第11話 勇者の拒絶
ルエリアの問いかけに、執事が重々しげに語り出す。
「それは……。そうですね。ルエリア様のお察しの通り、ここに勤める者は皆、疲弊しているのは確かです。ギルヴェクス様がお部屋にこもりきりになられて一年が経ちます。その間、普段のギルヴェクス様であれば決して口になさらないような辛辣なお言葉を掛けられた者が、幾人もおります。その者たちの落胆が周りにも伝播し、屋敷内の雰囲気が暗くなっていることは確かです」
「そうなのですね……。余計なお世話かも知れませんけど、私、ギルヴェクス様はもちろん、みなさんにも元気になっていただけたらと思うんです」
ルエリアは、広げた小さな布切れの上に手作りの飴玉を出すと、ヘレディガーに差し出してみせた。
「こちらを差し上げます。私もよく舐めてる魔法薬の飴玉です。粉薬だと、いかにも薬を飲んでるという感じがして嫌がる人がいるんですけど、これなら抵抗ないという人も多いんですよ。これでストレスが緩和するかと思います。私が作ったものなのですが、甘みは足していないのでお休み前にもお召し上がりになりやすいかと思います。ぜひ召し上がってみてください」
「ありがとうございます。今夜早速いただきますね。お心遣い、痛み入ります」
次の日。
ルエリアの部屋へと朝食を運んできたヘレディガーは、心なしか頬が紅潮しているように見えた。
「ルエリア様。昨夜いただいた飴なのですが」
「いかがでしたか? お口に合いましたか?」
「素晴らしい効き目ですね。目覚めた瞬間から即座に動き出せるほどで……!」
「わ、ホントですか? お役に立ててよかったです!」
「できれば召し使い一同の分もお作りいただきたいのですが、いかがでしょうか。もちろんギルヴェクス様のお薬を最優先にしていただきたく存じますが」
「もちろんです! はりきってご用意させていただきますね!」
まさかそこまで喜んでもらえるとは思わず、感激に声が震えてしまう。
飴玉の材料であるじゃがいもと大麦は、食糧貯蔵庫に大量に在庫があるとのことだった。それらを持ってきてもらい、ルエリアは心を弾ませながら飴玉づくりに励んだのだった。
魔法薬の飴玉を作り、執事に託した次の日。
ルエリアは表紙のすり切れた魔法薬辞典を読んでいた。その本は、ルエリアの師匠であるギジュット・ロヴァンゼンの著書だった。【心に働きかける魔法薬】について、その研究成果が余すところなく記されている。しかし魔法薬師の間でも、心に作用する薬を学ぼうとする人はまだ少ない。そのため、師匠の家には売れ残った本が山積みになっているのだった。
(ギルヴェクス様に飲んでもらって効果のありそうな魔法薬、他になにかないかな)
長年読み込んだ本をぱらぱらとめくりながら、思案に暮れる。
師匠の下で修業していたときからずっと愛用している辞典は、全ページの端に手あかがついて変色していた。ルエリアの相棒のようなこの辞典は、独り立ちしたときから常に鞄に入れて持ち歩いている本だった。
これから作る魔法薬の候補をメモに書き出していると、突然。
こここん!と、にぎやかなノックもそこそこに、中年メイドが部屋に踏み込んできた。
「急にごめんねえルエリアちゃん! あんたの作った飴すごいのねえ! 舐めたらぐっすり! 起きたらしゃっきり! みんなびっくりしてたわあ」
「わ、ありがとうございます! お役に立ててなによりです!」
「あ、そうそう自己紹介がまだだったね。私はマレーネ・マディソンってんだ。これからよろしくね!」
「魔法薬師のルエリア・ウィノーバルです。こちらこそよろしくお願いします!」
素早く椅子から立ち上がり、めいっぱい頭を下げる。
思いの外喜んでもらえて、ルエリアの方こそ感激してしまった。
(みんなが少しでも元気になってくれたならよかった)
ルエリアは、勇者を支える一員として受け入れてもらえたような気がして、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
患者の状態を把握して、より適切な魔法薬を処方できないかを検討したい――。そう考えたルエリアは自室で昼食を摂ったあと、執事のヘレディガーに尋ねた。
「今、ギルヴェクス様とお話しってさせてもらえたりしますか?」
「はい。今は起きていらっしゃいますから、お部屋をお訪ねしても問題ないかと存じます。すぐにご案内いたします」
ギルヴェクスはベッドの上で起き上がっていた。初めて対面したときと同じく、いくつかの大きな枕をクッション代わりにしてヘッドボードに寄りかかっている。顔は正面を向いているものの、どこを見るともなくうつろな目をしていた。
ルエリアは、おそるおそるといった気持ちが出ないように意識しながら、普段通りの歩調でベッドのそばまで歩み寄った。腹の底から息を吸い込み、勇気を出して話しかける。
「ギルヴェクス様。少しお話しを伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
「……話すことなど何もない」
突き放すような、とげのある口調。
明らかな拒絶に次の言葉が出てこなくなる。
(一旦引き下がった方がいいかも。話したくないのに話させようとするなんて、申し訳ないことしちゃったな)
ルエリアが詫びを口にしようとした矢先。
ギルヴェクスはルエリアを見ようともせず、軽蔑混じりの言葉をぶつけてきた。
「君は、僕を治療することによって名声を得ようとしているのか」
「名声、ですか……?」
言うまでもなく、ルエリアにそんなつもりは毛頭ない。しかし今それを正直に答えたところで『そうか、そうではなかったのか』などと納得してもらえるとは到底思えなかった。語尾を濁すだけに留めておく。
世界中の人と同じく、自分だって勇者のおかげで今こうして生きている。だからこそ、自分のできることであなたに恩返しをしていきたい――。
そう胸の内にこぼしながらも、今は感謝の言葉すら、傷付いた英雄には刺激になってしまう気がした。
問診するつもりだったルエリアが言葉に窮していると、再びギルヴェクスが口を開いた。
「……僕のことは、放っておいてくれないか」
「苦しんでいる人を放っておく魔法薬師なんて、この世にいませんよ」
「この苦しみは……僕が受けるべき罰なんだ」
「罰、ですか……?」
「……なんでもない」
そう言い残して、ルエリアに背を向けたギルヴェクスが掛け布団の中に潜り込んでいく。
一方的に面会を打ち切られたルエリアは、ひとこと『失礼します』と言ってその場をあとにした。
他の仕事に戻ったヘレディガーと別れて自室に戻る。
『君は、僕を治療することによって名声を得ようとしているのか』――。投げつけられた言葉のナイフが胸に痛みを走らせる。
(ギルヴェクス様は苦しくてたまらなくて、ああやって発散せずにはいられないんだ)
冒険者時代、勇者の人となりは噂となって聞こえてきた。『四人パーティーの中で一番大人しく、誰にでも優しくて、戦っている最中の凛々しさとのギャップがある』と。
本来は穏やかな性格の人であるにもかかわらず、誰かに暴言をぶつけてしまう。それくらい、心のコントロールができなくなっているということだ。
ルエリアは深呼吸して胸の疼きをやり過ごすと、改めてギルヴェクスの口にしていた言葉を思い浮かべた。
『この苦しみは……僕が受けるべき罰なんだ』――。
勇者の栄光は、無数の犠牲から成り立っている。
魔王討伐という偉業は、彼ひとりで成し遂げたことではない。勇者一行が魔王に対抗するために集めていた神器は、冒険者が先んじて発見すれば報奨金が渡されて神器は回収されるという決まりだった。そのため我先にと、腕自慢の冒険者たちが遺跡探索に乗り出した。しかし内部が未解明だった遺跡内では幾人もの犠牲者が出た。そのおかげで、勇者たちは神器のある部屋へと安全に辿り着けたと言われている。
全員分の神器が揃い、いざ魔王城に乗り込む際のこと。勇者一行のために魔王に関する情報を得るべく先行した各国選抜の精鋭騎士、総勢一千人が魔王城の入り口で全滅した。
続けて冒険者選抜の随行隊一千人が、勇者一行に同行した。しかし腕自慢の彼らであっても、魔王城の一階の数部屋を踏破したのみで全滅してしまった。
結局【魔王城内で魔王直々に強化された魔族には、神器を持たぬ者では数をもって対抗しても太刀打ちできない】と判断がくだされた。最終的に、勇者一行はたった四人で城内に踏み込むこととなったのだった。
魔王城の最上階で待ち受けていた魔王を、勇者一行の四人で見事に討伐した。しかし勇者以外の三人は、魔王を倒した直後に次々と倒れていったという。
数多の犠牲者を目の当たりにした勇者は、それらすべてを自分の責任だと抱え込んでしまっているのかも知れない。
そう勇者の心情を推察したとしても――。『あなたの責任ではありませんよ』といったありふれた言葉など、ぼろぼろになった彼の心のささくれに触れた途端に崩れ去ることだろう。
勇者の心に降り積もった悲しみ。そのあまりの重さに、ルエリアは前向きな気持ちが濃い霧に覆われていく錯覚を覚えた。
幾重にも積もった彼の苦しみを、ひとつひとつ和らげていってあげるなんて大それたこと、私にできるのかな――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます