12 お詫び

 魔力を『力の腕輪』に緩やかに注ぎつつ、規則的に足踏みを繰り返す。


「はいイチ、ニ! イチ、ニ! ウキョウ! 足が止まってるよ!」


 僕とウキョウの足元にあるのは、大量の洗濯物の山だ。昨日お風呂を借りた時、エンジが脱ぎ捨てたと思われる服が脱衣場に山積みされていたのを見ていたんだよね。


 僕は離れの塔から基本離れちゃいけない生活をしていたから、掃除洗濯に何なら料理だってフィアと二人でやってきた。フィアは「ユリアーネ様はやらなくていいんですってば!」っていつも困り顔で言ってたけど、人にやらせて自分だけ何もしないでふんぞり返ってるのは我慢できなかったんだ。


 ということで、咄嗟に思いついたのがこれだったっていう訳だ。


 エンジの話では、普段はまとめて洗濯屋に回収してもらっているらしい。だけどここ暫く面倒で依頼してなかったら、結構ヤバいくらい溜まっちゃったんだとか。「下着も洗ってくれると助かるな」とニヤリとされると、何故かウキョウが僕の隣で「ギリ……ッ」て奥歯を鳴らしてた。そこ、謝った先から喧嘩を売ろうとしない。


 それにしても凄い量だ。『力の腕輪』がなかったら、洗濯慣れしてる僕でも早々に音を上げていたかもしれない。僕の隣で同じように洗濯物を足踏みして洗っているウキョウは、どう見ても辛そうな表情だし。


「ま、待ってくれよアーネス……ちょっとだけでいいから休憩しないかっ?」

「だーめ!」


 逃げ腰になっているウキョウの腕をガシッと腕を絡ませ、この場に引き留める。下唇を出していじけ顔になったウキョウにビシッと告げた。


「失礼なことを言っちゃったのにこれだけで許してくれたんだから、ちゃんとやらないとだろ?」

「そりゃそうだけどさあ……っ!」


 泣き言を繰り返すウキョウを見て、井戸水の手押しポンプを定期的に押しているサキョウが呆れ顔になる。ちなみにサキョウには、水を出す係をしてもらっていた。


「あのねえウキョウ。たとえ以前のエンジ様が実際節操なしだったとしても、本人に向かってあれはないわよ! これだけのお詫びで許してくれたエンジ様に感謝なさいよ!?」


 実際節操なしってはっきり言っちゃうあたりが竹を割ったような性格のサキョウらしいけど、サキョウが言っていることは間違いない。


 ウキョウとエンジが言い争っていた内容をきちんと把握した今、エンジが笑って許してくれたことが如何に心が広いことなのかよく分かった。さすがは僕の理想のヒーロー像の化身。心意気まで格好いい。


 だけど、内容を理解した瞬間、僕は穴があったら飛び込んで叫びたかった。だって、そういう意味だとは思ってなかったんだよ!


 僕には、前世ではほぼ漫画や小説からの知識しかなく、今世に至っては女装男子。陛下たちも僕とアントン殿下の間にそういったことまで想定していなかったのか、閨教育はなかった。まあ男女間の閨教育なんて受けても僕には意味ないもんなあ……。


 前世ならいくらでも小説や漫画でエロいのもあるだろって思うかもしれないけど、入院中に本を購入してくれるのは当然家族だ。エロい表紙のラノベとかなんて頼める訳がない。


 結果として、僕が読んでいたのは所謂ヒット作とかベストセラーとか呼ばれる類の比較的健全なものが大半だった。


 そんな訳で、僕は自分がかなりそっち方面に関しては情報弱者である自覚はある。つまり、圧倒的に疎い。ふわっとした知識だけはあるけど、詳細になるとさっぱりだし、隠語や匂わせなんかを言われてもそもそも知らないので反応できない。


 我ながら健康な十八歳の男子としてどうなのと思わなくもないけど、こういうのって友達同士でする猥談とかから知識を積み上げるって言うじゃないか! 僕には前世も今世もそれがなかったから……くそう! 悔しい! いつか僕だって自ら猥談を語って友達に「凄え!」とか言われるようになってみせるから!


 僕がちょっと人には言えないような決意をしていると、涙目になってしまったウキョウがコツンと僕のこめかみに額をくっつけ、グリグリしてきた。


「……アーネス、迷惑かけてごめんな? 怒ってないか? 俺のこと嫌いになってない?」


 甘えたような眼差しをじっと僕に向けるウキョウ。僕の為を思ってエンジに立ち向かってくれたのが分かるだけに、これ以上は叱りたくない。どうして男の僕相手にエンジがそういう気持ちになるって思い込んだのかは、全く以て謎だけど。


「怒ってはないよ。ウキョウは僕をその……エンジにアレコレされないようにって必死になってくれたのは分かってるし」


 すると突然、ウキョウがガバッと僕を抱き寄せたと思うと、額にキスをしてきたじゃないか。


「アーネスぅ~! 大好きだーっ! んーっ!」

「あ、こらウキョウ! 勝手にアーネスにキスしない!」

「だって可愛いんだから仕方ねえだろ! あーアーネスに何事もなくて本当によかったあーっ!」


 これってどういう反応をしたらいいの!? そもそもおでこにキスって、男同士でもありなのか!? 少なくともヘルム王国では、男女でも人前でキスはしなかった筈だ。学園で見ていた限りでは。もしかしたら人のいない教室でこっそりとかはあったかもしれないけど。


 アントン殿下とパトリシアだって学園でしか会ってなかった筈なのにやけに親しげだったし、きっとキスのひとつやふたつしてないとあの親密さは……あ、駄目だ。凹むな僕。想像するな。あの二人のことは考えないって決めただろ。


 そうそう、男同士のキスについてだ! ゴウワン王国はヘルム王国とは文化も習慣も違うし、そういやエンジも男女問わずって……えっ。


  プスッと耳から煙が出た気がした。駄目だ……考えても分からないことは、今は考えるのはやめだ。


「……とにかく、もうああいう勘違いはやめようね?」

「分かったよ。本当すまなかったと思ってるから……よーし! 足踏み再開だな!」

「うん! その意気だよウキョウ! はいイチ、ニ! イチ、ニ!」


 ちなみに、本当の意味を教えてくれたのはエンジだ。あの後エンジは「あのなあアーネス。この坊主が言っていた『食う』っていうのは『抱く』って意味だぞ? 本当に人を食うか馬鹿」と僕の盛大な勘違いを正してくれたんだよね。


「俺は同意もなく誰かに襲いかかったりはしないから安心しろよ、ん?」とニヤニヤされながら腕輪を返されてしまい、正直滅茶苦茶恥ずかしかった……。


 だって、エンジが笑ってしまうのも分かる。僕は女装していた時とは違って化粧もしてないし着飾ってもいないから、どこからどう見たってヒョロガリの小男にしか見えないのに、勘違いも甚だしいったらない。


 エンジは男も抱ける人っぽくはあるけど、だからって僕みたいな色気のない鶏ガラじゃなくもっとそれこそ健康的な色気のある男しか相手にしないだろうし。


 尚、僕と同等かもっとヒョロい人は、この国に入ってからほぼ見かけてない。悲しいことに、その辺の子供すら僕より体格いいしね。


 なのにウキョウが以前のエンジの評判を気にして「アーネスの貞操が危ない!」てひとり突っ走っちゃったもんだから、僕みたいな貧相な男はそもそも相手にしないよって笑われちゃった訳だろ。これって僕だけダメージでかくない? なんだかなあだよ。


 別に男に抱かれる対象になってないから悔しいとかいう訳じゃないけど、なんか悔しい。


 腹いせにドンドンと力任せに洗濯物を踏み洗いしていると、ウキョウがボソリと言った。


「……今回は確かに勘違いだった。だけど昨日の熊男といい、アーネスは自分が周りからどう見えてるか分かってなさすぎるのが問題だ」

「どう見えてるって、どう見てるんだよ?」


 ちょっと不貞腐れ気味に問い返すと、何故かウキョウがグッと詰まる。意味が分からない。


 ウキョウはチラチラと僕と洗濯物を交互に見比べながら、言いにくそうに続けた。


「その……アーネスってちっこくて細いだろ?」

「うっ……うん」


 グサッとくるけど事実なので頷く。


「ゴウワン王国ではちっこくて細いのは子供っぽいって受け取られるんだけどさ」

「ぐっ」


 僕、子供扱いなのか。そうか、だからウキョウとサキョウは僕のことを可愛い可愛いって……納得だけど、くそう。


「だけどアーネスは珍しい水色の瞳と髪をしてるし、小さな拳で大男をぶっ飛ばすし、なんていうかこう……想像と実際のズレが興味を惹くっていうか」

「うん?」

「つまりさ、物珍しさもあるだろうけど、ゴウワンの男からはモテると思うんだよな。ゴウワンの女からは……うん、可愛いもの好きからならあるかもしれない」

「は?」


 何言ってんの? と目を見開いてウキョウを振り向くと、サキョウまで頷いているじゃないか。なんだよ、その男限定でモテますみたいな言い方は。


 ウキョウがまるで睨んでいるような目をして、ガシッと僕の手を握り込む。


「アーネス!」

「な、なに」

「お前はどうも警戒心が薄くて心配になるから、もっとちゃんと警戒しろ。いいな?」


 ええ? そんなことないと思うんだけどなあ、と不服に思いながらも、サキョウとウキョウの雰囲気があまりにも真剣そのものだったので、僕は「は、はい……」と頷く他なかった。

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