0816 訃報が人を励ますこともある

自分と関わりのあった人でもそうだろうが、ニュースに訃報が出る有名人の場合でもそれはある。

ただしそういう当人は他の人にそんな自分の気持ちを言えないことが多いだろう。

あらぬ誤解をされ、自分の悪口のもとになりかねないからだ。

死者には弔いの気持ちを込めて手をあわせる、というのは、そういう自分の気持ちもそこで天に上げてもらいたい、ということなのかもしれない。

定番のお悔みのことば、というのも、無駄なごたごたを避けるための生活の知恵なのかも。

そういえば、大昔政争や戦争で敗れた大物は、その霊を鎮めるために神社を建てられたりしているな。

あと、マスメディアで発言する有名人というのは、読んでどう受け取るかは読者の領分とはいえ、発信者には負荷もかかるのは逃れられないだろう。どこまで意識されているのか。大衆表現が跋扈する以前とはちがい、広く門戸が開かれた後では、十分な覚悟がないまま露出した人も多いのだろう。とはいえ、その後に現れた昔の若者向け文化人も老いて鬼籍に入りつつある。

SNSでは、ちょっとしたひとことが大きく炎上するのが問題になっているけれども、いまは時代の変わり目ということになるのか。

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