十六歳 初夏


 十六歳 初夏




「いやー。さすが香織先輩って感じだったなー」


 三島はそう言ってぐっと伸びをした。初夏の夕焼けが彼の顔をオレンジに染めていた。


「そうですね。最後までかっこよかったです」


 今日、香織先輩を始めとする3年生の先輩方が引退した。その最後の試合をあずさ達は見届けたのだ。


「最後の最後に皆中だもんな。普通、できねえって」


 皆中とは、全弾命中を意味する。香織先輩は、高校時代を締めくくる最後の試合で見事皆中を成し遂げた。みんなに注目される中、相当な緊張だったろうに。眉一つ動かさずに、である。


「俺もあんな風に引退してえー。花束持って、『じゃあ、またね』とか言って颯爽と道場を後にしてええ」


 香織先輩の真似が思ったより似ていて、あずさは吹き出した。


 部活終わりの帰り道、歩いて十数分のこの時間、自宅の方向が同じだったあずさと三島と香織先輩はいつも3人で連れ立って歩いた。大体が先頭でふざける三島に香織先輩が突っ込み、あずさが後ろで笑うという形だった。


 今日からは、二人だ。


「なあ、腹へらね?」


 三島先輩は手を頭の後ろで組みながらそう言った。


「そりゃあ、減ってますけど」


「じゃあ、今から食いにいこうぜ。いつもんとこ」


「え? 今からですか? 事前に言ってくださいよ」


 駅前にあるファミレスは料理の単価も安く、あずさたちの行きつけだった。練習試合後の反省会や、公式戦前に気合いを入れるなど、ことあるごとに適当な口実を作って三人で足繁く通っていた。とはいえ、夕食の都合があるので、急に言われると困る。


「いや、マジでピザの気分なんだよ。そういや、今日、親が遅く鳴るって話だったんだ。今、思い出した。な、つきあってくれよ」


 相変わらず勝手だな。


 香織は少なくとも前日には打ち合わせておいてくれたが、三島にそんな細かな気遣いを求めるのも無理な話なのだろう。


「な。いこうぜ」


 そりゃあ、居候している肩身の狭い親戚の家で黙り込んで食べる夕食より、三島と話しながら食べる外食の方がよっぽど楽しいだろう。だが、そのためには家に断りを入れなくてはならない。それは嫌だ。


「一人で食べに行けばいいじゃないですか」


「無理。俺、一人で飯食ったりするとすげえ寂しくなるんだわ。一人で留守番するのすらめっちゃきらいなタイプなの」


「うさぎみたいですね」


「たのむ。お願い!」


 三島がうさぎというよりかは捨てられた子犬の様な目であずさを見つめてくる。


あずさはため息をついた。


「ちょっと、家に電話で聞いてみますね」


「ありがとう!」


 人なつっこい笑顔で喜ぶ三島。振っている尻尾が見えてきそうだ。それを横目に、スマホを取り出す。


「え、それ子ども携帯じゃん」


 使い古された子供用の大きな画面のスマホもどきに三島が目を丸くする。従姉妹のお古だからどうしようもない。折りたたみ式のガラケーではないだけ、あずさはありがたいと思っている。


「・・・・・・一応、SNSとかもできますよ」と自分でもよくわからない言い訳をしながら、子どもスマホを三島から隠すように後ろを向いた。家に電話をかける。たっぷり十コールは待たされたところで、ガチャリと通話が繋がった。


「あ、すみません。あずさです。実は、部活の友達と食事に行こうと誘われたのですが、よろしいでしょうか。あの、晩ご飯を用意してくださっていたのに、直前になってしまい申し訳・・・・・・」


 ガチャンと受話器を叩き付けるような音とともに通話が一方的に切られた。


 あずさは胸をなで下ろした。よかった。今日は機嫌が良い方だ。


「大丈夫っぽいです」


 あずさは三島が喜ぶと思って笑顔で振り向いたが、三島はなんとも言えない表情であずさを見つめていた。


「・・・・・・なんか、ごめんな」


「? いえ。お気になさらず。でも、次からは事前に言ってください」


 三島は叱られた子犬の様にうなだれた。「ほんとごめん」


 三島は時々こうなる。言い過ぎたのだろうか。


「大丈夫ですよ。別に怒ってません。さ、ピザを食べに行きましょ」


「うん。ごめんな」


「いいですって」




 お目当てのファミレスは、早い時間帯のわりに込んでいた。小さな二人席に案内される。香織と三人で来たときは常にボックス席だったのでなんだか新鮮だった。


「あずさ、何頼む?」


 メニュー表を渡され、パスタのページに目を落とす。品によって値段が様々だ。香織と来たときは、基本、香織があずさの分を奢ってくれた。何度も自分で払おうとしたが、「一年生に払わせるわけないでしょ」と毎回突っ返された。そういう人だった。


 ちらりと三島を見る。三島はどうだろう。奢ってくれるのだろうか。


 ないな。この人は。


「トマトパスタで」


「また? ほんと好きなんだな」


 別に好きではない。フレッシュトマトのソースは美味しいが、具がほぼ乗っていないから物足りない品だ。本音を言えば、その隣のお肉ゴロゴロボロネーゼに温玉をトッピングしたい。でもトマトパスタが一番安いのだ。


 あずさは香織と三人で来たときもいつもトマトパスタを頼んでいた。たとえ香織が奢ってくれるとわかっていたとしても高い物を頼む気にはなれない。香織はそれをわかっていて、わざわざ多めにサイドメニューを頼んで、「あずさちゃん。手伝って」といくつかあずさの皿にポイポイにのせてくれた。そういう人だった。


「じゃあ、俺はマルゲリータとカリカリポテトと、あとドリンクバーで」


 しめて1000円超え。ブルジョワは違うぜ。


 この店はテーブルに据え置きの注文用紙に料理の注文番号を書き込んで店員に渡すシステムだ。あずさは注文用紙に記入しようと一枚とったが、そこで気が付いた。あれ? 備え付けのペンがない。誰かがちょろまかしたのだろうか。


「ほい」


 三島が制服の胸ポケットから使い捨てのボールペンを取り出し、あずさに放った。


「どうも」


 三島はこの使い捨てボールペンを常に数本胸ポケットに入れている。なんでも、筆箱も持っておらず、全てこの使い捨てボールペンを使っているらしい。お金には困っていないだろうに。きっと胸ポケットから出す気楽さが好きなのだろう。


「一本、良いボールペン買ったらどうですか」


 安物のボールペン特有の軽い感覚を味わいながら注文番号を用紙に書く。


「それもちょっと良いかなとは思うんだけどさ、芯とか代えるのとかめんどうくさそうじゃん」


 三島は物への思い入れが弱い。弓矢のも良い物を持っているくせに、手入れが雑でよく香織に怒られていた。まあ、三島の家では使えなくなったらまた新しいのを買ってもらえるのだろう。


 おさがりの子どもスマホを大事に使っているあずさとは感覚が違う。


 店員に書き終えた注文用紙を店員に渡すと、三島はドリンクバーを取りに行った。


 あずさは待ちぼうけだ。これまでは香織が勝手にあずさの分までドリンクバーを頼んでいたので、三人でワイワイ言いながらコーラを注いでいたものなのだが。あずさは店員が置いていった水のグラスを傾けた。


「あれ? そういやあずさはドリンクバー頼まなくてよかったの?」


 コーラを片手に戻ってきた三島に、あずさは「水が好きなんで」と返して、グラスを呷った。


「え、なんか怒ってる?」


「怒ってません。水最高です。超美味しいです。私、将来、水の売人になります」


「何言ってんだよ」


 注文した料理が来るまで、三島とあずさは他愛もない話をした。部活のこと、勉強のこと。気の利かない人ではあったが、あずさは三島と話すのが好きだった。家族に愛されて、何の苦労もしてないんだろなあという少しずれた返答が、なんだか逆に心地よかった。ああ。普通の人ってこうなんだと思えたのかも知れない。


 届いたマルゲリータピザを三島は切り分けずに、半分に折りたたんだ。その間にポテトを乗せる。


「・・・・・・何やってるんですか」


「SNSでバズってたんだよ。こうするとうまいらしい」


 三島はピザの間に挟まった大量のポテトの上に、卓上のオリーブオイルと塩をこれでもかとかけ始めた。そして完全にピザを折りたたみ、サンドイッチのようにがぶりとやる。


「うん。うまい」


「・・・・・・ほんとうに?」


「一口いる?」


 あずさは口からビロンと伸びたチーズを垂らしている三島から「いえ、遠慮します」と視線を外し、自分のトマトパスタに目を落とした。


「うまいのに」


「先輩、育ちは良いのに、なんか変なところで貧乏くさいですよね」


「え? 俺、悪口言われてる?」


「まさか。親しみを込めた軽口ですよ」


「その表情で?」


 あずさのパスタがなくなりかけた時だったか。三島がおもむろに言った。


「次の秋の県総体の女子団体戦、あずさ、メンバーだから」


「は?」


 あずさはフォークを皿の上に落とした。カチャンと鳴った音は店の喧噪にかき消される。


「あ、あれって、2年生のための大会ですよね」


「んなわけねえだろ。うまいやつが出るんだよ」


 三島はマルゲリータの最後の一口を口に押し込むと、もごもごしながら言った。


「3年生が引退した今、男子で一番うまいのは俺。女子はあずさだ」


 弓道において、うまいだとか上手だとかは一概に言えるものではない。立ち居振る舞いや、射の姿勢、集中力、そういったものが総合的に評価されるのだ。その観点では、基礎練が終わってようやく弓を持ち始めたあずさはまだまだだ。


 だが、的に多くの矢を中てる。その一点だけで考えると、確かに部では三島の次にあずさが来るだろう。


 入部当初の数ヶ月の練習は地味できつかった。基本はランニングや腕立て伏せで体力作り。そして弓を模したゴム弓と呼ばれる機器でひたすら型を練習する。雑用も多く、楽しいとは言えない。弓を持たせてもらう前に、大半の新入部員が辞めていった。


 あずさはそんな中、必死に基礎練習に打ち込んだ。放課後はバイトで参加できない日があったので、ほとんどやる人がいない朝練に一年で唯一参加し、毎日、ゴム弓を引き続けた。


 本来は基礎鍛錬がまだしばらく続くはずだったが、部員が思いの外少なくなり、予定よりも早く弓を持たせてもらえることになったのは幸運だった。備品の弓を持たせてもらい、ようやく的前練習に参加できるようになったあずさは自分の才能に驚くこととなった。型が身についていたせいか、放つ矢が次々に的に中る。他の一年生は的に矢が届かない子も多い中、借り物の弓で次々と的に中てるあずさに、周りの先輩達も驚きが隠せない様子だった。


 頭の薄い年配の顧問の先生も「たいした才能だ」と唸った。特に香織は自分のことのように喜び、「持ち前のセンスもあるだろうけど、ずっとがんばってたもんね。やるじゃん」と頭を撫でられた。弓を引くことを憧れながらきつい稽古を続けていたあずさはそれが本当に嬉しく、より一層鍛錬に励んだ。


 その結果、弓を持ってからほんの一ヶ月ほどで、部員の中で「中てる」という一点においては、あずさに勝てるのは三島と香織を含む上級生数人のみとなっていた。


 競技戦では、的に多く当てたチームが勝つ。だからあずさを選抜チームに入れる。別に不自然な人選ではない。


「でも・・・・・・」


 2年生は部で一番人数が多く、女子だけで7人いる。団体戦のメンバーは5名。あずさが入ればその分、先輩方の枠が減る。


 あずさは知っていた。2年生の数人が陰であずさをやっかんでいることを。そりゃあ、ぽっとでの後輩が自分よりも成績が良ければ、何かしら言いたくもなるだろう。


 あずさはかっこいい弓道がやりたかっただけなのだ。誰かと戦ったり競い合ったりしたくない。


「・・・・・・辞退させてもらってもいいですか?」


「え? なんで?」


 三島が身を乗り出した。


「1年生は滅多に出れない大会なんだぞ。嬉しくないのかよ」


「いや、嬉しいですけど」


「じゃあ、出とけって」


「あの、射の形も未熟だし」


「十分綺麗だろ。あんだけ基礎練してたんだから。2年でもあずさより型がくずれてるやつなんて全然いるぞ」


「入退場の仕方も全然練習できてないし」


「俺が教えてやるよ。夏休みに特訓すればいいじゃん。なんなら香織先輩だって時々なら来てくれると思うぜ」


 苦し紛れの言い訳を、三島は次々と正論でたたき落とす。


「ええと・・・・・・」


 三島がため息をつく。


「あずさって時々そういう時あるよな。自分の本音はちゃんとあるのに、なんかよくわかんないものに気を遣って煮え切らない。それで結局、本当は選びたい選択肢を捨てるんだ」


 急に自分の欠点を指摘されて、返答に困った。


「いいか。人はな。戦わなきゃいけない時があるんだぜ」


あずさはうつむいた。わずかに残ったトマトパスタが冷めていく。


「・・・・・・あずさを推薦したのは香織先輩だ」


 あずさは顔を上げた。


「顧問を交えての3年生の話し合いでな。そりゃあ、2年生の活躍の場にすべきだって意見はあったぜ。特に顧問がそう主張してた。でも、香織先輩が言ったんだよ。『誰よりも弓が好きで、誰よりも努力してて、誰よりも上手い子を選ばない理由なんてあるかハゲ』ってな」


 あずさの視界がじわりと一瞬揺らいだ。あわてて目をつぶり、呼吸を整える。


「・・・・・・先生にハゲって言ったのは嘘でしょ」


「すまん。部分的に創作した。でも、そこ以外は本当だ」


 あずさは黙った。弓道の大会。本当は出たい。今日の3年生の試合を見ながらも思っていた。私もあの場に立って弓を引いてみたい。


 でも・・・・・・


「よし! こうしよう」


 三島はまるであらかじめ用意していたかのように、一枚のコインを取り出した。海外の硬貨だろうか。知らない女性の横顔が彫られている。


「これの表裏で決めよう」


「・・・・・・はあ?」


「自分で決められないことはこれに限る」


「・・・・・・先輩、またなんかの漫画読んだでしょ」


 三島が突拍子もないことを言い出すときは、大体、漫画の影響を受けていることをあずさは香織から聞いて知っていた。


「あ、あずさも今週号読んだ?」


 読んでいないが、やはりなにかしらの漫画が元ネタらしい。


「今からこれを弾いて、あの、なんていうか、拳の上でぱちんってやるからさ。それが表なら四の五の言わずに出る。裏なら辞退する。どうだ」


「・・・・・・横顔が表ですか?」


「そうだ。いくぞ。せーの」


 親指の上にコインを載せて今にも弾き飛ばしそうな三島を、あずさは「ちょっと待った」とあわてて制止した。


「やったことあるんですか」


「ない」


「じゃあ、投げないでください。他のテーブルに飛んでいったらことです」


 ちょっと不満そうな三島と相談して、結局、テーブルの上でコマのように回すことで話がついた。回転の末に、どっちを上に倒れるかで決める。


「行くぞ」


 木目風のテーブルの上でコインがくるくると回った。やがて勢いを無くし、カランとコインは横倒れになった。カタカタと振動しながら、やがて完全に静止する。


 女性の横顔。表だ。


「出場、決定だな」


 三島がにかっと笑う。


「他のやつらが言うことなんてほっとけ。お前の人生なんだから」


なんだ。知ってたのか。


 三島は鈍いようで、なんだかんだ周りにも目を向けている。


「努力してないやつほど、人を妬むんだ。そんなの、気にすんじゃねえ」


 三島の、いつになく先輩らしい眼差しに、あずさは黙って頷いた。三島はそれを見て、またにかっと口角を上げた。


「さあ。ここからだぜ」


「なにがですか」


「神城あずさの、弓道伝説だよ」


「なんですかそれ」


 笑ってしまった。




 結局、会計は当然のごとく奢ってもらえなかった。それは全くいい。全くいいのだが、納得できなかったのはきっちり割り勘だったことだ。


 明らかに三島の方が食べていたのに。


「え、なんか怒ってる?」


「怒ってません」


「えと、なんかごめん」


「理由もわかってないくせに、謝らないでください」


「うん。ほんとごめん」




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