第33話 姉さんの残したもの

 コンサートは足立さんが届けてくれた本を中心に、今はそれぞれの記憶の中で生きる遥姉さんを慕う者たちの手で、ポスターからセットリスト、当日提供される料理の計画まで一つ一つ丁寧に実行された。一番弟子として走り回る明るい砂湖の声に久々に心が反応する。

 念入りに椅子の高さを調節する多恵さん。こうでもしないと多恵さんが再び人前でピアノを弾く事はなかっただろう。もう自分の為に時間を使う欲は残ってないみたいだったから。

 元々周りに求められてピアノ弾きになった。子どもの頃から決められた道を迷い無く歩いて名プレイヤーになった。それを多恵さんは自慢しない。

「だって、これしかなかったんだもの」

 といつもしらっと笑っていた。

 図らずも機会を得た多恵さんの復活コンサートは、姉さんの追悼と出版記念を兼ねたいとの多恵さんからのたっての希望でその趣旨に沿っての選曲が素敵だった。多恵さんの中にあるたくさんの僕とは性質の違う姉さんとの思い出。学生の頃の語らい。僕の記憶の中にある断片的な物語を覆う数々の景色。

 『自分は目立たなくていいから遥に心からの追悼を伝えたい』たった一人だけの心を許せた親友だから…それだけを願う温かいコンサートになるように計画を進めた。美味しいものを食べながら明るかった姉さんを思い出したいと砂湖が言った。

 午前中のリハーサル、各テーブルの上には砂湖の監修した沖縄料理がキラキラ輝いて乗る予定。写真に添えられたレシピは姉さんの手書きで、眩しいほど鮮やかな野菜の色とよく合っていた。これだけは終えたいと病室で綴っていたレシピとエッセイ。姉さんの最後の呼吸が息づいていた。

 ステージ上に大きく映し出された料理をとびきりの笑顔で持つ姉さんの写真。その前に置かれたグランドピアノを多恵さんが弾く。僕が作った姉さんへの曲を多恵さんがアレンジして多恵さんらしく弾いてくれることになっていた。

 こんなに温かい復活コンサートはないと多恵さんがすべてを飲み込んで喜んでくれた。もはや多恵さんには自分を誇示するステージを望む気持ちは無くて、会場に散りばめられた数々の思い出や気持ちを拾い集めながら弾ける事に気持ちがいっぱいになって涙をこらえるのに苦労していた。

 残されたものは、逝ってしまった者をどれ程愛しているか心から表現する。忘れない限り、逝ってしまった者もその心の中で生き続けることが出来る。僕は姉さんの指の感触を思い出していた。その儚いぬくもりがまだ思い出には出来なくてその度に心が沈んだ。

 最後の旅行をアシスタントとして努めた砂湖がブッフェを担当する。量か多すぎて一人では出来ないと寂しがっていたが、姉さんの心が伝わるように心をこめてレシピを検討しスタッフに伝えていた。

 午前中のリハーサルが終わり一息ついてエントランスで腰掛けていた。音楽に関しては関わることもできたけど舞台の演出やブッフェの段取りは全く無知で関われなかった。

「こんなところにいたの」

 砂湖が僕のことを探していたらしい。

「うん、始まったら僕の役割は終わり邪魔しないようにここで眺めてる。ほらあそこにモニターがあるだろ高みの見物」

 憎まれ口をきく僕を寂しそうに見下ろす砂湖が、

「またそんなこと言って。中で聞かないの?多恵さんの演奏」

 と言葉を探して尋ねる。

「ああ、もうすぐあかりが来るんだ。それを待ってる」

「あら、そう。あかりちゃん大きくなったでしょうね」

「そりゃあもう、美人だぜ」

「晴ちゃん、頑張ったね。よく復活した。多恵さんのためだとしても私は嬉しい。辛いのわかっててもあなたを放っておけない。みんな同じ気持ちだった。私も、短い間だったけどお姉さんと仕事できて良かった。晴ちゃんのお姉さんを慕う気持ちがちょっと、ちょとだけ解ったかな」

 不覚にも涙が出た。砂湖に申し訳なくて、姉さんにもう一度会いたくて…二度と帰ってこない時間は僕を際限なく苛む。繰り返し繰り返し姉さんを忘れないように、忘れたくない思いが胸の中に渦巻いて思いを食いつぶす。涙が脈打つように流れる。

「晴…ほら、あかりちゃん来たよ」

 僕は光を求めるように顔を上げる。光蔵さんに手を引かれたあかりが到着した。

「こんにちは。一緒に見る」

「お前は、全部終わったの?」

「うん、もう終わるわ。これが晴ちゃんの宝物なのね」

「可愛らしいだろ。絶対パパって呼ばせるんだ。な、あかり」

「あかりちゃん、素敵なパパね」

「パパじゃない晴人」

「多恵さんがそう仕込んでる。パパへの道は遠いな~」

 僕はあかりのそばに居てやりたい。ずっとその成長を見守ってやりたい。そのために砂湖のそばにはいけないと何度も繰り返し、今になっても馬鹿の一つ覚えのように覚悟する。



  

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