第20話 これってデートのお誘いなんですか?
どれだけの時間、私たちは体を密着させていただろうか。
とんとんっと背中を叩く優しい掌のぬくもりのおかげで、雷に乱されていた心は、なんとか落ち着きを取り戻せた。
「ほら、遠ざかっただろ」
優しい声が聞こえ、私はフェリクス様の腕の中から解放された。
大きな窓を振り返ると、その向こうには青空が広がっている。あんなに激しかった雷鳴は微塵も聞こえてこない。
呆然としていると、ガサガサと物音がした。そちらを見れば、フェリクス様がバスケットの中身を取り出しているではないか。
大きな手に持たれた包みはサンドイッチだろう。そのままでは、きっと食べずらいわ。ナイフやフォーク、カトラリーもバスケットに入っていた筈だ。
「私がご用意します!」
「ん? 用意も何も、このまま食べればいい」
包みが半分解かれ、厚切りのパンにたくさんの具を挟んだサンドイッチが顔を出した。それにフェリクス様は躊躇することなく、大きな口でかぶり付いた。
突然のことに私は呆気にとられてしまった。だって、王都でそんなことをしたら、きっと笑われるわ。ほら、綺麗な口元にケチャップだってついてしまっている。
「フェリクス様、口元が汚れてしまいます」
「ん? ああ」
私がナプキンを差し出そうとすると、彼はぺろりと口元を舐めとった。それはしたない仕草のはずなのに、思わず見とれるくらい自然体だった。
驚いて固まってしまった私を見たフェリクス様は、バスケットから水の入った瓶を取り出すと、それに口をつけてぐびぐび飲み始める。
彼の一挙一動に驚いていると、その綺麗な顔がいたずらっぽく笑った。
「サンドイッチは元々、片手で食べるよう作られた料理だから、こう食べるのが一番美味いんだ」
「……そう、なんですか?」
「お茶会に並ぶ一口サイズとは比べ物にならない美味しさだ」
そう言って、齧ったばかりのサンドイッチを、私の目の前にずいと押し出す。これは、食べろということだろうか。
たくさんの具が挟まったそれに嚙り付くだなんて、もしもお母様が知ったら卒倒するわ。だけど、フェリクス様を見ると、それが悪いことには見えないし美味しそうに見えてくるから不思議だ。
困惑しながら口を近づけそうになったその時、ドアがノックされた。
「お茶をお持ちしました」
姿を見せたのは、ブライアンさんだった。
「フェリクス様、またそのような食べ方を。お召し物が汚れます」
「ここでは構わないだろう」
「アリスリーナ様も驚かれていらっしゃいますよ」
テーブルにティーセットを運んできたブライアンさんは、大きなため息をつく。
えっと、つまり、フェリクス様の食べ方は辺境地の貴族であってもマナー違反ということよね。釣られて食べなくて良かったわ。
私がほっと胸を撫で下ろしている間に、サンドイッチは瞬く間に小さくなっていた。
ブライアンさんは、やれやれという顔をしている。もしかしたら、こんなやり取りが日常的なのかもしれないわ。
あっという間にサンドイッチを食べ終えたフェリクス様は、私を呼んだ。
「アリスリーナ、今度、サンドイッチの美味い店に行こう」
「……え?」
「まだ、町の案内もしていなかっただろう? 他に何か見たいものはないか?」
空になった包みを畳みながら、フェリクス様は楽しそうな笑顔を向けてくる。
これって、つまり、デートに誘われていると捉えて良いのでしょうか。ああ、でも、領主が町の視察に行くことはよくあることだし、そのついでかしら。デートだなんて勘違いしてしまったら、フェリクス様に失礼かもしれないわ。
困惑していると、ブライアンさんが小さなため息をついた。
「……フェリクス様、デートのお誘いでしたら、もう少しお洒落なお店をご案内するべきですよ」
「ブライアン、この地方にそんなものがあると思うか?」
「ありませんね」
「あるのはダンジョンに向かう冒険者の腹を満たす店と武器屋。装飾品店もあるが、王都のものに囲まれていたアリスリーナには物足りないだろう」
「しかし、サンドイッチ屋というのは少々色気が欠けているかと思います」
「酒場に連れて行くよりましだろう」
交わされる二人の会話を聞き、やっぱりデートに誘われていたのかと気づかされる。
恥ずかしさに頬が熱くなっいく。
だって、ジュリアン様とは一度も町を歩いたりなんてこともなかったから。
「あ、あの……サンドイッチは、人前で食べなくても大丈夫ですか?」
おずおずと尋ねると、一拍置いてから、フェリクス様が大きな口で笑い声をあげた。私、そんな変なことを聞いたかしら。
「大丈夫だ! そうだな。サンドイッチを持って、特別な場所に案内しよう」
「……特別な場所?」
「ああ、楽しみにしていてくれ。そうと決まれば──」
さっさと仕事を片付けようといって、フェリクス様はご自身の執務机に戻られた。
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