【羽を広げて】 後編

「愚かなり姫若子!自ら死地に入りよったわ!」


 馬上の兼定が嬉しそうに言った。言葉だけでは喜びの表現が足りないのか鞍を手で叩いてもいる。


「これならば、幡多を取り戻すどころか、土佐の全てを手に入れられましょう」


 そばに控えた者たちもそんなことを言って追従する。


 その追従によってさらに上機嫌になった兼定は、もう土佐を手中に収めたつもりで、どこそこの土地をあやつに、あの城をそやつに、などとまだ仕留めてもいない狸の皮の値踏みをするが如く愚かな行為を始めた。


 しかし、兼定が勝ちを確信するのも無理はなかった。敵は四千であり、こちらは六千である。おまけに元親勢の前後を扼すように展開しており、もし、彼らがどちらかに攻撃を始めれば一方の部隊が後方を衝ける。


 おまけに、両部隊の前面には、川沿いに逆茂木や柵を植えており、敵の強攻に対して、耐えるどころか撃退することも可能な防備を整えていた。


 夕暮れ。小舟が一艘、中村を迂回するように渡川の南方を渡ってきた。これは、東側にいる別動隊からくる定時連絡であった。いつもであれば、異常がない事を確認するだけの定例行事であったが、今回は違った。


「そちらの備えが、元親めに壊されたというのか?」


 その兼定の問いに、報告に来た伝令は、短く、肯定の意を示す返事をした。


 兼定にとって何とも面白くない報告であった。まだ河川の障害があるとはいえ、東部を流れている後川はさほど大きくない。もし万が一、そこを衝かれたら部隊が壊滅する恐れがあった。


「戻って日が明けるとともに急いで修復するよう伝えよ。まあ、あやつがその隙に気づくとも思えんが……」


 将にとって、敵を見くびるという行為程危険なことは、無い。たかをくくってしまえば、相手の行動が自分の予期できる範疇のものであっても、事前の対策を怠ってしまうからである。




 朝と言ってもまだ薄暗い時間帯。兼定は鬨の声で起きた。


「何事ぞ!?誰ぞ見てまいれ!」


 元親勢が動き出したのであろう事は分かる。鬨の声の遠さからして別動隊が攻撃されているのであろう事も分かる。だが、その詳細を知りたかった。もし本格的な攻勢であるならば急いで発たなければならない。


 近習の者に具足を着けてもらいながら、兼定は詳報を聞いた。


「……ふむ。元親勢の大部分が別動隊に攻撃を仕掛けているとな……。こちらへの抑えはどうだ?」


 渡渉しながらの戦闘は攻撃を仕掛けた側が不利になる。攻撃を受けている我が方は寡兵とはいえしばらくは持ちこたえるであろう。


 別動隊が持ちこたえている間に中村を一挙に占拠しよう。そう考えての問いであった。


「はっ!こちらの側からは数百の兵しか見えません」


 薄暗い時間帯であるため完全に信用はできないが、別動隊に攻撃を仕掛けているという状況を鑑みれば妥当な数字であると言えた。


「……出るか」


 好機であった。今出撃すれば中村の占拠はもとより、敵を挟撃することも可能である。


「諸将に陣触れを!それとルイス殿をお呼びせよ!」


 兼定のそばに控えていた使いが四方に走る。


 しばらくすると、兼定の本陣に、日本人ではありえない高い鼻と茶色い髪をした男がやってきた。


「おお。ルイス殿。急で申し訳ないが、戦の前に説教をお願いしたい」


 ルイスは、兼定が異国に倣って連れて来た従軍司祭である。本領に復帰した際に幡多で布教活動に従事もしてもらう予定であった。


 他の信者たちと共にありがたい説教を受けると、兼定は法螺を吹かせた。ようやく出陣である。空を見ると陽が山際から顔を出そうとしている所だった。


 


 渡川の幅は、川岸で鉄砲を撃てば対岸に届かずに落ちるほど広い。深さも人の背丈より深い所ばかりであり、一か所だけある歩いて渡れる地点も、腰ほどの深さがあった。


 幡多を追い出される前は優美に感じ、敵を待ち構えている時なら頼もしく思えていたが、いざ渡るとなると煩わしく感じられた。


「敵は小勢ぞ!臆せず進めば必ず勝てる!……鉄砲を持っている者は火縄と玉薬を濡らすでないぞ!」


 対岸の河原で待ち構えている敵兵は精々四百。対してこちらは三千。渡渉の不利があったとしても一蹴できる戦力差であった。


 先陣が阻害物を避けながら川に入った。まだ九月であり気温は暑い。水温によって戦闘力を奪われる恐れはなかった。


「二陣も続けや!」


 別動隊を攻撃している敵の本隊がこちらに対応してくる前に挟撃したい。その思いで、部隊間の間隔をやや詰めて前進をさせる。


 先陣の大部分が川の半ばまで渡ると、兼定は、自身の率いる第三陣と後詰も前進させた。


 川の水が溢れかえりそうなほどの大量の人馬が、渡川を一斉に渡る。兼定も水に浸かり始めた頃合いになると、対岸にいる哀れな敵将の姿が分かった。


「あれなるは元親ではないか!?大将であろう者があのような小勢を自ら率いるとは!かように将器のない者が!一時とはいえ土佐の大半を領有しているなどあってはならぬ!誰ぞ、あの者の首を我に馳走せよ!」


 兼定の声が聞こえる範囲にいた者たちが力強く『応!』と返事した。


 その『応』という返事は対岸にいる元親の耳にも届いた。


「……そろそろだね」


 敵の先陣が大分岸に近づいて来ている。その後続たちも、半分程が川に入っている。もう十分すぎるほど引き付けた。


 元親は鞭を持った右手を高く上げて、次に何の指示が下されるのか一領具足に前もってアピールした。何の前触れもなく指示を下すよりも聞き逃しが無いため、余裕があるならいつもこうしていた。


 元親の近くにいるは三列横隊に並んだ四百の一領具足。そして傍にいるは二名の大筒兵とその弾薬手。それら四百と二名に届く声で元親は命じた。


「撃て!」


 戦いを告げる号砲が鳴り響いた。火蓋は既に切らしてあった。


 敵の前進は第一斉射では止まらなかった。もう皆鉄砲という存在に慣れきっており、色々と学習していた。長所として大きな音が鳴る事、鎧を貫通する威力がある事。そして短所として次弾の発射まで時間がかかる事。


 つまり、誰しもが、一射目で射撃が当たってしまった運の悪い者は別として、次の射撃が始まる前に鉄砲兵に食らいつける時間的猶予があるという事を知っていた。それと、火縄銃というものが高価なものだという事も。


 その弱点分析は正しい。実際それが原因で、西欧の方でも当初、鉄砲の兵器としてのポテンシャルに疑問を持つ者が多かった。この戦いでも、河川が無ければ、既に敵に肉薄されて射撃が満足にできなかったであろう。だが、道具というものは使い方次第で評価が逆転することがままある。それは戦う道具である鉄砲も同じであった。


「第二列!撃て!」


 二射目をまだ先の話だと思っていた者の内、何十人かが川中に倒れた。それと同じ数の水柱が立ち起こり、消えていく。


「第三列!撃て!」


 三射目などあるわけないと思っていた者も、何十人か倒れた。それと同じ数の水しぶきが上がり、水面に帰っていった。


 三列に並んだ銃兵が、号令に基づいて、間断なく順次に射撃していく。銃の大量運用がなされていた近世ヨーロッパの戦場ではありふれた光景だった。


 来ると思っていなかった銃撃が立て続けに起き、一条方はひるんだ。もし、それらを無視して突撃を敢行されていれば、きっと、元親は負けていた。


 さっきまで前進していた者たちが立ち止まったという事は、今、彼らの脳裏には『前進』という行動の他にもう一つの選択肢が浮かんでおり、それが『前進』とは相反する行動の為、迷って動けなくなっているのであろう。


 兵士たちの心理を読み取った元親は、彼らに決断するきっかけを与えた。


「大筒!放て!」


 後方にいる、ここまで弾が届くはずが無いと思っていた者が、何人か砕けた。


 川中にいる兵が一人、後ろを振り向いた。それは、後方にいる指揮官に指示を求めようとしての行動だったのかもしれない。だが、周囲にいた者はそれを逃亡の予兆だと受け取った。渡渉可能な水深の箇所は狭い。そのただでさえ狭い地点に千人以上が固まっているのである。誰よりも早く動き出さなければ逃げられない。


 そうして始まった数人の撤退は、みるみるうちに数十、数百の崩壊へと変化していった。


「第一列!撃て!」


 その逃げる背中に、元親は容赦なく弾を浴びせた。この一戦で今起きている土佐西部の動乱を終わらせる。そのためには圧倒的な戦勝が必要だった。


「第二列!撃て!」


 後方にいた敵部隊は自分たちで備えつけた柵や逆茂木などに阻害され、全く退けておらず、敵の大半は、未だに川の半ば程で立ち往生を余儀なくされている。哀れなことに、未だそこは鉄砲の有効射程内であった。


「第三列!撃て!」


 将兵の別なく、弾丸は無慈悲に接触した者の命を奪っていく。だが、味方に踏まれながら溺死していく苦しみと比べれば温情のある死かもしれない。


「大筒!放て!」


 対岸に辿り着いて安堵していた者たちが肉塊と化した。


 銃撃が十二度。砲撃が五度。約千六百発の砲弾丸を投射したところで、ようやく敵勢が鉄砲の射程距離外にでた。


 この一戦で全て終わらせようと考えていた元親は当然追撃を開始した。


「よし!渡渉するぞ!焦って火縄や玉薬を濡らさないように!」


 北から迂回させた、臨時に編成した騎兵隊がそろそろ戦場に到着する頃合いである。もう河川の障害に頼って戦う必要は無い。


 対岸に渡り、元親は自然が作った堤防の上に立った。そこから中村の方を振り返ると、戦場跡がよく見える。


 清流が、赤く汚されていた。




 兼定を伊予国境まで追撃し、東側に配置されていた敵部隊も降伏したことによって、元親は欲していた完勝を手に入れた。


 兼定を討ち取ることは出来なかったが、むしろ土佐人の心情を考えればこれで良かったのかもしれない。下手に殺めてしまえば、元親の評判はきっと落ちる。もはや彼に、そこまでして排除する価値が無かった。


 戦いから一夜明け、元親は中村城で首実験を行った。元親個人としては切り離された首をずっと見続けるのは嫌なのだが、これも大将の務めであるといつも堪えてみている。


 首実験が終わると捕虜との対面が行われた。捕虜の処遇に関しては、他国勢は無罪放免として国に帰す。土佐勢に関しても、恭順を申し出た者は減封で手を打った。戦いとなればそうでもないが、それ以外で血を流すことに、元親は忌避感を持っているからである。長曾我部に従う事を拒否した者も、所領を没収の上、追い出すだけにとどめた。我ながら苦笑したくなるような甘さであった。


 ともあれ、幡多の豪族たちの領地替えをし、長曾我部譜代の者を代わりに入れたことによって、この地域の支配を確立した。こうして、元親は正真正銘、土佐一国を領有する国持ち大名となった。改めて地図を広げてその版図を見てみると、東西に長い。まるで蝙蝠が羽を広げ、頼りなく羽ばたいているようにも見えた。


 最後の捕虜が連れて来られると場内がざわつき始めた。その者は異相であったからである。


 鷲鼻に茶色っぽい髪。そして白い肌。現代人である元親にはすぐに分かった。明らかに西洋人であった。


 修道服らしい格好をしている所から見るに、鉄砲と共に伝来してきたキリスト教。その宣教師だという事が分かる。元親は西洋人と出会った時にある質問をしたいと常々思っていた。だが、その質問しようとした時、英語が出てこなかった。それに加えて、そもそもこの時代に自分の知っている英語は通じるのか、や、英語は共通言語であるのかという疑問も浮かび上がってきた。しかし、目の前の西洋人が流暢な日本語で自己紹介を始めたため、それらの疑問は杞憂にかわった。


 自己紹介によれば彼はルイスと言って豊後から来た宣教師のようだった。兼定による布教の許可の約束によってここまで来たそうであるが、この度の戦でそれもご破算になり、今度は元親に直接、土佐内での布教許可を貰おうとしたところを捕まったようであった。


 元親はルイスに布教許可を出した。神道と仏教の区別が厳密についていない元親からしてみれば、この地に異国の宗教が根付くことに何の嫌悪感も無いからである。


 ルイスの感謝の言葉をひとしきり聞いた元親は、それより、と話を遮り、元親の聞きたかった事を尋ねた。


「……主が生誕したのは今から何年前?」


 元親は、今が西暦何年なのかずっと知りたかった。今まで永禄だの天正だの元亀だの和暦で言われてきたが、それでは何もわからない。おまけに和暦は改元される頻度もいやに多い。


 西暦をここで聞いて、日本史で唯一年代も知っている千六百年の関ケ原の戦い。これが後何年で起きるのかぐらいは知っておきたかった。


 ルイスは、そんな元親の真意を理解していないであろうが、質問には忠実に答えてくれた。


「主がこの世界にお生まれになったのは、今から一五七四年前です。閣下」


「……という事は、今は一五七四年の九月あたりか……」


 その数字を聞いても、関ヶ原の二十六年前だな、という感想しか元親は出てこなかった。これでは知った意味がないではないかと元親は一人で苦笑した。


 


 時間という名の大河が、熱心に小石を投げ込み続けた男の手によって、そのうねりを変え始めている。だが、その変化は、荒れて濁った水流の水底に堆積した僅かな小石の周囲にしか過ぎない。そのため、小石を投げ続ける本人がそれに気づくのは、まだ当分先の事であった。

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