対 -TSUI-

あさとゆう

第1話 転移

 昔の夢を見ていた。琥珀色こはくいろの部屋にぽつんと座るのは、7歳の私。悲しいことがあったのか、涙を流している。幼い私は、後ろから声が聞こえた気がして、振り返ると、和室のふすまの前に穏やかな表情の祖母がいた。藍色の着物を着ている。懐かしいな。確かこの色がお気に入りでよく着ていたっけ。祖母は何か言いながら私の隣に座る。私はゴシゴシと涙を両手で拭い、着物のたもとを引っ張った。


「ねえ。いつもの話、聞かせて」


 祖母は、魔法使いみたいな人だった。話を聞くと、不思議と心が落ち着いて嫌なことを忘れられたから。祖母の言葉は、幼い私の脳裏のうりに深く刻まれ、うっすらとした記憶からでも確かな温かさを放っていた。


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 初夏しょか。食卓に4人分の朝食が並ぶ。私は制服姿で座り、隣には妹の真子まこ。向かいには両親が座る。新聞を読んでいた父が、陽気に私に話しかけた。


「お!なぎ、見ろよ」


「んあ?」


 ソーセージを頬張りながら答えると、父は新聞を見せてきた。


「この前の関東大会優勝の記事だ!顔写真付きだぞ。さすが俺の娘だ」


 父がはにかみながらふざける。


「やめてよ、恥ずかしい」


 私は思わず笑って新聞から目を逸らした。自分の写真は好きじゃない。試合の後なんて汗だくに決まっているし。すると、妹の真子が言った。


「凄いね!もう大学生にも勝てるんじゃない?」


 真子は中学3年生。かつて一緒に剣道をしていたが、今は高校受験に集中するために休んでいる。


「全国大会はいつ?」


 そう聞いてきたのは母。私は壁のカレンダーを見ながら答えた。


「月末の日曜」


 母は嬉しそうに手を叩いた。


「みんなで応援に行かなくちゃ」


「ほんと?」


「カメラも持って行かなきゃね。なんてったって全国大会なんだから」


「ありがとう。それまで稽古頑張らないと…」


 ふと時計を見ると、もう8時を過ぎていた。ヤバい、バス時間まで10分もない。私は慌てて立ち上がり、鞄を持った。


「いってきまーす!」


 玄関で家族の「いってらっしゃい」という言葉を背中で受けながら、私は駆け出した。何の変哲へんてつもない平穏な朝。この時は思いもしなかった。この後、あんな出来事が起こるなんて。


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 広々とした高校の体育館。入口には「必勝!東園とうえん高校剣道部」の垂れ幕が掛けられている。数十名の剣士たちが掛け声とともにぶつかり合う中、私と親友の高瀬たかせひなたは体育館の裏口に腰掛けていた。


「あっつい!凪、ポカリ飲む?」


「いいの?ありがとう」


 私はタオルで汗を拭きながら、冷えたペットボトルを受け取る。


「そういえば、新聞見たよ!『関東大会優勝 東園高校 幸村凪ゆきむらなぎさん』って写真付きで載ってたね」


 ひなたが楽し気に話す。私は思わず照れ笑いをした。


「どうして写真付きなんだろ」


「見ていないの?」


「時間なくてちゃんと読んでない。汗だくで変な顔してなかった?」


「大丈夫、イケてたよ!」


 笑い合う私たち。季節はすっかり初夏の陽気だ。


「そろそろ戻らないと、先生に怒られる」


「うん…。あ!ごめん!先に戻ってて」


「え?ちょ、ちょっと、凪?」


 私は立ち上がって、奥の草むらの中へ。草陰に隠した段ボール箱を取りし、中を覗くと、カラスが私をじっと見つめていた。


「今日も来たよ。調子はどう?」


 後ろから、顔を強張らせたひなたがカラスを遠目で見る。


「よ、よく近づけるね、凪」


「大丈夫、大丈夫。この子は襲ったりしないから」


 そう言って、私はそっとカラスの羽に手を伸ばす。実は、このカラスはいつも体育館の裏口にいたのだが、一週間ほど前に地面に突っ伏して動かなくなっていた。羽がボロボロになっていたけど、少しずつ良くなってきている。


「凪は昔から生き物好きだよね。小学校でも飼育係やってたし…」


 ひなたが呆れるように言う。私がクルミをあげると、お腹が空いていたのか、勢いよく食べた。


「あと少しで、きっとまた飛べるよ。頑張ろうね」


 ふと後ろを見ると、カラスの鳴き声に驚いたのか、ひなたがさらに後ずさりをしてこっちを見ている。私はクスッと笑った。


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 部活帰り。バスから降りた私とひなたは、竹刀袋を持って並んで歩いていた。琥珀色こはくいろの夕焼けが格別に綺麗だ。


「今日も稽古キツかったね~」


 ひなたが言う。


「ほんと、ほんと」


 私も疲れ果てていた。全国大会に向けて白熱した稽古が続いているし、ここ最近良く眠れないのだ。ふと、ひなたが足を止めて前を見た。ひなたが見ている方向へ視線を向けると、スーツ姿の銀髪の男が近づいてきた。


「幸村凪、さんですね?」


 突然自分の名前を呼ばれたので、私は驚いてひなたを見た。ひなたも驚いた様子だ。


「突然でさぞ驚かれるだろうが、実はあなたに折り入って話したいことがある」


 …突然何?っていうか誰?この人。


 私は当然の如く戸惑った。すると、すかさずひなたが間に入る。


「あの、私たち急いでるんで」


 ひなたは私の腕をグイっと引っ張った。


「行くよ、凪」


 小走りでその場から離れると、男が声を上げた。


「私は怪しい者じゃない!」


 私たちは足を止めて目を見合わせた。


「いや、めちゃくちゃ怪しいですけど」


 ひなたがボソッと呟いた。確かに怪しい。とりあえず、一般的な社会人ではない雰囲気だ。だけど…。どういうわけか、なぜか気になった。私が戸惑っていると、銀髪男はスマホを差し出した。


「番号がひとつだけ入っている。いつでもいい。連絡をくれ」


 そう言い残して、銀髪男は去って行った。


「…どうして私を知ってたんだろう」


「…新聞記事。今朝の新聞で凪の顔と名前知ったんじゃない?」


 ひなたが言葉を続ける。


「でもさ、あいつどうして私たちが通る道知ってたんだろう。凪、あの人のことまったく知らないんだよね?」


 私は頷いた。あの男の個性的な銀髪。一度会ったら忘れるはずがない。


「…中に盗聴器とか、仕掛けられてたりして」


「ちょ、ちょっと、怖いこと言わないでよ」


「でもあり得るじゃん。ストーカーかもしれないし。で、どうすんの?それ…?」


 私たちは、じっと銀髪男から渡されたスマホを見つめる。


「父さんに渡す。一応刑事だし」


 ひなたがポンっと手を叩く。


「そっか。それが確実だね」


 その後、少し話して私たちは別れた。信号待ちをしている最中、私はさっきの男のことを考えていた。ひなたはあの銀髪男が怪しいとしきりに言っていたけど…。


 ―いつでもいい。連絡をくれ。


 私は、銀髪男から貰ったスマホの電話帳を見る。確かに080から始まる電話番号がひとつだけ登録されていた。信号が青になり、周りの人たちが一斉に歩き出す。私はスマホを一旦制服のポケットに入れた。


 その瞬間。目の前を閃光が走った。雷のような光と音。私は10秒近く目を開けていられなかった。


 何、何?何なの?


 思いきり叫びたかったが、なぜか声が出ない。しばらくすると音が止んだ。恐る恐る目を開けると、通行人たちは何事もなかったかのように信号を歩いている。頭の中が爆発したような衝撃を感じたけど、私だけだったのか?


 きっと疲れてるんだ。私は、そう自分に言い聞かてゆっくりと歩き出した。

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