光と影

第58話

 目を覚ましたら、翔は病院のベッドで寝ていた。体中がひどく痛かったが、手も足も問題なく動くし、生きている。医者の先生が来て問診らしきことをした。まだ喉が傷んだが、翔は喋れるようになっていた。


 会話ができることを確認された後は、医者の先生と入れ替わる形で二人組の警察官が病室に入ってきた。

 事件当日のことについて、根掘り葉掘り聞かれた。翔は嘘偽りなく、正直に答えた。男のアパートに不法侵入してしまったことは間違いない。そのときは冷静さを欠いていたとはいえ、やってはいけないことをした。それに、先に手を出したのは翔の方だった。

 罪に問われることを覚悟した。今まで短いながらに積み上げてきた人生が、終わってしまうような気がして、話しながら声が震えた。


 だが、警察官は翔に対して、厳重に注意するだけに留めた。

 理由は、相手方の男が度々ご近所トラブルを起こすような問題のある人だったということ。被害者の女性を助けるために翔が巻き込まれた形となるため、正当防衛扱いになるということだ。先に事情聴取を済ませていた、一番の被害者であり目撃者でもある女の子が、翔の無実を強く主張していたため、それを重要な証言として扱うことになったらしい。

 ちなみにその女の子は誰なのか、と翔が尋ねたら、警察は「虹ヶ丘姫奈さんです」と答えた。


「安心してください。彼女に外傷はありません。今は警察に保護されています。……ですが、精神的なショックが大きいようで、怯えている様子でした」


 この件を警察に通報してくれた千雪も、事情聴取の際に、翔に非がないことを必死で訴えてくれたらしい。

 その後、翔の両親が病院に来て、一緒に東京へ帰ることになった。旅行に行くことに関しては事前に両親の許可を得ていたのだが、事件のことに関しては大いに彼らを驚かせてしまう結果になってしまった。

「翔が無事でよかった! もう私どうにかなりそうだった」と、母は体中の水分が無くなるほどの勢いで涙を流し、父は「もう二度と俺たちに心配かけるなよ」と翔の頬を張った後、力強く抱きしめた。



 東京に戻ってからも、夏休みは続いた。翔は部活に所属していないので、時間だけは無限にあった。だが、それを無駄にすることはなかった。宿題を早めに終わらせ、まだ一年以上先の受験のことを見据えて積極的に勉強に取り組んだ。

 勉強以外の時間はアルバイト。それから、夜はランニングと筋トレに精を出した。ご飯も、今まで以上に食べるようになった。物は試しでプロテインまで買った。


 筋トレもランニングも、決して喧嘩に強くなるために行っていたわけではない。精神力を鍛えるために行った。人間として強くなることを心に誓って継続した。


 そして、日々の生活を意図的に忙しくしていたのには、もう一つの理由がある。

 時間があると、そらちゃんのことを、姫奈のことを考えてしまうからだ。


 ずっと憧れていたそらちゃんの正体は、姫奈だった。

 言われてみれば最初から、そらちゃんが姫奈である証拠はあった。影が無い人なんて、そらちゃん以外に会ったことがなかった。


 でも、どうして彼女は、それをずっと黙っていたんだろう。タイムカプセルの手紙を見つけたときも、まるで他人の手紙を見つけたようなリアクションをしていた。

 姫奈のことを少しでも考え始めると、次々と疑問が湧き出てきてしまう。


 直接話せたらいいのだが、彼女とは、事件の日以来会っていない。アルバイトにも、ずっと彼女は顔を出していない。心配で心配で仕方がない。SNSにメッセージを送っても、一日後に既読がつき、忘れたころにスタンプが返ってくるといった具合だ。家に行こうにも、姫奈の現在の住所は知らなかった。 


 ある日、恭子さんが、姫奈がアルバイトに応募してきたときの履歴書を引っ張り出したことによって、彼女の住所が判明した。恭子さんは、その日シフトに入っていた翔とみみちゃんに特製のケーキを持たせ、お見舞いに行っておいでと促した。

 二人は姫奈の家を訪ねたが、彼女は留守だった。結局ケーキはラブラビに持ち帰って三人で食べたのだが、半分も残ってしまった。


 恭子さんは姫奈のことをどこまで知っているか分からないが、翔たちには姫奈に関することを何も話さなかった。食事中はいつも通りの会話をして、残ったケーキは「姫奈ちゃん用だから」と冷蔵庫にしまっていた。


「あの子のことだから、きっとすぐ戻ってくるって。私たちは姫奈ちゃんが戻ってきた時のために、やれることをやろうよ。いつも通りにさ」


 恭子さんの一言のおかげで、自分事のように落ち込んでいたみみちゃんは元気を取り戻した。

 翔は、二人に姫奈のことを話さなかった。デリケートな問題だから話していいか分からなかったし、なにより恭子さんの一言で、姫奈が戻ってくることを信じようと思えたからだ。


 それから翔は毎日、様子見を兼ねて、姫奈にまかないを届けに行った。インターホンを押して、玄関扉の横にまかないを置いておく。次の日にまかないを届けに行くと、前日のまかないが無くなっている。その方式で、姫奈の生存確認を行っていた。

 もちろん心配な気持ちはあった。だが、姫奈に無理をさせないよう、とにかく待った。

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