偽りの半鳥人アレガ
影津
第一章
1-1
密林のカポックの樹上に巨木に寄りかかるように建てられたツリーハウスで、アレガは朝餉を待っていた。
目は栗色、髪も同色で母の赤く長い髪と違って地味な色合いだ。麻でできた黒のズボン以外身に着けているものはないが、それでも汗をかく。
親指大のカメムシの山盛りがバナナの葉の皿に乗って出て来た。母が床に置き、アレガは手で口に放り込む。まだ生きていて舌の上で跳ねるそれを奥歯ですりつぶすと、鼻まで広がるつんとした酸味やえぐみ、青りんごのような甘さがほんのり広がって美味しい。臭いなんか気にならない。
向かい合って座した母は足指でつまんで食べる。下半身が柔軟なため、手指を使うよりも器用なのだ。一方アレガの足は、ものをつかめるようにはできていなかった。
母も父も、このシルバルテ村の集落に住まう者みな半鳥人だった。母はキツツキの一種、アカゲラの半鳥人で、背中から翼が生えている。翼は赤、白、黒の斑模様で、全体的には赤に見えた。薄緑のドレスを着て、服は背中の部分に切れ込みがあり、そこから翼が出せるようになっていた。
アレガと同じように見えて違うのは、翼を有していることのほかに、母の膝から下は鳥の足のようになっていることだ。膝関節はアレガと同じ方向に曲がるが、足の色は灰色で足指の数は四本と異なっている。前を向いている二本と、後方で体重を支える二本の指があるので、ものをつかむことができるのだ。
母だけではない。この密林にいる半鳥人は前に三本後ろに一本という構造の足指を持つが、それでも共通しているのは合計して四本指であるということ。
一方、アレガの指は五本もある。それも、すべて進行方向を向いており、不格好で常々気恥ずかしく思っている。母と同じアカゲラの半鳥人になりたい――。
母はアレガの無意識に下がる視線を受けて、尖った足指を尾羽に隠した。母は村で唯一尾羽を有する半鳥人だ。尾羽も髪のように美しく、床にあっても長くなびいて見える。
「また足? 気にしてもしょうがないでしょ。アレガの足は前を向いていていいんだから」
「嫌だ。ぼくの足の指も一本ぐらい後ろ向きがいい。こんな足じゃ、かっこよく虫を食べられないよ」
「アレガはもう八歳になったんだから、自分で口に運べない雛とは違うでしょ? 足が無理でも手で食べられるわよね? それともまだ雛なのかな?」
「違う。ちゃんと食べれる」
母にはっきり宣言して、あっと大事なことを思い出す。
「そうだ。ぼく、今日から飛ぶ練習をするんだ」
「そうそう。昨日完成したマントもあるでしょ」
アレガはバナナの皿から逃げ出すカメムシのことなど構わず、ツリーハウス内のマントを探す。昨夜遅くに母が完成させたそれは、寝ぼけていたのでどこにかけられているのか覚えていなかったのだ。
「マントは明かり取りの蓆のところに一緒に引っかけてるわ。ちょっとちょっと! 先にカメムシ食べちゃって。早く食べないと! お父さんが見に来るかも」
アレガはマントマントと口ずさんで、仕方なく床に胡坐をかく。
明かり取りから朝日が差し込んできたので、これから気温は勢いづいて高くなる。
近くで鳥が鳴いた。距離にして十五メトラム(十五メートル)ほどだろう。キッキッキという高い声で、短く切る。これは、父の鳴き声だ。
「まったく、いつ見ても
父の朝の挨拶が自分を酷評するものだったので、アレガは眩暈を覚える。
父はものの数十秒で家が乗っている木の上方の枝に舞い降りた。半鳥人の飛行は、跳梁であって上昇はできない。屋根はバナナの葉で覆っただけなので、蓋を開けるようにして天井から父が屋内に入ってきたのだ。
父はハクトウワシの半鳥人だ。白頭というだけあって、短髪に剃られた白髪は若いころから変わらないらしい。
赤いチュニックを着ていなければ、本物の鳥に見える。なぜなら、首まで白い羽根で覆われており、誰よりも本物の鳥に近い存在としてこの村で崇められていた。目元の皮膚は黄色だ。翼は暗褐色で、密林では見えにくい色をしている。
「と、飛びに行くよ」
父はふんと鼻を鳴らした。どう答えても快く思わなかっただろう。
「まぁ、あなた。私が作ったマントがあるもの。飛べなくても、見栄えは良くなるわよ」
「……勝手にしろ」
ワシなのにニワトリのように気ぜわしく父はもう出て行った。早朝に村から一番近い水飲み場の川を偵察し、猛獣がいないか見終えると家に戻って来て、起きたばかりの母の顔を見、村のリャマと羊を放牧するために共同厩舎へ向かって行ったのだ。
「お父さん、自分の立場のことしか考えてないのよ。飛べない息子が恥ずかしいと思って。きっと、丘の観覧に来ないわよ。だからアレガも丘に早く行って飛ぶ練習を思う存分して来なさい? まだ嫌なら無理して行かなくてもいいけど。母さんも洗濯物を干したらすぐに見に行くわ。ああ、これ! 忘れちゃだめよ」
アレガは母から赤い羽根でできたマントを受け取る。
「忘れるわけないじゃん。今日からぼくも鳥になれるんだ!」
翼の代わりとなるマントを肌の上からじかに羽織ることで、自信がついた。母の作った赤いマントは、胸の奥から温まる感動をアレガにもたらす。アレガは半鳥人に比べると暑さに弱いため、服を着たいと思わなかったが、マントは違う。いわば翼だった。
母が一年に二度の換毛期に、抜けた赤、白、黒の羽根を集めてマントを作ってくれたのだ。
「みんな裸は野蛮だと思うわよ。服は着なくてもいいけど、アカゲラの美しい彩色を纏うのは嫌じゃないでしょ?」と母は問うた。アレガは泣いて喜んだ。
これなら村の子らが「アカゲラだ!」とアレガを鳥の名で呼ぶに違いなかった。
「じゃあ行ってくる!」
アレガは喜び勇んで三人で暮らす樹上の板張り小屋から大木の枝へ飛び移る。木の上の家を一歩出ればゴホンの密林だ。村には門などなく、常に猛獣に襲われる危険がある。
厄介なのはジャガーで、あれは地上でも木の上でも遭遇する。木の上といえば凶暴なヒヒの群れもいる。川沿いにはアナコンダやカバがいるから、川なんか渡らない。
アレガは徒歩なので、ジャガーが木の上にいないか注意しながら、西へ千四百歩ほど邪魔な草を棒きれで叩いて通り道を作りながら地上を進む。
村の子供らが辿る道筋は決まって原生林の樹上で、木から木へムササビのように羽を使って飛び移るのが基本の移動手段だ。半鳥人の飛行は、主に滑空と跳梁を繰り返すことで成り立っている。
アレガは森の斜面を登って、
先にいた鳥人の子供らは、灌木を縫って羽をばたつかせ駆けずり回っている。太陽に焼かれ、一刻も早く日陰に入りたいと願うのはアレガだけだ。半鳥人は汗をほとんどかかない。アレガだけが肌から液体を吹き出す。薄気味悪がられるのを恐れて、今日は念入りに腕で額を拭う。
みなが着こなしている麻のチュニックやドレスから、羽が当たり前のように飛び出ているのが羨ましい。
もしかしたら、今日から変わるかもしれない。昨日とは違うはずだ。
アレガは翼を切望する。半鳥人として立派な成鳥になりたいと。
オウム、ペリカン、ハト、インコ、サギなど様々な半鳥人の子供たちが丘の上へ裸足で走って行く。アレガは他の半鳥人と同じように、羽や足、髪の色で相手が何の鳥の半鳥人なのか見分けがつく。
共通してスカートやズボンから覗くその足はどれもこれも鳥で、アレガの心を抉った。
アレガは裸足の五本指を動かしてみる。常に裸足なので、ぼそぼそと皮膚から剥げ落ちる土の量は少ない。半鳥人たちと違い、ものをつかめない足裏は役立たずだとアレガは憎らしく自身の一番小さな指に目をやる。一本多い。気持ち悪い。汚らわしい。それも、五本の指すべてが前方を向いている。自分はおかしい。目が覚めたら足がなくなっていればいいと呪う。拳を作り、そのとき爪が掌に食い込むのを強く意識して、手指はみなと同じだと心の内で唱えた。
丘の上に着くとアレガより小さい四歳ほどの子が、翼の先でアレガを示した。
「あ、『羽なし』だ!」
アレガは聞き慣れた自分の不名誉なあだ名に俯く。憂鬱で仕方がない。
飛ぶ練習をしに来ただけなのに、いきなりそんなことを言うなんて――。
「うわあ、同族狩りだ! 誰の羽根を引っこ抜いたんだよ」
ハトの少年がピンクの足でアレガを蹴った。
「誰も殺してない! 母さんがくれたマントだ。これでぼくもアカゲラだ」
アレガは弱腰だったが、言い切ると胸がすいた。
「ばっかじゃないのー? ママから羽根をちぎったんなら、同族狩りじゃん! 違うって言うなら、飛んでみろよ」
「え、それは。みんなだって、飛んでるわけじゃないだろ」
羽が小さいけど、飛べる不思議な生き物。太古の昔、今から千年? アレガには千年がどれくらい前か分からないが、そのころの半鳥人の翼は今よりも大きく、背中から足首までの長さがあったらしい。今の成人男性の翼の大きさの平均は、肩から中腰あたりまでの丈だ。子供の翼は肺腑ほどの大きさしかない。これで飛べることの方が不思議なのだが、アレガにはその考えは及ばない。翼さえあれば飛べると信じ込ませたのは、半鳥人に対しての強烈な劣等感だ。
「羽なし羽なし!」
ハトの子が
アレガは拳をわななかせる。
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