(ショート)じはんき

アルビレオ

じはんき


 ××県I市■■町の住宅街にひっそりとある自販機に幽霊が出る。 


 そんな話を聞いたのは数日前だった。彼、一ノ瀬はその話を聞いた時にはうへぇと声を出した。何故なら通勤路のすぐ近くだったからだ。


 一ノ瀬スバル、四〇歳目前の独身男性。新川電機 I市工場に勤務するライン工だ。特技も特筆すべきことも無い。 あるとすれば、アマチュア作家であると言えるだろう。もっとも何か作品を発表できれば、だが。







 その噂を聞いたのは、ダラダラと何もしないまま出勤せいかつの中の変わり映えのしない昼休み。社員食堂で隣に座った同僚からだった。


曰く、幽霊が出てあの世に連れていかれる

曰く、現れた神によって神隠しに合うだろう

曰く、幽霊によって魂が引き裂かれてしまう


曰く、曰く、曰く、曰く――――――――



「オレなんかでもネタさえあればもっといいのが書けるのかもしれない」


そう思いついた一ノ瀬は数日後、その自販機に車を向けたのだ。目的地は自宅から工場までの通勤路から少し外れ、数分の遠回りになるだけ。住宅街と言っても裏道としても知られ、朝には車の往来が激しい所だ。


「――――ほんとただの住宅街じゃねーか」


 右手は比較的新しい家から古い家まで様々な戸建やアパートが見える。今は深夜0時近く。殆ど灯りも音も無い。左手には丘が続いており、古そうな家々が斜面や林を縫うように作られている。寺や墓もあるが、田舎ではそう珍しくない。


 古びた団地、介護施設、小さくも真新しい建設会社。特に恐怖を誘う要素は無かった。


「お、あれか?」


 潰れてしまったらしい小さな居酒屋の前に煌々と光を放つ自販機が三つ。少し手前で車を停車させ、一ノ瀬は車から降りた。スマホのライト片手に近づく。車道の向こうには住宅街が広がっているが、居酒屋は林と丘に飲まれるようにポツンと有った。自販機はジュース、酒、タバコの三台のようで大きさもバラバラだ。


「うわ、汚な。いつの時代の自販機だよ」


 ジュースの自販機は五種類ほどしか販売してない昭和の自販機だった。しかも自販機全体がコケなのかカビなのかで緑や黒でおおわれている。 酒の自販機もタバコも電子マネーは疎か年齢確認機能すらない。同じく薄汚れていて、購買意欲というものをがっつり削っていく。


 街灯が少ない地域の灯りで目立つが、それだけ。薄汚いが、それだけ。林の向こうは暗闇が続いているが鈴虫がりーんりーんと可愛らしく鳴いてどこか迫力に欠ける。


「時間の無駄ったなー。ちょっと期待してたんだけどな」


 彼の期待とは書く事のネタなのか、それとも己の何かを打破してくれる受動的な異世界転移のような期待か。もしかしたら両方かもしれない。


「バカしてないで仕事行こう」


 そう踵を返した時。


 


 木々か雑草が音を立てた。風も無い、生ぬるいだけの夜。いつの間にか虫の鳴き声も聞こえない。


「っ……」


 ごくりと唾をのむ音が響く。一ノ瀬は木々をじっと見つめ、音の正体を探ろうとする。


がさがさ、がさがさ


 背の高い雑草が音を立てて揺れた


「だ、誰だ!!」


 物音がピタリと止み、数秒。


「あ、あのーあはははは」

「え!?」


 出て来たのは少女だった。紺とも黒とも見える色のセーラー服、サイドテールをした髪型。身長は150cmくらいだろうか。幼さと大人のハマザ特有の魅惑がある顔立ちをしている。その顔は何処か苦笑いのような誤魔化しのような笑顔が浮かんでいた。


「あー……あの、見逃してもらえます?」


 手にはビール缶。 どうやら古びた自販機から購入したもののようだ。


 緊張感が解けて、脱力と面倒さを感じた一ノ瀬。彼はにへらと笑い、手を振った。


「いやあ、言わないよ。大丈夫、大丈夫。じゃあ、オレは行くから」

「あー待って待って、信用できない!」


 そう言って少女はポケットから小銭を取り出し自販機に投入した。ボタンを押して出て来たものは『さいだー』と書かれたレトロデザインの缶。250mlの細長い物だ。 


「はい!」

「は?」

「口止め料」


 安いな、と一ノ瀬は感じたがもらえるだけマシとも思いなおし手に取った。


「おう、さんきゅ。じゃあ遠慮なく」


 ぷしゅっと音を立ててプルタブで栓を開け、ぐびぐびと飲んだ。


「えと、どうしておじさんはどうしてこんな夜に?」

「あーなんだかここにお化けが出るって話でな、仕事前に」


 そう言って一ノ瀬はエンジンを止めた車を指さした。


「なるほどなるほど」

「そういうキミは未成年飲酒?」

「あははは、そんな所です。イマドキのちゅーがくせーにも悩みもあれば、飲みたい時もあるんですよ」

「ふぅん、大変だねぇ……」


 飲み終わった空き缶をぐしゃっと潰して一ノ瀬は気の無い返事をした。


「そういうおじさんも悩み事あるんじゃないの?」

「はぁ?」

「うふふふ」


 少女はセーラー服の胸の部分を持ち上げた。大きくは無いがそれでも女性らしい膨らみの形が如実に露になった。 


「おじさんはさ、何にもないマイニチがつまらないと思わない?」

「え」

「どうして自分には主人公のような幸運が降ってこないんだって」

「……っ」

「そーいう事があれば自分もナニカなれるのに、って」

「オ、オレは……」


 コンプレックスを言い当てられた事も誘惑にも混乱し一ノ瀬が固まった。その間に少女は一ノ瀬の手を取ると自分の胸に導いた。


「それは、もしかして今じゃないかな。ほら」


 一ノ瀬の手の上から自分の手を被せ揉ませるように動かした。


「っっ!」


 張りがあり、柔らかさというよりは弾力で押し返されるイメージだった。その感触に、性欲よりも面倒さが勝っていた気持ちが傾く。それを感じ取ったのだろう。少女は笑みを浮かべて自分の腕と手を一ノ瀬の腰へ回した。


「刺激的な体験、しない?お金なんかいらないよ、ただ私がシたいだけ」

「そんなこ、と」


 少しばかりの理性が一ノ瀬を押し留めた。正義感や常識では無く、トラブルに巻き込まれる可能性という方向だが。


「どうして?私には父がいないくておじさんにせーよくを感じる変態かもよ?」

「……」

「ムズかしい事なんてなくて、ただの変態かも。ね、おじさん」


 少女は身体をぐっっと押し付けた。甘い桃のような果実の香りと暖かさ。一ノ瀬の興奮が下半身に集中する。


「ふふふ、じゃあ……」


 女の子の空いた手が一ノ瀬の股間に伸びる瞬間、彼は両手でぐっと女の子を離した。


「どうしたの?」

「――――ダメだ……」


 力なく、しかし、はっきりと拒絶した。心臓は興奮でバクバク音を立て、血は起立をもって主張し、快感のまま覆いかぶさる妄想が脳を支配していた。それでも。


「オレ……なんかより……もっと相応しい人間が居るよ」

「だから身体を大事にって?そんな事ないよ、おじさんが相応し」


 言葉を言い切る前に一ノ瀬は首を振った。


「違うよ、違うんだ」

「――――」


 女の子の目がすっと細くなった。


「そう。アナタのは諦めと劣等感だったんだ」

「…………」

「ふふふ、最後には自分よりももっと相応しい人に取られるんじゃないかって?それなら手を出さない方がいいって事。被害妄想もここまでくれば凄いね」

「………………悪いかよ」

「ううん、そこまで思い詰めてるなら止めてあげる」


 少女はパっと身体を離した。


「でも、私がおじさんとシたいのは本当。もし気が変わったら来てね」


 その言葉に一ノ瀬は返事もせずに走ってその場を離れた。



 


げっそりとした顔をした一ノ瀬が出勤したのは、就業二、三分前のギリギリだった。


「一ノ瀬どうした、今日はやけに疲れてるな」

「実は……」


 一ノ瀬は同僚に自販機で少女に会った事を話した。もちろん誘惑の話はせずに未成年飲酒の話だけだ。


「……は?」


 しかし、同僚は「何を言っているんだ」という顔だった。


「お前、俺が話した噂を最後まで聞いてたか?その自販機は去年だか、一昨年くらいに撤去されてるぞ。 イタズラや肝試しで騒音問題になったからな」

「え」


 少女は、そして彼が飲んだ物は一体何だったのか。


ぐねぐね、ぐねぐね


 一ノ瀬は胃の中で何かが蠢いたのを感じた。

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