第5話 変わってしまった神殿と神官

『あなた様は光の神に選ばれし特別なお方です――』


 前世ではよくそう言われていた……。私の前には、大勢がひざまずいていて――。

 バタンという音に驚いて顔を上げると、戸口に赤髪の男の子が立っていた。

 この部屋で、サヴァスさんじゃない人間を初めて見た。

 ……綺麗な子。


「やっぱりな! 絶対にズルしてるって思ったんだ!」


 美少女のような顔立ちだけど、その服装や私を懲らしめてやるんだという強い意志、あとはまあ言葉遣いとかで男の子だとわかる。


「お前! 病気は治ってるくせに、働きたくないからって、『治ってない』って嘘ついてるだろ!」


 私を睨みつけている赤い瞳は、真っ赤な炎がそのまま目の中に入っているみたい。

 ものすごく怒っているようなんだけど。

 ……でも。


 今までのような、「死ね」とか「殺してやる」とか、そういったのとは違う。

 思わず頭に手をやった。起きている間はカツラという白金の髪を被る癖がついている。よかった。

 目の前の少年は、私が嘘をついていると怒っているけれど、まだ誰にも何にも言っていないのに。

 少年は、言いたいことを全部言ったら帰ってくれるのかしら?


「おい! お前! なんとか言ったらどうなんだ!」


 返事を求められている? 私に?

 聞かれて答えるって――。

 もし私が何か答えたら、それは会話したことになるのかな……?

 お父さんやお母さん以外で初めての――。


「ベネディクト。いけませんよ」

「さ、サヴァス様、だって、こいつ――」

「私の許可なく立ち入ってはいけないと言ったはずですよ? 私との約束を守れないのですか?」

「ごめんなさい。でも――」

「『でも』は言わない約束ですよ」

「……」


 口をすぼめて俯く少年は、なんだか叱られて可哀想。でも同時にものすごく可愛いとも思う。

 そう感じる私はどっちの私なんだろう……?

 気がついた時には、もう私は言葉を発していた。


「サヴァス様。それにベネディクト(って呼んでいいのかな)? ご迷惑とご心配をおかけしました。お陰様ですっかりよくなりました」


 二人とも私がしゃべるとは思っていなかったようで、揃ってギョッと目を見開いてこっちを向いた。

 ベネディクトは目を丸くしたままだけど、サヴァス様の方はすぐに目を細めた。


「ああ本当に。よくなったのですね。安心しました。ショックでしゃべれなくなったのだと思っていたのです。よかった……。ちゃんと笑えるのなら心配いりませんね」

「あ。お、オレはその――。仕事があるからなっ」


 え? 私、笑ってる?

 ああ。これは昔の癖だ。人に話しかける時の聖女スマイル……。

 頬を真っ赤に染めた少年に、プイッと背を向けられると少し寂しい気がした。


「ふふふ。許してやってくださいね。可愛らしい女の子に免疫がないものでね」

「可愛らしい?」

「ええ。あなたはとても可愛らしいですよ?」

「そんな……」

「何をそんなに驚いているのです? ああ、それよりも。そろそろ部屋から出てみましょうかね。まずは無理をしない程度に、ゆっくりと歩いてみましょう」


 サヴァス様が手を差し出してくれたのに、私は躊躇してしまった。

 男性の手を取ることについて逡巡したのか、単に安全だった部屋を出る決心がつかなかったのか。相変わらず自分の気持ちがよくわからない。

 サヴァス様は、そんな私を見てすぐに手を引っ込めた。顔は相変わらずニコニコしたままだ。


 私が決心して立ち上がると、「ではご案内しましょう」と言って部屋を出た。

 神殿は、私の――というかマグデレネ時代のものとは全く違うものになっていた。

 昔は、光の神に祈りを捧げ、聖なる力を高めることだけを胸に、日々精進する場所だった。


 サヴァス様によると、今や国内のあちこちにあるという小神殿は、白防壁を築いた英雄たちを讃えるための場所らしい。

 神殿ごとに、当時の国王や神官、それに騎士たちの姿絵を作成し、混乱していた国内の様子などと併せて展示しているという。


「ここは白防壁に一番近い小神殿なので、それなりに訪れる方はいらっしゃるのですが――。まあ歴史が古い分、肖像画はかなり平凡でしてね」


 サヴァス様は、一般に解放しているという部屋を何部屋か見せてくれた。どの部屋も壁一面に肖像画が飾られていて、天井画も見事だった。


「こちらの一番大きな絵が、アドニス国王です。白防壁を完成させた偉大な王です。偉業を成し遂げた王を描こうと、この小神殿が建設された当時の画家が腕を振るった力作だそうです」


 うーん。ちょっと微妙かもしれない。

 兄様の髪の色は、青に青を幾重にも重ねたような紺色にも近い、深い青色だった。

 肖像画の兄様の髪の色は水色で、瞳の色も青ではなく赤で描かれている。


「王都では大神殿だけでなく小神殿でも、割と頻繁に人気画家に肖像画を描き直させていますからね。時代を経るごとに美化されているようです」


 年齢を問わず、女性は気に入った姿絵を見るために何度も神殿に通うらしい。

 つまり、姿絵の出来いかんで寄付金額が変動するのだ。

 神殿での役割が昔と変わったのはわかったけれど、神官や聖女らはどこで研鑽けんさんを積んでいるのかしら?


「……あの。サヴァス様のような神官の方は、どのようなお務めをなさっているのですか? その――。お力を伸ばすような訓練などもこちらで?」

「『お力』? ああ。なるほど。あなたは神殿に入るのは初めてでしたか。もしかして、ご両親からは、ここに書かれているような物語の中の神官の話しか聞かされていないのでは?」


 私が、「はい」とうなずくと、サヴァス様は少し遠い目をして語り始めた。


「私も……小さい頃は、大聖女様を支えながら聖なる力を白防壁に注がれたという大神官のダビド様に憧れたものです。伝説では、神官の他に聖女も大勢いらっしゃったとか。当時の神官や聖女たちは、魔物を退ける聖なる力をお使いになられたと伝えられていますが……」


 その口ぶりから察するに、今では、神官らがそのような力を持っていたとは信じられていないのだろう。

 そういえば、曲がりなりにも神官という職は残っているのに、聖女の存在は聞かない。なぜ……?


「もう五百年以上前の話ですからね。でも、あの白防壁を見れば、尋常でない力が結集されたことは間違いないと思うのですよ。大聖女様の神がかったお力というのは、事実そうだったのではないかと……。大聖女様がいらっしゃったくらいですから、似たような力を持った神官や聖女がいても不思議ではないというか――。ふふふ。いい歳をした大人がする話ではありませんね」


 ……いいえ。


 「その通りですよ」と、教えてあげたかった。

 それはもう――大勢の神官や聖女たちが力を合わせた賜物なのですよ、と。

 それにしても気になる。イリアスとしての記憶を総動員してもわからない。


「あの。聖女は――」


 今もいるのかと言いかけた時だった。

 背後から耳心地のいい声が聞こえた。


「サヴァス様。こちらにいらっしゃったのですか。食事はもう運ばなくてもいいのですか? あ――」


 またしても初めて見る少年だった。

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