24 微妙な空気

 僕が泣いてしまったことで、楽しかった筈の晩ごはんの時間が一気に微妙な空気になってしまった。


 ……しまった。これじゃ筋肉隆々の漢を目指してるなんて胸を張って言えなくなる! 僕は強い漢になるつもりなのに、メソメソしてたら駄目じゃないか!


 慌てて肩で涙を拭うと、ニッと歯を見せた笑顔をみんなに向ける。


「みんな、ごめん! ちょっと感傷的になっただけだよ! もう大丈夫だから!」


 最後に思い切り涙を流したのは、アントン殿下の十八歳の生誕舞踏会から猛ダッシュで逃げ出した時が最後だ。あれ以来涙は出てこなかったから、自分の中ではある程度は過去との決別ができているものだと思っていた。


 なのにみんなでご飯を食べているのを見て突然泣いちゃうなんて、どんだけ情緒不安定なんだよ。さすがにこっ恥ずかしいから、みんなも早く忘れて欲しい。


 なのに三人と一匹が今もジーッと僕を見ているから、段々モゾモゾしてきた。


「えーっと……?」


 腕を絡ませていたベニの首から離れると、勢いよく立ち上がり両手で握り拳を作ってみせる。


「ほ、ほらっ! だから平気だって言ってるだろ! それに、そろそろ片付けもしないとだしもう――」


 すると、ウキョウとサキョウがスッと僕の左右に歩み寄ると、僕の背中を優しく撫で始めたじゃないか。手のひらの温かさに、一瞬涙がまたジワリと滲むのが分かった。ちょ……っ、このひ弱な涙腺め!


 優しい声色で、サキョウが声をかけてくる。


「アーネス。無理して強がらなくても、ここにはアーネスを責める人はひとりもいないわ」

「サキョウ……」


 こちらは明るい口調のウキョウが、ニカッと笑いかけてくれた。


「そうだよ! むしろ今までよく我慢できてたよなって思うくらいだしな! 気にするなって!」

「ウキョウ……!」


 慈しむような眼差しで僕を見る双子の目を交互に見ていたら、喉の奥がヒクッと鳴りそうになった。必死に腹筋に力を込めて、止める。また泣いたら、もっと困らせてしまうことになるのは分かり切っていたから。


 ユリアーネ時代の僕は、僕を幼少期から知る人間の内、ごく一部の人たち以外からの好意を身近に感じたことは、一切なかった。そりゃそうだ。国王夫妻が冷遇すれば、周りだって合わせるのが当然だもんな。


 その中で、月に一回のお茶会であろうと僕ときちんと会話をしてくれたアントン殿下は、考えてみればかなりまともな部類の人間だったと今なら思う。


 だけど「親しさはこれくらいの距離」なんていう適正な距離感も分からなかった僕は、僕を案じてくれる人たちに対しても王太子妃教育の教師たちの言う「正しい淑女の思考と態度」で接してしまっていた。


 あの時は、それが正しいと思い込んでいたんだよね。教師が言うことは絶対だと幼少期から叩き込まれてきていたし、そうじゃないという判断材料となるような周囲の人間のやり取りなんかも殆ど目にする機会はなかったから。


 つまり、フィアが僕を味方するようなことを言えば「そんなことを言っては駄目よ、王家には感謝しないと」なーんてたしなめたし、お祖父様が僕が痩せていることを心配するようなことを言っても「お母様の忘れ形見だから心配して下さっているのよ。自分のことを思ってくれているなんて思い上がってはいけないわ」なんて、一歩どころか三歩四歩ぐらいは距離を開けてアルカイックスマイルで「問題ございません」と返答してたって訳だ。


 我ながら、カッチカチに頭が固かったと思う。これじゃ殿下に面白味がないと思われてうんざりされても……うん、納得する。パトリシアに興味を持っちゃったのも仕方ないよな。だからといって、冤罪からの処刑はさすがにどうかと思うけど。


 一国の王子なんだから、そこは下調べとかちゃんとしてほしかった。公正って大事だよって王太子妃教育の冒頭で習ったんだけど、王太子教育ってどうなってたんだろ。


 いやでも、あそこできちんと調査が成されていたら、きっと前世の僕が表に出てくることもなかった訳で、結果として王家の都合のいい駒で居続け――あ、やっぱりちゃんと調査しなくてよかった! むしろ愛に盲目になってくれてありがとう、是非このまま大精霊の前で愛を叫んでほしい。なる早で頼むぞ!


 まあ過去はそんなカッチカチな僕だった訳だけど、前世の記憶が備わった今は、双子がかなり僕を大切に思ってくれていることも分かった。


 それだけに、こんな優しさを与えてもらえるほど僕は二人に何かを与えられているんだろうかって、心配になってきた。だからせめてものお返しに、心からのお礼を口にする。


「……うん、ありがと」


 二人の背中に腕を回すと、関所で勝利する度にしてきたように、三人で互いを支え合うように抱き締め合った。


 優しさを優しさだと気付かなかった過去の僕に教えてあげたい。お前には、こんなにもお前のことを心配してくれる友人が二人もできるんだぞって。だからめげるな、諦めるなって。


 その時、ふいに思い出してしまった。そういえば最初の日、僕たちが好きだの何だのを言い合っていたらエンジの機嫌が悪くなったことを。


 まずい! とパッと顔を上げて、僕を座ったまま見つめているエンジの顔を確認した。すると、予想外の表情を浮かべているエンジの顔がそこにあるじゃないか。


 ――あれ? 驚いた顔で僕を見ているんだけど……どうしたんだろ?


 エンジは暫くの間僕をずっと見ていたけど、ウキョウの言葉をきっかけに、目線がフッと横に逸らされる。


「よっしゃ、じゃあ片付け始めようか! 俺とサキョウで片付けるから、アーネスは休んでてくれよ。なっ?」

「う、うん。ありがと」


 こうして、ちょっぴりしんみりとしてしまった晩ごはんが終了したのだった。



 エンジがお風呂に入ってくるというのでおやすみなさいを伝えると、片付けをやってくれている双子に「また後で」と声をかけてから、先に客室に戻った。


 双子は僕に気にするなと言ってくれたけど、やっぱりまだ気恥ずかしい。人前で泣くなんてことは、王太子妃教育で考えたら絶対なし案件だったからだ。


「この国は貴族とか平民とかはないみたいだし、その辺ってどういう感覚なんだろ」


 ヘルム王国とゴウワン王国とでは、根本的な仕組みが異なっている。仕組みが違えば国民の考え方だって違うだろうことは、前世でも今世でも世間知らずな僕にだって分かった。


 どちらかというと、この国はヘルム王国よりも前世の日本人の感覚に近い気がする。だけど、パワーイズパワーなところがどうしたって異色すぎた。


 ゴウワン王国に来てからそれなりに経つのに、移動と関所バトルばかりでゴウワンの住人とそこまで深く関わる機会がなかったことも、僕がまだいまいちゴウワンとはなんぞやを理解していない原因のひとつなんだろうな。


 そもそも、力が全てなのがインパクト大すぎるんだよ。何はともかく、力が正義だもんな。ヘルム王国は蛮族の国だからと国交はおろかどういった国かの情報も入ってこなかったから、やっぱり未知の国感が未だに半端ない。


 勿論、双子だって聞けば僕の質問に答えてくれるけど、積極的にこの国について教えてくれるスタンスじゃない。双子自体も五年近くゴウワンを離れていたそうだから、「最近のことはちょっと」なんて言ってたのもその理由かもな。


「エンジに色々と聞いてみよっかな」


 そんなことを呟きながら、僕たちが寝泊まりしている客室に入った瞬間目にしたものに、僕の動きがピタリと止まる。


「……ええと?」


 僕のベッドの上で優雅に寛いでいるのは、ベニだった。

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