第20話「カスのごんぎつね」
『side:超能力ハンター 満智院最強子』
「……お飲み物は、ビールでよろしいかしら?」
「いややわぁ、ウチ未成年やのに。飲んだら何されてまうんやろ、こわいわぁ」
「失礼いたしましたわ……お水ならありますので少々お待ちくださいませ」
「そない気ぃ使わんでもええのに……」
一旦思考の時間を稼ぐため、黒沢凛に背を向けて部屋に備え付けられていた冷蔵庫へと向かう。
──というかあの胸で未成年だったんですのね。
「……」
ミネラルウォーターを2つ取り出しながら、わたくしは必死に頭を回転させていた。
時刻は現在21時。
突然人の部屋を訪れるには少しだけ遅い時間。
それも、日中不在だった黒沢凛が。
何かが起きようとしているのは疑いようもなかった。
だが、それが何なのかさっぱり分からない。
ちらりとカメラの方を向いて、まだ配信が続いていることを確認する。
彼女も配信が続いていることは承知しているはずだ、手荒なことはしてこないと信じたい。殴り合いになればおそらく勝てるだろが……大人数で来られたり、武器を持っていた場合は少し厄介なことになる。
「お待たせしましたわ」
「おおきにな~」
ミネラルウォーターを机の上に置き、その対面側に腰を下ろして再び彼女と対峙する。
「それで、黒沢さんはどうしてこんな夜遅くにわたくしの部屋へ?」
「せっかちさんやねぇ、そんな焦らんでもまだまだ夜はこれからやないの」
「……」
「……まあええわ。あんさんの部屋に来たんは、またこれで遊んでもらお、思いましてな」
そう言って彼女が取り出したのは、トランプだった。
それも、以前オユランド淡島が使っていたものと同じ柄のもの。
そして、これ見よがしに山の一番上へ置いてあるのは──あの時彼女が拘束されながら当てた、スペードの10。
「そないに怖い顔せんといてや、ウチかてか弱い女の子やさかい。睨まれたら恐ろしゅうて泣いてしまいそうやわぁ」
ニヤリ、と黒沢凛は闇色の笑顔を見せ、わたくしはそれに苦い表情で返す。
黒沢さんはトランプの山をシャッフルしながら口を開いた。
「そう警戒せんといてや。さっきも言った通り、ガールズトークでもしながらゆるゆる遊びにきただけなんやから」
いけしゃあしゃあと、と思う。
警戒するなという方が無理な話だ。
黒沢凛と対決して以来、彼女たちのペースに呑まれ続けている。結局『うけい様』とやらの正体も、彼女たちの目的も、一切が不明のままだ。
呑まれてはいけない。
それは向こうの思う壺だ。オカルトとの対決は思考を止めた瞬間に敗北が決まる。
この世には不思議が溢れているが、大抵のことは科学で説明がつくのだ。
「さ、カードを配りまひょ」
目の前で怪しく笑う黒の女はトランプのシャッフルを終えると、慣れた手つきでカードを配ろうとし──
「その手には乗りませんわ」
カードが配られるその直前、わたくしは先ほどお風呂で紫に見せた『うけい様との契約書』を机に置いた。
「……っ⁉」
その瞬間、黒沢さんの顔に明らかな動揺が走った。流石にわたくしが『うけい様との契約書』を試しているのは想定外だったのだろう。
わたくしは油断なく彼女を見つめながら、言葉を続ける。
「黒沢さん、貴女たちが何を企んでいるのかは分かりませんが……甘く見ないでくださいませ」
「……いきなりやね」
黒沢さんが絞り出すような声でそう呟いた。
「『うけい様との契約書』は偽物でした。これに書かれている通り、わたくしは本日5分以上湯船に浸かっていましたが、未だに何も起きていません」
つまり。
「黒沢さん、貴女が生放送で披露したうけい様の力には種も仕掛けもあったのです」
黒沢さんに向かい、思いっきり指をさしながらそう言い放つ。
しかし、彼女はただ静かに笑い、
「お見事やなぁ、満智院はん」
パチパチパチと拍手した後、彼女はトランプの山からスペードの10を抜き出して、こちらに見せつける。
「なら、ウチがどないしてこのカードを引いたのか……見当がついとるんやろ?」
「ええ、勿論ですわ……不可能なものを除外していき、最後に残されたものがどんなに信じられなくても……それが真実なのです」
そう、超能力や、神の力と言ったオカルトではなく、種も仕掛けもあるのであれば。
わたくしに、証明できない嘘はない。
「──黒沢さんはアイマスクで視界を奪われ、ヘッドホンで周りの音を遮断されていました。その上、手錠まで。完全に何も見えず、聞こえず、触れる事すら出来ない。こんな状態でわたくしが引いたカードの絵柄を知る事なんて、それこそ超能力でもない限りは不可能です」
「その通りや、うけい様に感謝やね」
「ですが」
黒沢さんの言葉を遮るように、わたくしは続ける。
「そんな状況でも、引いたカードの柄を知る方法があるのです」
「ウチはなんも見えんし聞こえんのに? カードに強烈な匂いでも付いとんの?」
「いいえ。それでしたらわたくしがあの場で気が付かないはずがございません。また同様にヘッドホンを貫通するような高周波の音や、アイマスクに穴が開いてた……なんてことも不可能でしょう」
「ほんなら? どうやってウチはカードの柄を知ったん?」
「何も貴女がカードの柄を確認して答える必要はございません──貴女に、カードの柄を教える協力者がいればいいのです」
「協力者? そんなんどこに……」
「まずは、あの時のことを思い出してみましょう。アシスタントの芦川さんの手によって貴女は目と耳を塞がれ、拘束されました」
「……」
「そしてそれを見届けた後、わたくしはカードを引きました。貴女がお持ちのスペードの10ですわね」
「……せやね」
「その後、司会の司進太さんによって貴女の肩が叩かれ、貴女はわたくしがカードを引いたことを知らされます。そして、貴女はそのままわたくしがスペードの10を引いたと言い当てました──ここまで来れば、もう自明ですわね」
黒沢さんは何も言わず、ただわたくしの目を見続けている。それは肯定の意志を示すものであり、同時に何かを見定めているようであった。
「貴女が拘束されてからカードを答えるまでの間、貴女に触れた人物はただ一人──」
「……」
「司進太。彼以外、貴女の協力者になれる方は存在しません」
「……ほんで? 協力者がいたらどないなるん?」
「わたくしがスペードを引いたら右肩を叩く、ハートなら左肩。そうすればカードの柄をあなたに伝えるなんてことは造作もありません。カードに書かれた数字も同様に、貴女を叩く指の本数や回数で伝える事も可能です──あり得ない協力者によるイカサマ、それが『うけい様』の正体です」
「お見事やわぁ」
黒沢さんは薄く笑って、パチパチパチと手を叩く。
「……随分あっさりと白状するのですね」
「まぁね、ここでどんだけ否定しても満智院はんは認めへんやろし……それに、ウチら別に満智院はんに意地悪するためにこんな辺鄙な田舎まで呼んだんやないんもん」
「……なるほど、つまり」
「うん。『うけい様』の正体を看破したご褒美として……ウチの本当の目的、教えたるわ」
ついに、来た。
彼女はどんな目的があって、『うけい様』を騙り始めたのか。
そしてなぜ、わたくしをこの村に呼び寄せたのか。
「ウチはね、満智院はん」
黒沢さんはそう言って立ち上がると、白銀さんを伴ってわたくしに近づき──あの時と同じように、彼女の細い指がわたくしの指を絡め捕る。
彼女の指は細くしなやかで、まるで蛇のように冷たい。
そして、彼女は砂糖菓子のように甘い匂いを漂わせながら耳元まで近づき、カメラに乗らない音量で、耳元で。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
そこで叫び声が聞こえた。
◆
『side:九頭竜村の住人 黒沢凛』
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
うんこだった。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
完全に。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
まごうことなき。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
ウチがお腹を痛めてトイレにこもっている時の叫び声.mp4だった。
加工されているおかげで少し聞いただけでは誰の悲鳴なのか分からないようにはなっているが、つい先ほどまで自分の口から洩れて出ていたものなのだ。聞き間違える筈がない。
「黒沢さん、この叫び声はいったい……?」
うんこや。
うんこが漏れとる時の音や。
……なんて言えるか、ボケ!!!!!
おおかた呪いの音声を流すはずだったラジカセが故障したとかで、代わりに流す音源がないからしょうがなくウチがうんこを洩らした時の音声を流しとるんやろ。
なんで録音してんねんとか、満智院はんが全世界に向けて配信中なのに花の女子高生がうんこ漏らしとる音声を垂れ流すとか正気かあのクソボケはとか色々言いたいことはあるが、何よりも……。
「あ、あの……黒沢さん? どうかしましたか?」
冷や汗止まらん。
『うんこ』の3文字がウチの脳味噌を支配して、他のことが考えられん!!!
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
いや、ホンマはね、こう、謎のセクシー女子高生として【協会】の連中と九頭竜村の裏で暗躍する謎の女! ってな具合で恰好良く活躍するつもりやったんや。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
真白ちゃんが一緒に東京へ行ってくれるように、とっておきの作戦も考えてたんよ。
『あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
けどな、『うんこ』の3文字にそんな考えは一瞬にして吹き飛んでもうた。
しかもなんか音聞いてたらまたお腹痛なってきた!!!
そうやね、うん。真白ちゃんは昔からそういう奴やった。
顔面がめちゃくちゃ清楚で美人で綺麗系なので毎回忘れそうになるが、寝ている間に顔へ落書きなんてのは日常茶飯事。
野生のたぬきと縄張り争いでガチの喧嘩をし、たぬきが毎日ウチの家の前になんかしらの死骸を置いていく、カスのごんぎつねみたいなこともあった。
クソガキ日本代表、それが白銀真白。
人間の脳ってのは恐ろしい、都合が悪い記憶を忘れるように出来ているみたいや。たぶんストレスかなんかでエモい青春の思い出しかないと勘違いしとったわマジで。
満智院はんもなんかすごいわくわくした目で扉の外を見とる。
ついに解くべき謎がやってきたのがよっぽど嬉しいのだろう。
「申し訳ございません、黒沢さん。そこをどいていただけませんこと? わたくしはこの音の正体を調べなければなりませんの」
このまま満智院はんが部屋を出て行ってしまえば九頭竜村の町おこしは失敗してしまうだろう、それは真白ちゃんが悲しんでしまう。
彼女にはこの事件を通して自信を付けて一緒に東京へ行ってもらわないと困る。
『凛! 私凄いことに気が付いちゃいました! カレーってこんなに美味しいんですし、毎日食べたらすっごい楽しいのでは!? よっしそれじゃあ今から一年分買って……あっ、おばあちゃん、ちがっ、これは!』
困……。
『ねぇねぇ、凛! 犬のうんちと炭と硫黄を混ぜたら爆弾が作れるって知ってましたか⁉』
困…………。
『り゛ん゛~~~だずげでぐだざい゛~~~! できごころでエッチなサイトを見たら9999万円払えって言われちゃいました~~~』
いうほど困るか?
いや、うん。悪い子ではないんよ。
ただちょーっとアレだなけで。
……もうええか、全部。めちゃくちゃにして。なんであんなんと一緒に過ごすためにウチが頑張らなあかんねん。
真白ちゃんは親友だ。大切だ。正直に言ってそれ以上の感情も抱いてしまっている。これからずっと、どこに行くのも一緒がいいし、死ぬなら一緒に死にたいと思っている。それは本当だ。
真白ちゃんがこの村おこしで自信を付けてくれたら一緒に東京に行くと言ってくれるかもしれないし、そうでなくとも彼女が自ら行きたくなるような仕掛けもしてある。
けれども。
脳裏をよぎるのはあのアホのアホ面。
──それはそれとして、すこしお灸は据えられてもいいんとちゃうかなぁ。
第一、この九頭竜村を巡る事件で、ウチはもう勝っているのだから。
トラブルが起きた程度では何も問題がないのだから。
「さあ、黒沢さん。そこをおどきになってください」
「……」
「……黒沢さん?」
「どうぞどうぞ、好きに調べたってや~」
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