第61話 たちの悪い男の本気
ビズーたちはハズルを連れて去って行った。
残されたのはサヴェスに抱きしめられたままのシィリンだ。
リッテも見送ってくるといって、一緒についていってしまったので、裏口付近で二人きりである。しかしこの体勢はどうにかならないものなのか。
「大丈夫か?」
「はい。なので離してもらってもよろしいですか」
「もう少しこのままでいたいな」
何かお花畑のようなものが彼の頭の中に出現しているのだろうか。
シィリンは窮屈な思いを抱えたまま、現状を無視することにして、サヴェスに忠告する。
「むしろ旦那様の方が身の危険を感じてください。お父様にたてついて無傷だった人はいませんよ」
「いや、それは平気じゃないかな」
「どこからそんな自信がもてるのか、不思議です」
「君の父親はなんというかそこまで私に興味がないように見える」
人を見る目のあるサヴェスの見解は間違っていない。だが、父が少しでも不快に感じたら部下であるビズーたちが黙っていない。確かにサヴェスが叱ったところで、そこまで感情を動かしたようには見えなかったけれど。それで安全だとは言い切れないのではないか。
心配になったが、サヴェスはそれで話は終わりと言いたげだ。シィリンはそれとなく気を付けようと心に決める。
「だといいですけど。後でビズーに釘を刺しておきます」
「君が鋭いくせに鈍感な理由が分かった気がする」
「どういうことですか?」
サヴェスといい、ヴェファといい、なぜシィリンを鈍感と言うのだろうか。
これまでなかった評価にシィリンは少しだけむくれた。
「いや。それより、小さいくせに、時に無鉄砲だし。すぐに自分を蔑ろにするし。目が離せないんだな」
「先ほど父を叱った続きですか?」
「そんなつもりはないが……妻が危なっかしいと、心配になる」
「はあ、すみません」
「君が聞き流すのが上手いのも考え物だな。いいか、よく聞け」
意を決したようにサヴェスはシィリンの栗色の瞳を覗き込んだ。
「君は私の妻だ。未来永劫――これを違えるつもりはない」
「理想の婚家に嫁いだと言いましたよね。離縁するつもりがなくなってよかったです」
「君に言いたいのは、私の妻というところだ」
「はい」
「私は君が欲しい。もちろん体ごとだ。部屋から一歩も出さずに閉じ込めて、鎖につないで貪るのもいいな。快楽づけにして、私に溺れさせて堕としたい」
「はい!?」
一つも聞き流せる要素がなかった。
どこのゴシップ紙の悪い男だ。
それは決して抱いていない妻に言う台詞ではない。火遊び相手にだっていうべき台詞ではないが。そんな情熱的で執着心の強い台詞を吐いて、一夜で捨てていたら刃物を持って襲われても文句は言えないだろう。
「私は意外に嫉妬深くて、諦めの悪い厄介さもある。そんなたちの悪い男を本気にさせたんだ、責任とって償ってくれるだろう?」
「そんなことした覚えがこれっぽっちもないんですが!?」
なんだ、たちの悪い男の本気って。
いやサヴェスが散々女性たちと遊んでいたことは知っているけれど。でもゴシップ紙は架空だと言ったのは彼だ。ということは、いったい全体どういうことだ!?
シィリンは混乱して、本気で泣きそうになった。
「君が洗濯物を干した自室に私を招き入れた時、衝撃を受けた。あんなに心揺さぶられたことはない」
「正気ですか!?」
「それで、すっかり惚れたんだ」
「そんなこと知りませんけどっ」
ゴシップ紙を騒がす男がそんなことで惚れてくるなんて、想像ができるはずもない。どちらかといえばシィリンには恥ずかしい思い出だ。忘れて欲しい、切実に。
だというのに、サヴェスは当然のようにため息を吐いた。
「だから、君は鈍感だって言ってるんだ」
サヴェスがほとほと呆れたように顔を顰めて、シィリンの耳にささやいた。
「手始めに、初夜をやり直そうか。確か――『君が私の妻となったからには、きちんと妻としての役目を果たしてもらおう』だったか」
「それは実際の台詞とは違うのでは!?」
初夜の時にサヴェスが言ったというゴシップ紙に書かれた言葉だが、けれどこれほどの破壊力はなかったのだ、断じて!
実際には、真反対のことを告げて去っていったのはサヴェスだ。だが彼は悪びれもせずに快活に笑った。
「ははは。思っていないとは言わなかっただろう。君に嫌というほど、私のことをわからせてあげるよ。ちなみに勝算はある、無駄なことはしない主義だ」
「け、計画と違いすぎません!?」
ハズルと義父が捕まったら、シィリンと離縁すると言い張っていたのはサヴェスだ。それがどうして妻を口説くことになるのか。
「君に話した計画はやめた。楽しくないことはしないんだ、知ってるだろ?」
「つまり私を虐めて楽しんでいると?」
ゴシップ紙では一夜の快楽のために言葉を惜しまない危険な男だったはず。恋の駆け引きを楽しんで――などと書かれていた男であることは知っている。そして、彼は今、シィリンを弄んでいるということか。
思わず胡乱な瞳を向ければ、サヴェスは破顔した。
「なるほど! そうかもしれない」
くつくつと喉奥で笑いの余韻を残しながら、美麗に微笑んだ。
整った顔立ちの彼の浮かべる笑顔こそ、悪魔の微笑みに見える。
「愛しい妻が他の男のところに行かないように、引き留めないといけないからね。なんせ私の妻は悪い男が好きだし」
「無理はしなくていいんですよ?」
悪い男というか、ゴシップ紙の中のサヴェスを好んでいるだけで、あれは紙面で読むからいいのだ。実際に対面すれば心臓に悪すぎる。それは実感した。過剰なのはよくない。
しかも先程の台詞はゴシップ紙でも読んだ覚えがない。多用するのも考えものだが、無理してひねり出さなくてもいいのに。
だからいつもの彼に戻るように願いを込めて、頼んでみた。
「うん、それが君を口説くなら自然と言葉にできるんだ。だからゴシップ紙もあながち間違いではないってことだね」
「つまり?」
「だから私を知ってほしいと言ってるじゃないか。いや、わからせる、が正しいかな?」
そう言うなり、サヴェスはシィリンに口づけた。触れるだけの軽い口づけはすぐに深くなって、舌を差し込まれる。
息苦しくなって鼻に抜けるような声が漏れた。舌はいつの間にかからめとられて、逃げ場もない。濡れた音に、シィリンの羞恥はてっぺんを超える。
「あっ、だめ、旦那、さま……っ」
「名前で呼んでくれ、シィリン」
「? サヴェス……様、んんっ」
シィリンの酸欠ぎみの頭は命じられた言葉に、素直に従ってしまう。
けれど彼の名前を呼んだ途端に、激しく貪られた。
「これは駄目だな、夢中になる」
「名前を呼べと言ったのは貴方ですけどね!?」
真っ赤になって涙目で抗議すれば、サヴェスは目を丸くした。
「誘っているのか? お互い初めてでこんな場所で始めたら、悲惨なことになりそうだが」
「待って、おかしい。話が通じてないっ、何をどうして、そんな解釈になったんです……え、初めて?」
シィリンは盛大に狼狽えて、信じられない単語を聞いてすとんと冷静になった。
「え、聞き間違い? いったい何が、初めてですって?」
「誰とも寝たことなんてない。ついでに言うなら口づけも君が初めてだ。結婚式のときが最初だな」
「はい?」
今、自分は何を聞かされているのか。
ゴシップ紙の常連で、恋の狩人で、悪い男の代表格で、色気のかたまりが服着ているダダ漏れ公害のような宰相補佐官サヴェス・ジッケルドクラがなんだって!?
「い、今、なんかめちゃくちゃ慣れた濃厚なのされましたけど!?」
口づけで舌を絡めるなんて上級者向けじゃない?
誰が騙されるものかと顔の熱を無視して睨みつければ、サヴェスは戸惑ったように目を伏せた。
あう、い、色気のかたまり……。
そんなあやうげな顔で、彼はシィリンに白状する。
「同僚から話くらいは聞く。でも聞いただけでしたことはなかったから、こんなに夢中になるなんて思わなかったんだ。君が好きだと思えば、ますます止められない」
「好き!?」
「ああ、シィリンが好きだよ。君に惚れたと言ったじゃないか。愛しくて可愛い妻だとも。君は本当に悪意も善意も聞き流すんだな。まあいいさ、だからじっくりわからせればいいんだろう?」
――もちろん、逃がす気はさらさらないんだ。
色気を孕んで獰猛に微笑むサヴェスに、シィリンは本気で眩暈を覚えた。
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