理がやってくるまで、松沢は上機嫌でペラペラと話していた。自分がいかに優秀な人間で、いかに社会の役に立っているかという話だったと思うが、理解する気にもなれなかった。

 案内役の男は、松沢の前に寿司と徳利を、俺の前にはカレーライスを置いて去っていった。


「星を取ったレストランのシェフに作らせた最高のカレーですよ。どうぞお召し上がりください。いやぁ、今日は酒が美味いな」

 松崎はそう言うとお猪口に注いだ酒を飲み干した。


「扇田は私と同学年で、議員秘書になったのも同じ頃でね。あの頃から気にくわない奴だったんですよ。それから議員に初当選してからも何かと『扇田』の名前を目にすることが多くて、私の華麗なる出世街道を阻む、厄介な奴でした」

 目の前のカレーライスを一匙、口へ運ぶ。味のしないその塊を水で流し込んだ。


「扇田は真面目で誠実な人間だと世間では思われているようですが、本当は違う。ただの堅物ですよ、あれは。あんな融通の利かない男、どうせいつか頭打ちになるに決まっている。それならさっさと政界から引退させてやるのも、優しさってもんだよ。ハハッ」


 それから松沢は、嘘か本当か分からない扇田の悪口を延々と話した。会ったこともない人間の印象を強く持つには、よく知る人間から話を聞くしかない。どんなに口汚い暴言も、夢を見るためには必要なピースだ。仕事のためには一言も聞き漏らすことは許されない。そうすることが体に染みこまされていた。


「いやぁ、実に楽しい時間でした。先生にはこの階に部屋を取っていますから、そちらを使ってください。明日の朝はまたこの場所で会いましょう。朝食を取りながら、是非たっぷりと夢の話をお聞きしたい」

 松沢は酒で上気した顔で笑みを浮かべた。

「それでは先生、よろしくお願いしますね。ゆっくりとお休みください」




 用意された部屋には大きなベッドが二つ並んでいた。その一つに倒れこむ。

 大抵、仕事の時はホテルのVIPルームで客と会い、それが終わったらすぐにベッドのある部屋へ通される。客の話を聞いてから、他の人間に会って意識を逸らされないようにするためだ。こんな無駄に高い部屋を取らなくたって、金をもらっている分、不幸は見てやるのに。こんなところでもご機嫌取りをされているみたいで気分が悪かった。


 暴言を延々と聞かされて頭が痛い。最悪な気分なのに、瞼は重たく閉じる。


 ……本当は眠りたくない。また夢を見てしまう。


 瞼の裏には嬉々として扇田の悪口を話す松沢の姿が浮かんだ。




 翌朝、またあの場所で松沢と向き合っていた。テーブルには湯気が立ち昇るパンや色鮮やかなサラダが並んでいる。


「先生、昨晩はよく眠れましたかね」


 不幸の夢は翌朝もはっきりと記憶に残っている。そうじゃなければそもそも仕事にならないけど、昔から夢はよく覚えていた。俺が夢で見られるのは不幸の内容だけで、その不幸が実際にいつ起きるのかまでは分からない。偶然テレビのニュースが流れていたり、特定できるような要素があれば別だけどそんなことはそうそうない。それでも客は俺の夢で見た内容から情報をかき集めて、自分の私利私欲のために利用する。


「さあ、夢の話を聞かせてください」

 松沢は期待に満ちた目で俺を見てくる。その視線が嫌で顔を逸らした。


「……扇田は離婚の話し合いで揉めているようです。離婚の原因は扇田の亭主関白で、子供の親権や資産の分配で意見が対立しています。近々、家財が壊れるほどの大きな喧嘩が起こります」


 名前すら知らなかった他人の出来事なんて実際には俺が居合わせるはずもないけど、夢の中ではまるで自分もその場にいるような臨場感で展開される。目覚めていればそんな他人の不幸なんてどうだっていいと思えるのに、夢の中だけは勝手に共感して勝手に疲弊する。


「離婚か。ネタとしてはちょっと弱いけど、記者に張らせれば喧嘩の様子は記事に出来そうだな……ありがとうございます、先生」

 そう言って満足そうな笑顔を見せた。下衆め。


「あなたは愛人を作るのをやめておいた方がいいですよ。顔も忘れた昔の愛人に記事を売られてしまいますから」

 俺の言葉に松沢から笑顔が消えた。そして席を立つと、吐き捨てるように言った。


「気持ち悪」


 足音が遠ざかっていくのを背中で聞く。やがて足音は聞こえなくなった。

「……クソっ」

 俺は席を立った。

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