第33話 避難所に頼らないという選択肢の苦悩

 前回までの動画を題材とした考察をしている中で、共通している点と気になった点がありましたので、今回はそれについて考えてみたいと思います。


 元自衛官Aさん、歴史考察動画配信者Sさん、両名に共通している点として避難所には基本的に頼らない、という点が上げられます。


 我々一般人にとって、災害は恐ろしいものであり頼るべき拠点があるというのは誠にありがたいことです。ですが、現実的にその拠点能力が必要水準を下回っている場合、その拠点は手放しで頼れる場所ではなくなります。

 東日本大震災の場合、避難所に避難していてもなお津波に呑まれてしまった例もあるほどです。現在ではそれらの教訓を踏まえ、その場所と能力の拡充も進められているとは思いますが、人間のやることであり完璧とまではいかないでしょう。


 避難所は物資がある程度揃っており頑丈な建物が指定されているのが前提ですので、もちろん有効な手段ではあるのですが、不特定多数の人が集まる場所という点で、それだけでもストレスとトラブルが発生しやすくなります。

 一晩程度ならそれも仕方ありませんが、長期にわたると負担が大きくなります。


 完全に自宅が破壊されてしまった人や、津波に飲まれて命からがら逃げて来た人、あるいは再度の津波が心配される地域に住んでいる人などのために、敢えて避難所に負担をかけないよう自力でなんとかするというのは、なにより他の人のためにもなります。


 自宅が津波浸水地域に含まれている場合は、迷わず逃げるということに変わりはありませんが、自宅の場所が海岸から遠く離れた地域にあり、周辺環境や建物の強固さが担保できているなら、自宅に留まるというのも有効な選択肢の一つになりうるのです。


 特に、戸建て住宅で広い敷地を保有している場合なら、始めから避難所を選択肢に含めず、少し丈夫なテントなどを用意しておくほうがよほど堅実な備えになります。

 余震が続く中、自宅の中にいるのは危険でもあり、怖いものです。そういった際に、家屋の外で滞在、就寝できる場所が確保できるなら、自宅の敷地は心強い拠点ともなります。


 【注意してほしいのは、ということです】


 一旦安全な場所へ避難した上で、その後状況を見て自宅に戻りそこを拠点とするというのも検討するべきだということです。避難所での避難生活者の数は最終的には少ないに越したことはありません。あくまでも一次避難の場所(状況が把握できるまで、一晩だけ身を寄せる場所)として考え、長期に渡る場合は自宅や安全な場所への家族だけの拠点の構築を、考えておくことが大切です。

 高台に広めの駐車場があるなら、車を拠点にするのも有効です。自分にできる範囲で有効な手立てができるよう、環境に合わせた準備しておくことが大切になります。



 そして、個人的に気になった点が一つあります。

 【※以下の内容は動画視聴者のコメントにて得た情報ですので、信憑性については差し引いて考えてください。】


 各動画のコメント欄での少なくない意見として、

『物資の備えをしている人は避難所には行かないほうがいい』

 というものがありました。しかし、その内容が少々……考えさせられると云うか、答えを出すのが難しい内容でもあったのです。


 物資を持って避難所に避難したとします。

 その避難先に、食料その他の物資が避難者全員に行き渡るほど充分に備蓄されていなかった場合──、


 『全員に平等に分配するために、避難者個人の持っている食料等の供出を求められてしまう』

 というものでした。


 これは、些か信じがたいと云うか、実際の現場ではこういう事が起こっていたのかと、少々驚きがありました。


 私自身は、避難所にお世話になった事がありませんので、実情は詳しくはわかりません。しかし実際の現場を想像するに、着の身着のまま逃げて来た人もいれば、リュック一杯の物資を背負って避難してくる人もいると思います。


 ここで考えなければならないのは、

 避難してくる人にもいろんなケースがあり得るということです。


 文字通り津波に襲われて命からがら逃げてきて、スマホの一つも持ち出せなかったという人もいるでしょう。一方、自宅が地震で壊れて身を寄せる場所が無いけれど物資は持ち出せた、という人もいるかもしれません。

 単純に、地震が怖いから人の集まっているところに避難したいという人もいるでしょうし、停電していて不便だから避難所に来た、という人もいるかもしれません。


 どのケースが不適当というものではありません。

 どのケースであっても避難所は平等に開かれるべきだと思います。


 一方で、波に呑まれてどうしようもない人と、家も無事で単に不便なだけの人、を平等に扱うというのは、感情的には納得しかねるかもしれません。

 更にこれが、備えるのが面倒で全く準備もしていない人が、しっかり備えていた人の物資の恩恵にあやかるというのは……流石に平静おだやかではいられないことです。

 中には、波に呑まれて家など全てを喪ったけど物資だけは潤沢に持ち出すことができた、というケースさえ考えられるのです。一概に決められることではありません。


 避難所に物資が潤沢にあれば避けられる問題ではありますが、非常時に完璧を期待するというのはナンセンスでもあります。

 何の備えもしていなかった人と万全の備えをしていた人を、同等に扱うのもおかしな話ですが、とりあえず平等でなければすぐさまトラブルの元になってしまう事でしょう。


 具体的に考えれば考えるほど、悩ましい、頭の痛い問題でもあります。


 コメント内で多く語られていたのは、『生存可能な環境と備蓄があるなら避難所には行かないほうがいい』というものでした。避難所に来るな、という云うのではなく、行くと損をする、理不尽な目に遭う、ということらしいのです。


 ……このコメントを見た時、私自身は素直に頷くことができませんでした。

 ネガティブな感情論を重視するというのはでもあるからです。 

 ですが、本音を言えば……人がいたとして、その人が避難所や他の避難者の物資を便利使いするという状況は、私としても看過できるものではありません。

 コメントにあった一例は、、ということなのかもしれません。

 

 避難所に頼らないことを前提として考えるというのは、残念ながらそういう点でも理にかなっているのです。高齢者の一人暮らし世帯など、やむを得ない事情の人も多くいることですし、そういった人にこそ避難所は開かれるべきだとも思います。

 備えが可能ならなるべく個人単位でそれらを賄い、避難所を都合よく身を寄せる場所としてではなく、中長期的な復旧活動に際しての『人と物資の集まる拠点』と考えれば、その意味合いも違って見えてきます。


 繰り返しになりますが、あくまで、

 『一次避難は必ず行うこと』という前提に変わりはありません。

 そしてその一次避難先は安全な『避難所』や『避難場所』であるべきでしょう。

 そこには、情報と安心があります。


 同時に、一箇所に人が集中するということは、それだけリスクが高まるということでもあります。季節によっては感染症が蔓延することもありますし、トイレの不備で不衛生極まりないケースも考えられます。

 不便ではあっても、自宅を拠点にできるなら可能な限り自宅にとどまるというのは一つの方法として、検討に値するテーマでもあると思います。


 そのためにもまず、情報を素早く手に入れること。

 自身の周辺環境をきちんと理解しておくこと。

 そして、そのための備えは必ずしておくことを、ぜひ忘れないでいただきたいと思います。


 

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