作家センセと葉脈祓(ようみゃくばら)い~春告鳥はかく語りき~

灯燈虎春(ひとぼしこはる)

プロローグ

──数多くいる祓い屋稼業の中でも、【おに葉脈ようみゃく】にのみ特化している祓い屋を、人は葉脈祓ようみゃくばらいと呼ぶ──




「締切近いのに一文字も書けてないのはやばい。本当にやばい……!」


──銀糸のように細やかな小雨が降る中で、そんな切羽詰まったような声が耳に届き、そよぎ諫早いさはやは木の上で思わず目を丸くした。


(……は? 誰だあいつ。雫久しずくたまきさんは現着するまでもうちょいかかるだろうし、紗幕しゃまく──……はちゃんと機能してっし。祓い屋か? 一般人は入って来れねぇよな?)


 結界は、公園をぐるりと囲うように張ってある。間違っても関係のない人間が入ってこれる状態ではない。


「エッセイなんて受けるんじゃなかったかな……いやでも俺って選り好みできる立場じゃないし……! フリーテーマっていうのがまた」

(いやあれぜってぇ違ぇな!?)


 ビニール傘が邪魔をして顔はよく見えないが、この辺りの地域は梵家と岩結いわい家の管轄であるし、言葉の内容を鑑みても確実に祓い屋ではない。


「あーあー、どうしよ。あ。紫陽花きれい。ふふ」


 頭を抱えた青年はふと、ベンチ脇にしゃがみ込んだ。雨粒に打たれ濡れる紫陽花の花弁を指で優しくつつく青年がフリーライターか何かは知らないが、結界内の葉脈憑きの気配に気づく様子はない。


(おいおい、現実逃避してる場合か? あぁ、ほら、気づかれた──)


 諫早は、つり目がちの双眸を静かに細めた。

 青年の背後──歩道を挟んだ反対側の木陰に、ゆらと人影がひとつ揺れる。葉脈憑ようみゃくつきに見つめられていることに、青年は気づかない。

 諫早は制服の懐から警棒に似た──旋棍せんこんを取り出した。トンファとも呼ばれる武器の持ち手を軽く握り、枝から飛び降りようとした。

 その時。


『──誰が、この時間を埋めてくれるのだろうか』


 諫早は咄嗟に、動きを止めその場に留まった。


(なんだ? 襲わねぇのか……?)


 青年の声に反応したのか、葉脈憑きはその場にたたずんだまま動きを見せない。一瞬思案した後、動向を見守ることにする。葉脈憑きや自分たち祓い屋の存在を一般人に知られることは、できる限り避けたい。


『静まり返った小さな部屋の中に、私以外の気配は存在しない。私は本当に、今、ここにいるのだろうかと、そんな不安に襲われる。


 朝目覚めて、昼が過ぎ、夜を迎える。ただ流れていく時間が、痛くて痛くて。

──その痛みが寂しさであると気づいたところで、何にもなりはしないのに。


 雨の音を耳が拾って、ふいに、顔を上げる。あなたが亡くなってしまってからは誰の手が入ることもなく、荒れ放題の庭先が目に入った。

 青く連なる小さながくと花弁。ついぞピンクの紫陽花は咲かなかったと、小さく唇を尖らせていたあなたが記憶の中で苦笑う。

 雨粒に打たれ震える花弁を哀れに思い、傘でも差してやろうかと馬鹿なことを考えて立ち上がり外に出る。

 雨足は弱い。もう六月も下旬だ、そろそろ梅雨が明けるかもしれない。

 紫陽花に傘を差しかけてから、ややあって踵を返した。そして、軒下に吊るしてある紫陽花の御守りの数がおかしいことに気がついた。

 世間一般に囁かれる適齢期を過ぎてからの結婚。それから、庭の紫陽花を使って毎年御守りを手作りして──だから数は、ちょうど二十二のはず。作りかけだった今年の分は、六月六日には間に合わなかったから。

 なのに、なぜ。

 真新しい御守りに手を伸ばす。震える指で紅白の紐をほどき、茎に巻かれた紙片を破かないようにゆっくりと開いた。

 見知ったものより細いものではあったが、久しぶりに見る、あなたの筆跡。


──一緒に行きたかった喫茶店のメニュー。

──育てるつもりだった植物の名前。

──飲むことを楽しみにしていた紅茶の銘柄。


 紙片にしたためられていたのは、まだまだ、重なると思っていた人生の時間からこぼれ落ちたもの。自分のそれも終わらせてしまおうかと考えた時、最後の一文が目に入った。


【ゆっくりでいい。生きてほしい】

【どうか、楽しんで。また会える日を、楽しみにしているよ】


 和紙でできた紙片に、皺がよる。いけないと思って涙を堪えながら、胸元に広げた手紙を押し当てる。


「──」


 誰かに傘を差された。頭上から雨が遮られ、ほんの一瞬、世界からすべての音が消えた。


「風邪を引くよ。早く、お戻り」


 背中を優しく、さすられる。振り返ってしまえば、きっとこの時間は終わってしまう。


 切り離されたこの場所で、洩れた嗚咽おえつが、雨代わり。


──涙が上がれば、雨は上がった』



 その言葉に呼応するように、雨粒の最後の一滴が諫早の鼻先に落ちた。それを拭うこともせずに、諫早は信じられない思いで眼下の光景を見つめていた。


(花、が……!?)


 青年が話し始めてからというもの動きを止めていた葉脈憑きの頭上に根づいていた紫陽花のつぼみが、いつの間にか咲き綻んでいた。


(すげぇ、なんだこの匂い……!)


 紫陽花は本来匂いの弱い品種だ、自然のものがこんなに香る訳がない。葉脈憑きからであるのは間違いないが──満開とも、また違う。


(なんだ、あの男。今何かしたのか……!?)


 噎せかえる程の芳しさに息苦しさすら感じ、手の甲で口を覆う。匂いが薄れる頃、葉脈に憑かれていた老婦人はその場に倒れ伏していた。顔面を覆っていためんが消え、安らかな寝顔が確認できた。その手が何か、紙片を大切そうに握りしめている。

 鬼の葉脈が自然に祓われることはない。あの男が祓い屋であると考えれば、道理ではあるが──諫早の直感が、それは否だと告げていた。


(いや、違う。あいつ、祓ったんじゃない……!)


──まさか。諫早は、自身が小さく震えている事実にわずかばかり口角を上げた。


「ぅんん……ちょっと湿っぽい……? いやでも花がテーマの雑誌だしいけるか……?」


 青年は傘を閉じながら口元に手を当てて何やらぶつぶつ呟いていたが、やがて立ち上がると「邪魔してごめんね」と紫陽花に向けて小さく手を振ってからゆっくりと歩き出した。


「見つけた……」


 諫早は、その背中を見送りながら上擦った声音で呟いた。



「見つけた、おれの春告鳥はるつげどり……!」





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