第29話
醤油が作れない――。
それは母さんと健夫さんにとって、とんでもなく深刻な問題で、二人そろって数日間も落ち込んでいた。日本人にとっては、お米と並ぶもう一つのソウルフードだもんな。
そのショックで母さんは熱を出して寝込み、王様まで心配のあまり公務が手につかないという始末。フロリアもセリウスも母さんの枕元に付きっきりで、国の未来より「醤油の未来」を優先してる感じすらある。……この国、大丈夫なんだろうか。
醤油が作れなくて国が滅びました――なんて歴史書に書かれたら、笑えないどころか大問題だ。
しかも、母さんだけじゃなく、じいさんまでショックから立ち直れないらしく、ここ数日姿を見ていない。米ができたんだから醤油もいける!と期待が大きかった分、落差もすごかったんだろう。
母さんが寝込んでしまったため、早朝の魔法訓練は休止に。空いた時間で俺なりに「どうやったら稲にコウジカビが付くのか」考えてみたけど……。一番詳しいはずのじいさんが意気消沈してるぐらいだから、そう簡単じゃない気もする。
聖魔法の結界がない場所で稲を作れば菌が付くんじゃ?――とも思ったが、日本から持ち込んだ食材は国外持ち出し禁止。大結界の張り替えタイミングを狙うなんてのもリスキーすぎて無理。
そこで俺は思い出した。
水魔法の中に「浄化魔法」があったはずだ。もしや、浄化で聖魔法を消せたりしないか?
思い立ったが吉日。バケツで栽培していた稲の一つに試してみる。浄化魔法をかけた瞬間、稲から何かがスッと抜け落ちた感覚があった。……おお、聖魔法も浄化できるのか!?
と、喜んだのも束の間。
直後に聖魔法の糸が降ってきて、さっき浄化した稲に再び注ぎ込まれ、あっさり元の状態に戻ってしまった。
「いや、どういう仕組みだよ……?」
日本から持ち込んだ植物には、聖魔法が「保護対象」として認識する目印みたいなものがあるんじゃないか? 守ってくれるのはありがたいけど、おかげでコウジカビが付かないという弊害が出ているわけだ。
……でもさ、ショウユコウジカビって米だけじゃなくて大豆でも育つんじゃなかったか?
この世界には大豆があるんだから、そっちで似たような菌を見つければワンチャンある気もする。
――とりあえず、明日母さんに相談してみるか。
こういう時にスマホで「麹菌 代替 醤油」とか検索できれば一発なんだけどな。あー、地球の文明ってなんて便利だったんだ。失ってから痛感する、あの環境のありがたさ……。
翌日。弟妹たちは母さんの心配をしつつも、真面目に日課である魔法の自主練習をこなしていた。その姿を横目に俺も混ざって汗を流し、それから母さんの部屋へ。
まだ寝込んでいるかと思いきや、布団の上で日本人の残した古い文献を読み漁っていた。完全復活はしてないけど、研究熱は健在らしい。
「この世界の大豆には麹菌が付かないの。つまり、存在していない可能性もあるのだけれど……お米なら、もしかしてって期待はしていたのよね」
「あー、菌自体が存在してない可能性か。そういえばショウユコウジカビって、日本みたいにジメジメした気候じゃないと無理なんじゃ?」
「ちょうどこの辺りは北海道と似た気候で湿度も他国より高いって聞いていたから、お米さえあれば大丈夫だと思い込んでしまっていたのよ……」
確かに俺も、日本の梅雨みたいなジメジメ感はここでは感じない。似ているようで違う環境なのかもしれない。
「で、文献に手がかりは?」
「カビや菌を研究した人は誰もいないみたい。もし居たら、この世界の大豆でもっと試されていたはずでしょうし」
パン作りに使う天然酵母があるなら、菌の研究者がいても良さそうなもんだけど……。
やっぱり米がなかったせいで、研究そのものが広がらなかったんだろう。
日本人、どこまでも米が中心なんだな……俺もだけど。
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