第2話
「というわけで! 私の爪を切る栄誉を風菜に与えましょう!」
「どういうわけ?」
放課後。私は早速、風菜が本気になれそうなことを提案した。
風菜は何かと可愛こぶるだけあって、可愛いしおしゃれさんだ。髪も爪も肌も何もかも、目に見えるところは綺麗にお手入れされている。私とて世界で二番目くらいには可愛いと自負しているから、体のお手入れには気を遣っているんだけど。
風菜がどうやって爪を手入れしているの知りたかったし、最近爪がちょっと伸びてきたから風菜にやらせれば楽できる……なんて考えは別にないとも。
私は勤勉で真面目な優等生だから、楽したいなんて気持ちはないですよ。ほんとに。
「ほら、風菜っておしゃれ好きじゃないですか。今までは自分のためにやっていた爪のお手入れとか、案外人にやってあげたらめっちゃ楽しいかもですし! ね?」
「なんか必死だなぁ。ふうなにやらせれば楽ー、とか考えてない?」
「……ないです、よ?」
「目ぇ泳ぎすぎ。別にそれでもいいけど……」
「ま、待ってください! 確かにちょっと楽したいなって気持ちがなきにしもあらずっていうこともありましたけど! ……風菜が本気になれることを見つけたいのも、本当です」
私はぎゅっと彼女の手を握った。
「私たち、まだ十五歳なんですよ? だらけたり怠けたり、適当に人生を送るには早すぎると思うんです。私たちには……ううん、風菜には無限の可能性があるんです。その可能性を見つけようとせずにだらけてしまうのは、悲しいことだって思うんです」
「りんね……」
私は彼女に微笑みかける。
彼女も私に微笑みかけてきた。
「その手には乗らないからね」
「えっ」
「りんねが情に訴えかけてくる人だってのは知ってるし。ふうな、もう騙されないから」
「だ、騙すなんて人聞きの悪い……」
風菜を騙したことなんて一度もない。ただちょっと、風菜の食べているお菓子が欲しい時とかに、情に訴えたりしただけで。
それに、今の言葉は私の本音でもあるのだ。
……こうやって、ちょっと冗談めかして言わないと恥ずかしすぎるってだけで。
風菜が相手なのに今更恥ずかしがることもないんだけど。そりゃあもう嫌になるくらい全部を見せ合ってきた仲なわけだし。
「ほら、手ぇ出して。ふうながとびっきり綺麗に整えてあげるから」
「あ、はい。じゃあよろしくお願いします」
私は彼女の手を解放してから、手を差し出した。
風菜は私の手を取って、しげしげと眺めてくる。
……。
いや、別にいいんだけど。なんか、こうして改めて見られると恥ずかしいっていうか。指短いとか爪の形変とか、ムダ毛があるとかそういうのないよね?
大丈夫、のはず。
一応毎朝毎晩チェックしてるし。
「りんねってさ」
「は、はい」
「手、ちっちゃいね」
「そう、ですかね?」
「うん。……ほら」
彼女は手をぴったりと私にくっつけてくる。普段気にすることはないけれど、確かに風菜の手を比べると私の手は一回りほど小さい。体格の差とかもあるから、そのせいだろう。
「昔は私の方がおっきかった気がするのに。月日の流れってのは残酷ですねぇ」
「おばあちゃんみたいになってるし」
「風菜さん、ご飯はまだかね?」
「そういうボケはいいから。ほんと、りんねって真面目なんだか不真面目なんだかわかんないね」
私はいつでも真面目である。
その証拠に、昔から私は周りの大人たちから悪ガキとか暴れん坊モンスターとか猪とか色々……。
あれ、全然褒められてなくない?
おかしいな、今はこんなに品行方正なのに。
「で、爪切りは?」
「あ、これですこれ」
「なんか年季が入ってるなぁ。ま、いいや。じゃあちゃっちゃとやっちゃうから、大人しくしててね」
「はーい」
私は彼女に爪切りを渡して、言われた通り大人しくしておくことにした。
ぱちん、ぱちんと軽い音が部屋に響く。
爪を人に切られるのなんて久しぶりだ。幼稚園に通っていた頃はお母さんにやってもらっていたけれど、小学生になる頃には溢れ出る自立心によって自分でやるようになったから。
私という人間は昔から自立心が強くて責任感もあって真面目だったなぁ。うんうん。
風菜は昔っからこんな感じだけど。不真面目で、適当で、可愛いものにしか興味ない感じ。
私はじっと風菜を見つめた。いつもは眠そうな目をしているけれど、今は真剣な表情を浮かべている。さすがの風菜も、人の爪を切る時はちゃんと真面目な顔するんだ。
私は、風菜のことが好きじゃない。
本当はすごい能力があるのに本気にならないところとか、いつも私をおちょくってくるところとか。
でもこういう真剣な表情は好きだ。
一つのことに一生懸命になっている様子を見ると、可愛いなぁって思う。
恋愛とはまた違った意味で、胸がときめく感じ。
こういう感情を、なんて呼べばいいのかはわからないけど。単なる愛おしさともまた違うような。家族愛、とかかなぁ。
「りんね、痛くない?」
「大丈夫ですよ。風菜は私に痛いことなんてしないって、信じてます」
「ふーん……じゃあ今度、何か痛いことしよー」
「ちょっと!?」
私は最強だから、痛いのだって全然大丈夫だけども。積極的に痛めつけようとするのはやめていただきたい。
「冗談冗談。爪、綺麗だね。ちょっと羨ましいかも」
「何言ってんですか。私より風菜の方が、爪も髪も肌も、全部綺麗ですよ」
「ふうな、もしかして口説かれちゃってる?」
「百年早いですよ。私に口説かれたいなら、本気が出せるようになって出直してきてください」
「りんね、ふうなに厳しすぎ。これでもふうな、中学の頃は結構告白とかされてきたんだけど?」
「えっ」
まじですか?
……。
…………。
裏切られた気分である。私は生まれてこの方告白なんてされたことは一度もない。てっきり風菜も同じだと思っていたのに、まさか裏切られているとは。
でも、風菜は可愛いしそれも当然なんだろうな。
「風菜、恋人は作っちゃダメですよ」
「え、なんで? もしかして嫉妬!? 嫉妬しちゃったりしてる感じ!? ふうなを他のやつに取られたくない〜、って独占欲が芽生えちゃってる感じなの!?」
「何興奮してるんですか?」
なんでこんな無駄にテンション上がってるんだ、この子は。
私はため息をついた。
「そうじゃなくて。今の風菜が誰かと付き合っても、碌なことにならないのが目に見えてるからですよ。恋人ほっといてフラフラどっかいってトラブルになる未来しか見えませんし」
「そんなことないよー。ふうな、これでも一途だし。好きな人との時間を何より優先しちゃう可愛い一面もあるんだよっ」
「……うぇ」
風菜は無駄に甘い声で言う。
無理に声を作らなくても可愛いのに、たまに余計なことをするのが風菜という子だ。
私は黙って彼女に爪を切られる。
彼女は全部の爪を切ってからやすりをかけるタイプらしい。爪を切るときは大胆だった手つきも、やすりがけの時は繊細になっている。子犬でも撫でているかのような、優しい手つき。
ちょっとだけ、むずむずする。
「髪を触らせられる相手って、かなり信頼してるとか言うけどさー。爪はどうなんだろうね?」
不意に、風菜が言う。
「私は風菜のこと、一切信頼してませんけど」
「さっき信じてるって言ったじゃん」
「痛いことはしないだろうなぁって思ってますけど、普段が普段ですし。信頼はできないです」
「ひどっ。えーん、生まれる前からずっと一緒なのにぃ」
「ははは、もっと泣き喚けばいいですよ」
「鬼?」
「で、風菜。爪切るの、楽しいですか? 本気になれそうですか?」
「んー……」
私の爪にやすりをかけながら、彼女は目を瞑る。
風菜は考え事をする時、目を瞑る癖があるのだ。やすりかけながら目を瞑るのは大丈夫ですかって感じだけど。
彼女は考えがまとまったのか、ぱっと目を開く。
黒い瞳は、今日もまんまるで綺麗だった。
「爪だけじゃわかんないから、全身コーデしちゃっていい?」
「……はい?」
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