月にはウサギがつきもののこと

20 金玉は不可思議な兎と出会うのこと

 金玉はひらりと身をひるがえして、官舎を飛び出た。


 ――これはイケない!

 世の中のことは何もしらぬ若輩者であったが、そう直感したのだ。


 きっと何か、筆舌に尽くしがたい狼藉沙汰になって、でもそれもそこまでイヤじゃなくって、むしろ今まで知らなかった喜びを教え込まれてしまって、ぼくは後戻りできなくなるような……そんなような気がした。


 そして朝の小鳥の声を聞いて、三人で八宝茶はっぽうちゃことになるのだろう。美容と健康にいいお茶だ!


 それでは話が終わってしまう。


 金玉は明かりの消えた街並みをつっぱしり、さらに林の中へと逃げ込んだ。


「はあ、はあ……もう、なんなんだよ……」


 申陽も肝油も、わけのわからないことばかり言っている。


「兄さんも兄さんだよ……みんな、ぼくの体にしか興味がないのか?」


 そう口に出してしまうと、いよいよ自分がみじめに思えてきた。

 幼い頃からあらゆる男にモテた。

 がしかし、満月の晩に、発狂した情熱をぶつけられるだけだ。


 運命の赤い縄で結ばれた人なんて、いないのだろうか?


「……ぐすん」

 

 とりあえず、ここで一夜を明かそう。

 野宿するのによさそうなとこはないかな。


 金玉は目じりの涙をぬぐい、林の中を進みはじめた。


「……えーん、えーん」


 どこやらから、子どもの泣き声が聞こえてくる。

 迷子かな?


 金玉は好奇心にかられて、その声の主を探しにいった。

 

 これから月は欠けていくところだったが、まだまだ明るかった。


 しばらく進むと、水面に月のうつる池があった。

 そのほとりで、誰かの泣き声がしている。


 子どもかと思ったが、どうも非常に体が小さいようだ。

 まさか、赤ん坊?


「ねえ、誰かいるの?」

「――え?」


 金玉の声に応えてふり返ったのは――ウサギだった。

 真っ白な、ふわふわの。


「うん、ボク……迷子になっちゃったんだピョン」

 そのウサギは、男児の声でいった。


「そ、そうなんだ」

 きっとこれも妖怪の一種なのだろう。

 金玉はそう納得することにした。


「ボク、月に棲んでたんだけど、

 下界でかっちょいいお兄さんが川で全裸で洗濯してるのを見たら、

 なんだかこう、フラフラッとして、月から落っこちちゃったんだピョン」


 全裸で洗濯? 着ているものを全部洗濯したのだろうか。


「え、ええとそれで……月には帰れるの?」


「それが難しいんだピョン。ピョンピョン飛んでたら、

 そのうち月に届くかと思ったけど、無理だったピョン」


 それより、なんだ……このしゃべり方は?

 

「あれっ、君も泣いてたピョン? どうしたんだピョン?」

 ウザいウサギは金玉の涙のあとをめざとく見つけて、尋ねた。


「実は……」


 画面の隅にポッと出てきて、どうやっても消せない広告動画と同じくらいウザいしゃべり方をする相手ではあったが、金玉は自分の身の上をぽつりぽつりと語りはじめるのであった。



「……というわけなんだ。みんな、ぼくの体のことばっかり……」


「ふう~ん。ということはキミ、童貞なんだピョン?」


 ウサギは、話の内容と関連性はあるが、金玉の気持ちをまったく汲み取っていない質問をした。


「そうだけど……未婚なんだから、べつにおかしくないだろ!」

「うんうん、それでキミは童貞を守ろうとしてるんだピョンね~」


「童貞なんて、守らないほうがいいと思うけど」

「どうしてピョン?」


「ぼくの満月の呪いのことは言っただろう。

 お母さまは、ぼくが結婚すれば……つまり童貞喪失すれば、

 この呪いが解けるかも、って仰ってるそうなんだ」


「ええ~? それって関係あるんだピョン?

 ないと思うピョン。疑わしいピョン」


 ウサギは、中立公正な観点からいった。


「それに、嫦娥じょうがさまはそんな変な呪いはかけないピョン。

 嫦娥さまに化けた、どっかの女妖怪に呪われたんじゃないのピョン?」


 ――確かに、言われてみれば……!

 金玉は深くうなずいた。


 だが、彼は母の裏の顔(同人活動)も、嫦娥の趣味(鬼畜陵辱)も、何も知らない……。


「じゃあ、嫦娥さまに会いに行くピョン。

 嫦娥さまは、月の都のえらい人だピョン。お願いすれば、きっと呪いを解いてくれるピョン」


「ほ、ほんとっ! ありがとう!

 でも……君、月へ帰れないんじゃないの?」


「そこなんだピョン。はあ~、困ったピョン」


「じゃあ、申陽さんに聞いてみよう。彼は妖怪だから、何か知ってるかも」


「うん、よろしく頼むピョン。

 お礼にボクが、キミの童貞を守ってやるピョン」


 それはお礼になっているのだろうか?


「西方の希臘ギリシアの国の雅典娜アテナは処女神で、処女を守ってくれるピョン。

 童貞にも、そういう神がいなきゃおかしいピョン。

 ボクは兎児とじっていって、童貞を守る神さまだピョン」


「あ、ありがとうね」

 金玉は良家の出だったため、とりあえず礼儀としてお礼をいうことにした。


 まあ、それもいいかも。

 三秘3Pだかなんだか知らないが、わけのわからないことに巻き込まれるのはごめんだ。


「ところで、こんなこといっちゃ何だけど、君のしゃべり方って……」


「うん、ウザいってよくいわれるピョン。

 月下氷人げっかひょうじんさまにも、いつも注意されてるピョン。でも治らないピョン。

 ふだんは黙っておくから、それで勘弁してピョン」


「わ、わかったよ……ところで、童貞の神さまってことは、君も童貞?」

「当たり前だピョン」


 そっか、そうなんだ……。

 ホッとした金玉は、いつしか湖畔の側ですやすやと眠りはじめた。


 以下、次号!

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