九歳 秋


 九歳 秋




 あずさが村のガキ大将と死闘を繰り広げた次の日から、祖母のあずさへの育て方が変わった。


 別に前より優しくなったとか、厳しくなったとか、そういうわけではない。相変わらずあずさのことは小馬鹿にしたようにからかうし、かといってむやみにあずさを叱りつけることもない。いつも通りだ。あずさをより好きになったわけでも、嫌いになったわけでもないようだった。


 だが、教育方針が変わった。あずさにはなんとなくそれがわかった。


 祖母は、鶏をしめて鶏肉にするとき、必ずあずさを立ち会わせるようになった。


 昨日まであずさが可愛がっていた鶏の細い首を、祖母は容赦なく捻った。


「・・・・・・かわいそう」


 あずさは涙目でそう言うことしか出来なかった。


 祖母は、全く否定せず、「ああ。そうだね。かわいそうだ」と頷いた。


「仕方ないだろう。シチューが食べたいと言ったのはあずさだ」


 あずさは驚いて「そういう意味で言ったんじゃない!」と叫んだ。


「じゃあ、どういう意味で言ったんだい?」


 祖母はあずさの涙をじっと見つめた。


「スーパーで買った他の鳥の肉だったらいいっていうのかい?」


 あずさは言葉につまった。


「あの大量に並んでいる綺麗にパッキングされた肉も、誰かが殺した鳥なんだよ。見えないだけでね」


 あずさは祖母とスーパーを回るのが好きだった。時折、地元の人に祖母が白い目で見られて悪口を言われているのを聞くのはいやだったけれど、お魚売り場、お肉売り場を祖母と巡るのはワクワクして好きだった。


 でも、あの魚も、あの豚も、誰かが殺したものだったんだ。


 その当たり前の事実は、九歳の少女の胸を大きくえぐった。


「・・・・・・みんな、みんなかわいそうだ」


 あずさは来ているシャツの裾を握りしめながら言った。


 祖母は頷いた。


「ああ。かわいそうさ。人間の餌食になるものは一様にみんなかわいそうだ。だからね」


 祖母は絶命した鶏を抱えて台所に向かった。


「いただきますぐらいは、ちゃんと言わなきゃダメなんだよ」




 祖母は狩猟にもあずさを連れて行くようになった。


 オレンジのベストと帽子を被った祖母を、同じくオレンジ色の帽子を被ったあずさは必死に追いかける。祖母は速い。両肩に一丁ずつ銃の入った袋を担いでいるとは思えないスピードだった。あずさはいつも全力を出さないと追いつけなかった。猟犬のコテツですら大変そうだったのだから相当だ。


 祖母は凄腕の猟師だった。それは山中で他の猟師さんにすれ違った時に否応でもわかった。大抵数人で歩いている猟師さんたちはまず、幼いあずさに驚く。なんでこんな小さい子がこんな山奥にいるのだと。


 そして次に祖母に顔を見てぎょっとし、会釈して道を空ける。祖母は「ご苦労さん」とか、「どうも」と会釈して通り過ぎるだけだったが、猟師さんたちは祖母が通った後でひそひそと話をした。


「熊狩りさん」


「熊狩りつばきだ」


 つばきとは、祖母の名である。神城椿。


 村の中で聞く祖母の評判はひどいもので、そしられ、小馬鹿にされているような物言いばかりだった。だが、猟師さんの口ぶりはそういったものではなかった。村では鼻つまみ者の祖母だったが、こと、山の中では、祖母は畏れられ、敬意を払われる存在だった。


「・・・・・・おばあちゃん。熊を殺したことがあるの」


 祖母はなんでもないように「まあね」と端的に答えた。


 あずさがもっと話して欲しいオーラをがんがんに出すと、祖母はため息をついて言った。


「一度、沢山の人を殺しちゃった熊がいてね。誰も倒せなかったその熊を、おばあちゃんが倒したんだよ。それだけさ」


「かっこいい!」あずさは興奮した。はしゃいだと言ってもいい。


 だが、祖母は吐き捨てるように一言返しただけだった。


「ちっともかっこよくなんかないさ。ちっともね」




 他の猟師さんとも会わなくなるぐらい山奥に来ると、祖母はあずさに片方の銃を渡した。上下二連式の散弾銃だ。祖母とあずさはその銃を「ミロク」と呼んでいた。


 ずしりと重い猟銃は、あずさには肩に担いで持つだけで精一杯だった。


 弾は渡してもらえなかった。渡されるのは、最後の最後だ。


 祖母はもう一丁の銃を使うことが多かった。銀色の細いライフル。祖母は「ウィンチェスター」と呼んでいた。引き金を引く方の手、右手で握る部分がそのままレバーになっていてガチャリと動かすと弾が装填される変わった銃だった。あずさは再放送の西部劇映画に同じような銃が出てきたのを観た記憶がある。


 鹿を見つけるのはあずさの仕事だった。祖母は目が悪くなっているそうなのだ。だから視力のいいあずさが鹿の姿を探した。見つけるとこっそり祖母に伝える。


 祖母は目が悪いといいつつも、あずさが指し示す方向の獲物をすぐに見つけた。そして一発目を絶対に外さなかった。鹿のバイタル、急所付近に確実に弾を撃ち込む。


 次はコテツの仕事だ。祖母の一撃が心臓を貫き、すぐに倒れることもあるが、大抵は鹿は重症を追いながらも力を振りしぼって逃げ始める。それをコテツが追いかけ、吠え、威嚇し、遠くに逃がさない。そのうちに鹿は力尽きてその場にしゃがみ込み、荒い息を吐く。


 そこからが、あずさの仕事だった。


 あずさは弾を一発、祖母から受け取る。ミロクの銃身を折り、上下二本ある銃身の下の筒に弾を詰める。銃身をガチリと戻す。


 あずさは重さに震えながら鹿に向けてミロクを構えた。


「あずさ。やりな」


 あずさは口をへの字に曲げた。何度やっても慣れない。慣れる訳がなかった。


「私たちがこの鹿を殺すんだ。自分たちが生きるために。誰でもない、私たちが」


 鹿が黒く潤んだ目で、あずさを見つめる。


「目をそらしちゃダメだ。あずさ」


 あずさは、無意識に閉じそうになる目をぐっと見開いた。


 あずさは、引き金を引いた。




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