第6話 織姫駅と葵

 


「あーあ、葵の織姫駅語り、久しぶりに見たかったな」

「見世物じゃないんだけど……」


 電車に揺られながら、じとりと芽依を見る。中学生の頃、新学期や席替えがある度に、隣の席や近くの男子に織姫駅をバカにされることが多くて、毎回織姫駅について話している内に、仲のいい女の子に「また葵の駅語りが始まった」と揶揄われるのだ。

 くすくす笑う芽依が面白そうに、でもね、と言葉続ける。


「藍川君が自分から女の子に話し掛けるの、初めて見たよ。うちのクラスでクールなイケメンって言われてるんだよ」

「いやいや、あれを話し掛けて来たって言わないでしょう? 全力で織姫駅をバカにしてたもん。クールと言うより、無愛想だったし! 何で男子ってああいうこと言うのかな」


 はあ、と大きなため息を吐くと、芽依に肩を慰められるように叩かれる。

 

「昨日は聞けなかったけど、挨拶君とはどうなったの?」

「もうっ、挨拶君じゃなくて、相沢君だよ」


 相沢君の名前を口にした途端に、顔に熱が集まる。

 思い出すだけで、恥ずかしくなって俯きがちになってしまう私の反応が楽しいのか、芽依は瞳を輝かせて話を促す。


「相沢君とね、朝の教室で待ち合わせしてるんだ……」


 最後は恥ずかしくて小さな声になってしまう。

 頬の熱を冷ますように、手のひらを当てながら話し終える。


「──それ、デートじゃん!」

 

 私の話を聞き終えた芽依が、目を見開き、頬を上気させて大きな声で言った。電車の中で向けられた数人の目が気になって、慌てて芽依の肩を掴む。


「ちょっと、芽依! 声が大きいよ……」

「あ、ごめんごめん。でも、そんな事になっているなんて思わなかったんだもん。待ち合わせの約束は、どっちからなの?」


 芽依が、先程より瞳をキラキラ輝かせている。

 今度は頬が自然と緩むのを押さえるために、手のひらを当てる。浮かれている自分が恥ずかしいのだけど、自分でもどうしようもなく頬が緩むのが分かってしまう。

 そんな私を見た芽依が「やるな、挨拶君」とにやにやしていた。


◇ ◇ ◇


 下駄箱で相沢君だけ・・の靴を見つけて、嬉しくなる。デート楽しんでね、と言ってくれた芽依と分かれると、教室に向かう足取りが自然と軽くなる。それが何より私の気持ちを表していた。


「渡辺さん、おはよう!」

「相沢君、おはよう」


 教室に入ると、ふわりと甘く笑う相沢君に挨拶をされる。

 相沢君の回りがキラキラと星が瞬くみたいに煌いて見える。朝一番に会えた嬉しさで、ときめきが募る。


 二人で朝のベランダに出ると、春らしいかすみがかった空に、あわあわとした綿あめみたいな雲が浮かんでいる。

 相沢君がベランダの手すりに持たれかかり、顔をこちらに向ける。目線が同じ高さになり、真っ直ぐに見つめられると、心臓が踊り出したみたいに、どきどき煩くなっていく。


「そういえば、渡辺さんって何駅なの?」

「えっと、織姫駅だよ……」


 相沢君の反応が気になるのに、その言葉がどんなものか分からない怖さに、ほんの少し俯き、無意識にブレザーの裾をくしゃりと握りしめてしまう。


「織姫駅なんだ。可愛い名前だよね? 渡辺さんみたい」

「ふえ?」


 意外な言葉に、思わず間抜けな声が出てしまった。

 相沢君は気にする様子もなく、腕をこちらに伸ばすと、頭をぽんぽんと撫でる。


「可愛いって言われない?」


 相沢君の大きな手が、ぽすっとそのまま頭に置かれている。相沢君の手は、前髪に向かって撫でたり、優しく撫で続けたまま、目を細めて見つめられる。


「い、言われ、ないよ……」


  相沢君に見つめられると、頬が熱くなる。赤くなった顔を見られたくなくて、俯いて首を横に振る。緊張したせいか、声が震えてしまい、ますます恥ずかしくなってしまう。

 可愛いなんて男の子から言われた事なんてない。

 特定の人からは、可愛いものが似合わないと言われるし、それ以外でも、いつも駅語りで反論しているから、可愛くないと思われていると思う。


「そうなの? 葵って名前、可愛いのにな」

「へっ?」

「渡辺さんの名前可愛いよね」


 今度は違う恥ずかしさで顔が痛いくらいに熱くなる。可愛いは、名前の話だったのに、私が可愛いという意味かと思っていたなんて、恥ずかしくて穴があったら入りたい、いや、埋めて土をかけてもらいたい。

 一人で赤くなって、あわあわしていたら、相沢君がぽんぽんと頭を撫でる感触と、ねえ、と呼び掛けられて、顔を上げた。


「俺も葵ちゃんって名前で呼んでいい?」


 甘く笑う相沢君が眩しくて、こくんと頷いた。


「じゃあ、俺のことも名前で呼んで」


 相沢君の目が、次の言葉を期待するようにこちらに向けられていた。


「け……圭、君?」


 心臓が飛び出すかと思うくらい、どきどきした掠れた声で遠慮がちに言うと、圭君が嬉しそうに何度か頷く。


 目を甘く細める圭君と見つめ合う。顔が熱くて、耳が痛いくらい心臓がどきどきしている。でも、目は惹き寄せられたみたいに離せない。

 圭君が、ふっと笑う。


「もうすぐみんな来るから教室戻ろっか——葵ちゃん」

「う、うん……」


 ぽんぽんと頭を撫でていた手が離れていく。

 圭君に覗き込むように視線を合わせる。ふわりと柔軟剤の石けんの香りが鼻を掠める。


「名前だけじゃなくて、俺は、葵ちゃんが可愛いと思うよ」


 顔からぼんっと音がしたと思う。

 圭君が爽やかに笑うと、先に教室に戻って行く。不意打ちなんて反則だよ、と心臓が飛び跳ねて止まらない胸を押さえて思った。

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