竜と踊り子の章
第9話 旅の踊り子
――――こんなところまで自分の脚で来たのはいつぶりか。リューイが去ってから、もう3年目である。竜皇国では、竜皇の代替わりが告げられた。ここ数年は体制を整えてるだのなんだので、竜皇国はバタバタしているようだが。
俺もそれくらいバタバタとせわしなく過ごせれば良かったのだが。
冬を隠れ家で過ごしても、どうしてもこうしても、あの顔が、声が、言葉がちらつくのだ。
『お帰り』と笑顔で出迎えるあの子の顔が。
寂しさと言うものなんて、とうの昔に忘れたはずなのに。春になっても、雪と共に記憶は溶けてくれなかった。忙しさにかこつけて仕事に没頭しても、ふとした瞬間に思い出してしまう。だからこそ、せめてひとの声のする場所へ。
……この見た目が暴かれれば、居場所なんてないが、気を張りつめ、ひとの雑踏の中にいる方がまだましだ。
久々の旅と言うものも……悪くはない。俺が隠れ家に引きこもっている間に、外の世界がこんなに変わったのだと分かるから。
近隣の街には降りていたとは言え……それだけでは分からないことも多いな。
すぐ側を、黒髪の少女が駆けていく。そういや、昔もこんなことがあったな。
旅の踊り子時代。理解のある座長と共に、旅芸人の一員として同行していた。
俺は決してベールを外さず、エルフ耳を隠し、人間のふりをして舞っていた。
だが、ふと近付いてきた黒髪の少女が、興味本位でそのベールを取り払ってしまったのだ。
あの頃は……俺も油断していた。今でこそ、ベールやローブのフードを被れば、風ですら翻せないよう、結界の力で防御しているが。
あの頃は突如ベールを取り払われてエルフ耳が明かになり、そこに偶然エルフの客もいたものだから、『黒髪のエルフ耳などあり得ない』『混ざりもの』だとバレ、よくも混ざりものを騙して見せてくれたと観客たちから金を返せと旅芸団が責められた。
座長もほかの団員も、それでも俺を守ってくれたが、このままでは世話になった一座まで苦しむことになる。
だから俺はその場で踊り子をやめ、旅芸団を抜けることにした。俺が人間のふりをして旅芸団を騙していたことにした。そうして……旅芸団は首を繋げた。
それでいい。俺は幸せになれなくていい。混ざりものだと言うだけで不当な扱いを受けるこの世界で、俺たちを理解してくれるひとたちが、幸せであれるのなら。
踊り子でなくてもいい。夢など叶わなくてもいい。俺はひつそりと太古の森の奥で、変わり者の錬金術師として暮らすだけだ。
ふと、広場を見れば、旅芸人たちが芸や舞を披露していた。……懐かしいな。
俺が旅をしていたのは、もう百数十年前のことである。
座長も、ほかの団員たちも、短命種ばかりだったから、きっと俺を覚えているものたちもいないだろうに。何故か旅芸人たちに、懐かしい顔を探してしまうのだ。
「……いけないな」
これ以上、変な期待なんて持たぬよう、その場を後にしようとした時だった。
「放してください!」
少女が男に手首を掴まれていた。
「黙れ!お前、ハーフエルフだったんだな!?騙しやがって!」
揉みあったのか、少女のフードはバサリとあらわになっており、ローブの隙間から踊り子の衣装が垣間見る。
……またか。また、混ざりものだからと因縁を浸けられる。百何十年経っても変わりやしない。
この世界は……くだらない。
「やめろ」
少女の手首を掴む男の手首を捻り上げれば、男が悲鳴を上げながら少女の手首を放す。その隙に男を地面に突き飛ばせば、烈火のごとき目を向けてくる。
「てめぇっ!同じ人間のくせに、ハーフエルフ何ぞを庇うのか!」
「同じ……人間……?ふざけるな。てめぇみたいなやつと同じ人間になんて、なりたくねぇ。あと俺はな、人間じゃない」
自らローブのフードを取れば、完璧なエルフではあり得ない、メラニンの濃い黒髪と、不釣り合いな長いエルフ耳が姿を現す。
「え……るふ……?」
エルフは決して俺をエルフとは認めないくせに、人間はエルフもハーフエルフも混ざりものも、耳の形でしか判断できないのか。
「俺はエルフでもない。人間でもない。だけどな、そうさせたのは……お前らだろう」
完璧な人間、完璧なエルフ、完璧なその種族がそうさせた。
そう呼んだ。
純血であることに、何の意味があるのか。純血であることが、そんなに偉いのか。
多種族の血を受け継ぐだけで、どうしてこうも、貶されなければいけないのか。
200年経っても……分からない。
「ま、混ざりもののくせに!」
「そこまでにしてもらおうか」
その声は、知っている声よりも少し低くなって、喉仏が出ているように思うが、それでも誰なのかが分かる。
懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「りゅ……竜人」
男は世界で一番力を持つその竜人に、腰を抜かしたように呆ける。
「悪いな。私もまた、師匠と同じ混ざりもの」
あからさまに、普通の竜人ではない覇気を醸し出しながら、男に迫る。
「だが、混ざりものと言うだけで師匠を貶めることを言い続けるのなら、私が直々に相手をしてやろう」
その覇気に、男はしどろもどろになりながら、狂ったように踵を返す。
彼らの中には、混ざりものは彼らよりも弱い……そんな訳の分からない感覚でもあるのだろうか。
だがしかし、世界最強の混ざりものは、世界最強の存在である。
混ざりものと言うだけで蔑むような小さい奴らには、到底かなうことはない。
「お怪我は」
「……リューイ……」
久々に見るリューイの顔立ちは、最後に見た時よりも、凛とした面持ちである。もうすっかり、皇の佇まいである。
「俺はいい」
本当は嬉しいはずなのに、素直に喜べない。何故リューイがここにいるのか、俺の居場所が分かったのか、見当もつかないが。
リューイをぽすんと押し退ければ、強引に俺を留め置く気はないのか、リューイの身体はゆっくりと退いた。
そして驚いて目をしばたかせる少女に目を向ける。
「怪我はないか。手首は」
「だ……大丈夫です」
「ならいい」
「その……」
少女がフードを被り直したところで、立ち去ろうとすれば、少女が咄嗟に俺のローブを摘まむ。
「あの……クロムウェルさま」
「……っ」
何故……俺の名前を。
そしてその時、遠くから誰かを呼ぶ声が近付いてきて、少女に合流する。それは人間のようであったが、構わず少女に優しく寄り添った。その面持ちは……遠い昔に見知った顔を思い起こさせる。
「あの……クロムウェルさまが、助けてくださって……」
「クロムウェル……さま……?」
人間の青年が驚いたように俺を見る。
「間違いない……あなたは……クロムウェルさま」
「何故……俺の名を」
「先祖代々伝え聞いています。身を犠牲に団を守ってくださったと……!けれど、ただの旅芸人である我々は、あなたのために、何も出来なかったことも」
あぁ……そうか。
長命種と言うのは、昔の知り合いの子孫に会うと、何故か懐かしさを覚え、愛おしく感じるのだと。
たとえ子孫が知っていようが知っていまいが。
「別に犠牲になんてしてない。俺は勝手に踊り子をやめて、団を抜けただけだ。だから子孫のお前たちが気にやむことじゃない」
「ですが……」
「俺は、座長の意思をお前たち子孫が受け継いでいるだけで満足だ」
少女青年に向ける信頼の情は、寄り添うその姿でよく分かる。
それだけで、嬉しいのだ。懐かしい……あの頃を思い出す。忘れてしまっていた、旅の道中の賑やかな会話も思い出す。遠い昔に教えてもらった異国の旋律も、舞も、言葉も、色鮮やかに。
長命種と言うものは……不思議な生き物だ。
「元気でな」
そう言うと、2人は静かに頭をさげてきた。
これからも、お前たちだけは、忘れないでくれればいい。
そこにまだまっすぐな、意思があり、それを受け継いでくれるのならば。
そっとその場を立ち去るように踵を返せば、まるであの頃のように、子竜がとたとたと追いかけてくる沓音がついてくる。
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