アクターアカデミー

APURO

第1話

2035年。5月10日。皇帝ホテルの宴会場。

 大勢の記者がカメラを構えながら、パイプ椅子に座っている。記者達が今から行われる会見を今か今かと待っているのがよく分かる。その光景が袖から見え、俺に緊張を与えてくる。

 椅子に座る前にこけてしまうのでないか。会見中に盛大に噛んでしまうのではないか。お腹が痛くなって急にトイレに行きたくなるのではないかなど、考えれば考える程プレッシャーが増えて、今すぐでもゲロを吐いてしまいそうだ。いや、吐けるなら吐いて楽になりたい。しかし、現実は違う。俺にそんな事をさせてくれる時間など残されていない。あぁ、泣きたい。泣かせてください。

「どんまい。龍虎(りゅうこ)っち」

 高校時代からの付き合いにして、俺が主催する劇団ハネイの看板女優の諸岡真里亜(もろおかまりあ)がニヤニヤしながら俺の背中を何度も強く叩いてくる。きっと、こいつは俺の緊張している姿を見て楽しんでいるのだ。絶対にそうだ。真里亜が女じゃなかったら一発殴りたい。

「うるせぇ。心配しろよ」

「なんでーめんどくさいー」

「めんどくさいとかじゃないだろ」

「うーん、OK。心配したる。もし、失敗したら頭撫でてあげる。どうや」

「絶対に嫌だ。お前にだけはされたくない。それになんで関西弁?」

 プライドが許さない。世界中の誰よりも、こいつにだけは頭を撫でられたくない。撫でられるなら全裸になって全身に蜂蜜を塗った状態でアマゾンを一周する方がマシだ。

「なんでーよ。世界可愛い女性ランキング三十二位を取った事あるんだよ。まぁまぁ、あたしに頭撫でられたい人は居るはずだよ。なぜ?WHY?」

 可愛いのは認める。演劇を始めてから出会った女性の中でも5本の指には入ると思う。けれど、お前に頭を撫でられるのは嫌だ。なぜなら、お前の本性を知っているからだ。ファンが知れば幻滅するほどの残念な本性を。

「黙っとけ。あーお前のせいで緊張がなくなったわ」

 真里亜の相手をしている内に緊張がなくなってしまった。その代わりに真里亜に対する苛立ちが芽生えてきた。

「称えろ。あたしのおかげだぞ」

「あのー記者会見初めてもいいですか?」

 進行係のスタッフが尋ねてきた。

「あ、すいません。少しだけ待ってもらえますか?」

「はい。かしこまりました」

「ありがとうございます。おい、真里亜。静かにしろ。分かったな」

 俺は真里亜の両頬を掴んで言った。

「ラージャー、ボス」

 真里亜は静かになった。けれど、また騒ぎ始めるか分からない。そう言う危険性があるやつなのだ。

「すいません。それじゃあ、始めても大丈夫です」

「はい。では、お二人共あちらの席に向かってください」

 スタッフが丁寧に指示を出してくれた。

「ありがとうございます」

「あんがと」

「おい、真里亜」

 俺はふざけた言葉遣いをした真里亜を睨んだ。昔からこいつは注意をしないと変な言葉遣いになってしまう。芝居は千年に一人の逸材なのに。きっと、神様がパラメーターを極端に振ったのだろう。そう考えないと説明が出来ない。

「すんません。ありがとうございます」

「すいませんだろ。いくぞ」

「うっす」

 俺と真里亜は袖から出て、長机に向かう。

 記者達がカメラのシャッターを押す。そのタイミングはばらばら。そのおかげで、何度も何度も光が目を襲い、音が耳を襲う。

 長机の前に置かれている椅子の横に立つ。記者達にばれないぐらいのちら見で、真里亜を見る。

 ちゃんと立ってる。椅子の横に立ってる。本当にリハーサルしてて良かった。してなかったら絶対に変な事してる。

 俺は記者達に向かって頭を下げた。そして、また記者達にばれないぐらいのちら見で、真里亜を見た。

 頭を下げていない。部屋の奥の方を見ている。この状態のままなら、俺が悪い事して謝っているように見える。

「真里亜、頭を下げろ」

 真里亜だけに聞こえる声で言った。頼む、気づいてくれ。

「ふふん」

 鼻歌を歌っている。たしかに鼻歌を歌っている。この大事な状況で。

 お前は悪魔かそれとも勇者か。どっちも望んでいない。今、望んでいるのは大人の対応だ。

 俺は履いている革靴で、真里亜の履いているヒールの側面を軽く蹴った。

 真里亜は俺の方を見た。

「あ、忘れてた。ごめん」

 会場内に声が響いた。音響設備がいい場所なんだ、きっとここは。

 恥ずかしい。とても恥ずかしい。穴があれば入りたい。心臓の脈打つ速度が過去最速だ。このまま、この調子で脈打てば数分で死にそうな勢いだ。

 真里亜は真剣な顔で記者を見て、頭を下げた。

 ……もう遅いよ。真剣な顔して頭を下げても。記者達がくすくすと笑っている声が耳に入ってくる。仕方が無い。もうやるしかない。

 俺は頭を上げた。真里亜も頭を上げた。

「本日は劇団ハネイ、ブロードウェイロングラン公演「ジーンリッチとNO.1189」の発表記者会見に来ていただきありがとうございます。私は劇団ハネイの主催であり、今作の主人公・1189役を務める龍野虎琉(たつのいたる)です。よろしくお願いします」

 カメラのシャッター音が鳴る。

 しばらくすると、シャッター音が止まった。

「そして、私の隣に居るのが劇団ハネイの看板女優であり、本作のヒロイン・フリア・ルエイ役の諸岡真里亜です」

「どう……いや、違う。諸岡真里亜です。よろしくお願いします」

 どうもと言おうとしただろ。俺には分かるぞ。けど、ちゃんと気づいた事に対しては後で褒めてやる。いや、褒めることではないな。

 カメラのシャッター音が再び鳴る。それにしても、こいつは昔から変わらない。全く緊張していない。どちらかと言うと楽しんでいるように見える。この強心臓を俺にも少し分けて欲しいぐらいだ。

 シャッター音が落ち着いた。

「それでは、お二人共席ご着席お願いします」

 記者会見の進行してくれる司会者が指示を出してくる。

 俺と真里亜は椅子に座った。

 記者達の顔が良く見える。奥に居るカメラマンの顔も。

 なんだか、緊張が解れてきたみたいだ。そのおかげか、緊張に支配されていた感情の一部、感動が胸を焦がしてきた。

 ……ブロードウェイか。10年前、真里亜と他の仲間達と劇団を立ち上げた時には雲よりも遠く、大気圏よりも遠かった場所。そんな場所に俺達は立てるんだ。

 涙が出そうになった。けど、歯を食い縛って耐えた。

 ふと、隣の真里亜を見た。

 真里亜が俺の視線に気づいた。

「やっと、ここまで来れたね」

「そうだな」

「金の延べ棒食べたい」

「今言うか?普通」

「食べたいの。仕方ないじゃん」

 真里亜は頬を膨らませた。最初に出会った時も似たような事を言っていた気がする。

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