中編

 それから二週間、毎日通った。中身のある会話は少ないがそれでも俺にとっては幸せだった。

 それからも毎日通おうとしていたが夏休みに入るころに面会に行けない日が増えた。彼女は「大したことない、念の為の検査が長引いてるだけ」と言うが素人目に見ても明らかに疲れているのがわかった。病室を出ると彼女の咳が聞こえる、病室に入ろうとすると彼女の泣き声が聞こえる。それでも鈴は俺と会っている時だけはいつも笑顔でいてくれた。だから俺も病気の事を深くは触れなかった、触れられなかった、触れたくなかった。触れてしまうことでその姿を確信してしまうのが怖かったから。彼女の現実を直視する勇気が無かった。それでもついに余命を超えた日には嬉しそうにしていて、「このまま生き続けてやる!」と明るく豪語する彼女を見て、本当にこのまま生き続けてくれるような気がした。


 そして鈴の誕生日の二日前。いつものように病院に行こうと準備していると電話がなった。鈴からだった、嫌な予感を胸に電話に出た。

「もしもし、どした?」

「……今日も来てくれるの?」

 彼女の声にはいつもの俺に見せる元気がなかった。

「おう、今出ようとしてたところだけど……どうかした?」

「ごめん、急で悪いけど今日ちょっと無しでいい?」

「……なんで。今日検査とかじゃ無かったはずだろ?」

「笑顔で会える自信がない」

「――っ!」

「多分明日には大丈夫だろうからさ、ほんとごめんね……」

 溢れそうな気持ちをグッと堪える。俺なんかより泣きたいのは絶対に鈴のほうだ、彼女が我慢しているのに俺が泣いていいはずがない。

「……わかった。ゆっくり休めよ、それとなんかあったらすぐに人呼べよ。もちろん俺でもいいから。いつでも飛んでいってやる」

「うん、ありがとう。それじゃ……」

 電話が切れた。俺は何を楽観視していたのだろう。余命を過ぎたということは大丈夫なんて事じゃなく、むしろそれは、"いつ死んでもおかしくない"という事に他ならないと言うのに。

 その日の夜、全く寝付けなかった。不安と恐怖で押しつぶされてしまいそうだった。


 次の日、いつもより早めに家を出た。早く会って無事だと、大丈夫だと安心したかったから。たとえそうじゃないとしても、その可能性にすがりたかったから。何よりこの気持ちを持ったまま待っていれる強さを、俺には無かったから。俺は早足気味に病室まで行き、勢いよくドアを開ける。

「鈴大丈夫か!」

 病室に入って真っ先に目に入ったのは、いつもより沢山のケーブルに繋がれた鈴の姿だった。ゆっくりとこちらを見ると、か細い声を上げる。

「……病院だぜ? うるさいよ」

「ごめん、でも……」

「……昨日はごめんね、会えなくて」

「そんなこと、鈴が気にすることじゃ……」

「それに……ひでー顔だぜ、大丈夫か?」

「大丈夫だよ、大丈夫だけど……鈴は――」

「ああ、これ? こんなの大袈裟だよ、私は大丈夫なのにさ。私はこのまま良くなって、退院して、晶の後輩として復学するんだよ。また毎朝起こしに行って一緒に登校して、休み時間は一緒にご飯食べて、放課後は少し嫌そうにする晶から勉強教えてもらったり、一緒に部活にも入り直たり、今までできなかった分めいいっぱい遊ぶんだよな?……なぁ、できるよな?」

 無理に笑いながらそう話す彼女の瞳には涙が溢れていた。二年ぶりに見る彼女の涙だった。俺は彼女に駆け寄って、目を合わせて話す。

「当たり前だろ、お前は絶対治る。治ってまた一緒に登校するんだ。」

 そう言って鈴の手を握る。その手は俺の知ってる鈴のそれよりもやせ細っていて、より一層怖くなった。俺の手の甲に落ちた一滴の涙でさえもか弱く感じた。


 しばらくして少し落ち着いたのだろう、彼女が声を発した。

「……手、ありがとね。少し安心した」

「そうか、こんなのでいいならいつでもするよ、なんなら一生してやんよ」

「一生は流石に悪いよ。でもありがとう、ならまたお願いするかも」

「任せろ、俺が死ぬまでいつでもどこでもいつまでも握っててやるよ」

「そりゃ頼もしいや」

 彼女は笑いながらそう言った。その笑顔がなにより愛おしく、それと同じくらいもう見れなくなるかもしれないと思えてしまうのが怖かった。

「……ねえ晶、握ってくれるのは嬉しいんだけどさ、ちょっと痛い」

「え――あぁ! ごめん!」

 慌てて手を離す。

「いや離せとは言ってないじゃん……」

「え、あぁ。ごめん……」

 改めて握り返す。今度はできるだけ優しく。

「うん、それでよし」

「おう、なんか改めて握るとなんつーか……照れる」

「いつでも握ってくれるんだろ?」

 彼女はいたずらっぽく笑う。

「いやまあ言ったけどよ……」

「じゃ、しばらくそのままで」

 彼女の言う通りそのままずっと手を握りしめていた。今度は痛くならないよう、優しく。


 面会時間も終わりが近づき、帰り支度をしていると鈴が話しかけてくる。

「ねえ晶、いよいよ明日だね」

「……おう、そうだな」

「何今の間、まさか忘れてないでしょうね」

「忘れないよ、忘れるわけがない。流星群だろ?」

「わかってるならいいけど……本当にこの部屋から見れるんだよね」

「おう、何回も確認したから間違いない。明日、ここの窓から一緒に見ような」

「うん……けど流星群って夜でしょ? 面会時間すぎちゃうし帰らなくて大丈夫なの?」

「…………うん」

「何その間、すっごい嫌なんだけど」

「なあ鈴、このベランダって鍵開けておける? 隠れても」

「いいわけないでしょ! バレたらどうすんのよ!」

「仕方ないだろ! 前に聞いたら『基本的にダメですね〜』って言われたんだからよ!病院に迷惑かける訳にもいかねーし」

「私にかかるっての! ……はぁ。もう、私から頼んでみるよ」

「その〜面目ない。俺から誘ったのに」

「全くもう、しょうがないんだから……じゃあ何とか交渉してみるから、忘れずにちゃんと来なさいよ」

「おう、当たり前だ」


 病院からの帰り道、2年前のあの日に鈴が言った言葉を思い出していた。『まだやりたいことが沢山ある』と彼女は涙ながらに言っていた。

 そのどれもが『余命以上に生きる』ことが前提の事だった。あのころの俺に出来ることは何一つ無かった。今だってほとんど無いだろう。

 しかし、鈴が余命以上に生きてくれた今ならば、明日18歳の誕生日を迎えてくれたならばできることがたった一つだけある。あの日決めた決意。彼女の願いをひとつでも多く叶えてあげるという、子供じみた決意。それを果たすために、俺はポケットに入れた手を強く握りしめると、心の中でもう一度深く決意した。

 俺は明日、あいつに――――。


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