第6話 初めて会話をした日

「……じゃ、じゃあ、もうそれ着てればいいんじゃないですか? 今、季節秋ですけどね。絶対寒いでしょうに」


 裸エプロン状態の保野を直視できず、俺はチラ見しながら彼女に言う。


 保野さんは小さく首を横に振って、何やらもじもじしながら返してきた。


「大丈夫なんです。傍にあーくんがいるから」


「い、いやいや……俺は暖房器具か何かですか? そんなあなたを暖める機能なんて持ってませんからね?」


「持ってますよ。あーくんは、傍にいてくれるだけで私の体を火照らせるんです」


「っ……。そ、それはあなたの心と体の能力ですよ。俺は何も持ってません」


「謙遜しないでください。一度私を抱き締めてもらえれば実感できると思います。急速に私の体温と肌色が変わっていきますので」


「だからそれは俺の力じゃなくてですね……」


 言いながら、ため息をつく。


 このやり取りは堂々巡りにしかならない。


 彼女の言うことを否定し続ければ、いずれ俺の方に急接近し、そのとんでもなく魅力的な体をグイグイ押し付けてくるかもしれない。


 そうなればもう、俺は理性を保ち続けることができそうになかった。


 保野さんは危険人物。超絶ストーカーなのだ。


 俺の監禁作戦によって心を入れ替えさせるまで、そういうことはなるべくしない方がいい。


 ……たぶん。


「ていうか、保野さん? ちょっといいですか?」


「はい? 何ですか? ダーリン?」


「うん。せめてそこはあーくん呼びでキープしといてください。それもまた良いものなのかと悩むんですが……まあ、とにかくあーくん呼びで我慢して」


「うふふっ。わかりました、仰様。……きゃっ」


 言って、保野さんは両頬を両手で抑え、恥ずかしそうにする。


 腰もくねくねさせてるし、そのせいで大きい二つのお山も揺れていた。


 すぐに目線を別の方へ逸らす。


 逸らして、俺は本来聞こうをしていたことを切り出した。


「こ、これは……その聞きたかったことなんですけど……」


「何でもお聞きになってください。あーくんになら、私のどんな秘密でも教えちゃいます」


「ありがとうございます。……じゃあ、何ですが……」


「はい」


「保野さんは、どうして俺なんかをストーキングし始めたんですか……?」


「どうして、ですか?」


「は、はい。もっと言えば……これは自惚れになっちゃうかもしれないけど……なんで俺なんかを好きになってくれたのかなって」


「……」


「あっ……! こ、答えにくかったらいいんです! 本当は俺のことなんて好きじゃなくて、ただ利用できそうだったから付け回してたとか、そういうのでも全然……!」


「……私は……」


「な、なんかすいません! こんな自惚れ質問! 保野さんみたいな綺麗な人相手に!」


 頭を掻きながら自虐に走る俺。


 自分のこういうところが嫌いだ。


 もっと堂々としていればいいのに。


 本当にそう思う。


 ……でも。


「大丈夫です。答えにくいこともないですし、あーくんを騙そうだなんて一ミリも思っていません。私、あーくんのことが心の底から好きなので」


 クスッと笑い、彼女は視線をやや斜め下にやって続ける。


「5月……6月頃でしょうか? 私、大学入学を機に一人暮らしを始めたのですが、ホームシックに陥ってしまって……」


「え……」


 なんだか意外だった。


 保野さんのようなタイプはそういうのにならない印象だ。


「友達を作るのが苦手で、サークルに入ることもせず、ただ学校と家の往復を繰り返していました。周りに何かを相談できる人もいなくて……夜になると毎日お母さんに電話して……大学を辞めようかとも思ったりしたんです。実家から通える場所に入学しようか、と」


「……そうだったんだ……」


「はい。……でも、ある日のことです。その日はちょうど雨が降ってて洗濯物が乾かず、コインランドリーを利用したんです。横に中華料理屋さんがあるところ」


「え……あそこ……? あそこは確か俺も……」


「はい」


 頷いて、保野さんはにこりと微笑んだ。


「そこで初めてあーくんとお会いして、その時私たち、少しお話をしたんです」


「え……! そ、そうだったの?」


「はい。でも、あーくんが覚えていないのも無理はないです。私、その時ちょうど黒帽子とマスクをしてて、顔がちょっと隠れていたので」


「な、なるほど……」


「塞ぎ込んでた時期でしたね。仕方なし、です」


「……今はこんなにも開放的なのにね」


「それはあーくんと一緒にいるからです。私、誰にでもこんな恥ずかしい姿見せたりなんてしません。あなただけが特別なんです」


「っ……」


 よくもまあそんな大胆なセリフを……。


 俺は彼女の方を見ることができず、ただ視線を下にやって作り笑い。


 返す言葉も簡単に浮かばなかった。


「コインランドリーで私はあーくんとお話ししました。そこで、あなたが同じ大学の人文学部に通う一年生だということも知った」


「……う、うん」


「相談したんです。一人暮らしをしてて、寂しくて悩んでるって」


「……そういえば、なんか思い出したかも……」


 もちろん、その時何を話したかまでは思い出せない。


 だけど、俺は確かにコインランドリーで顔のよくわからない女の人と会話をした。


「思い出しましたか? じゃあ、あーくんが私にどんなことを話してくれたのか、それも覚えてますかね?」


「ごめん。そこまでは覚えてない。でも、確か本当に何気ないことしか俺は言ってないような……」


「はい。何気ないことでした。何気ないことでしたが、私はそれがすごく嬉しくて……」


「っ……!」


 保野さんが俺との距離をさらに縮めてくる。


 綺麗な顔が、俺の顔に接近する。


「あーくんのことを一気に好きになってしまったんです」


 言って、クスッと笑う彼女。


 俺はもう、しどろもどろになりながら戸惑うしかない。


 何だ? 俺はいったい何を言ったんだろう?


 問いかけてみても、保野さんは「秘密です」と口元に人差し指を当てた。


 いちいち仕草があざといと言うか……。


「その時が来るまで、この秘密は取っておきましょう。さて、あーくん。私と一緒にお風呂に入りませんか? お背中どころか、前の方もすべてお洗いしますよ?」


「大丈夫です。お願いですから一人で入って来てください」


 俺がそう言うと、保野さんは珍しく素直に従ってくれた。


 その足取りはどこか普段以上に軽やかで、ご機嫌のような気がして。


 俺は、彼女から背を向け、何気なく窓の方を見るのだった。


 何を言ったか、と小さく呟きながら。

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