ルビウスの円環
つきかげ
第1話 最終決戦
「ついにたどり着いたな……」
光り輝く伝説の装備に身を包んだ勇者、アレックスとその仲間たちの目の前には、巨大な魔王城が黒雲に覆われた空の下で不気味に佇んでいた。
石造りの城の壁には苔が生え、無数の長い蔓が這っている。
建物は立派だがかなり劣化が激しく、今にも崩れてしまいそうだ。
しかしよく見ると、城の不安定な場所にわざとらしく尖塔が配置されていたり、城のあちこちに加工が困難な材質がふんだんに用いられていたりと、ところどころに魔族の持つ技術力の高さが垣間見える。
そして、この周辺は驚くほど静かだ。見張りの気配すらない。
あたりに身を切るような冷たい風が吹きすさぶ。
身のすくむような圧倒的な光景に、アレックスたちは一瞬息を呑んだ。
しかし、彼らの瞳に恐怖はなかった。
あるのは決意だけ。
世界を救うという、燃えるような決意だけだ。
旅の仲間のひとり、格闘家のレオンが拳を握りしめ、その鋭い視線をそびえ立つ眼前の城に向ける。「この先に、世界を破滅に導く魔王がいるんだよな。ぶちのめしてやろうぜ。暴れたくて仕方ねえよ」
神官セリーナは顔をしかめた。「レオン。すぐに暴力で解決しようとするのはあなたの悪い癖ですよ。ただ……今回はきっと、あなたが正しいのでしょう。魔族の王。とても話し合いで解決できる相手だとは思えません」
魔法使いのイゾルデは先端に宝石が輝く長い杖をつき、冷静に周囲を観察していた。「とてつもない魔力を感じる。用心せい。さもなくば、一瞬でお陀仏じゃろうよ」
イゾルデは少女といってもいい年齢の見た目だが、長寿の種族の生き残りで百年近く生きているらしい。彼女は長いあいだ、山奥で仙人のようにひっそりと暮らしていた。しかし、ひょんなことから勇者アレックスの旅に興味を持ち同行することとなったのだった。
アレックスはこれまで長い旅を共にしてきた仲間たちを見回し、勇気に満ちた声で命じる。「俺たちには精霊ルビウスの加護がある。びびることはない。これまで戦ってきた魔族の幹部たちだって大したことなかったよな? 魔王を討伐し、全員生きて帰る。俺たちは今日、英雄になるんだ」
その言葉を聞いて、レオンが高笑いした。「ちげえねえ。魔王なんかさくっと倒して、さくっと帰ろうぜ」
緊張した面持ちだったイゾルデも小さく笑う。
「アレックスよ。ここまで本当に長かったのう。無事この戦いが終わったら、結婚してやってもよいぞ」
レオンが「ちょ、それフラグ……」とつぶやくのを無視し、彼女は
「この旅が終わろうとも、わらわはどこまでもお前さんについていくつもりじゃ。この高貴なわらわがじゃ。光栄なことと知るがよいぞ」
「いけません!」セリーナがアレックスとイゾルデの間に割って入った。「どさくさに紛れて破廉恥なことしないでください!」
「しかしセリーナ、そうは言うが、おぬしだって昨夜宿屋でレオンとよい雰囲気だったではないか。隠そうとしてもわらわの目にはすべて見えておる。お似合いだと思うがのう」
「うるさい。黙りなさい。淫乱ロリババア」
「なにを申すか。この生臭坊主が」
「まあまあ。でもよかった。みんな、緊張はとれたみたいだな」アレックスが剣を高く掲げ、仲間たちに向かって宣言する。「いざ魔王のもとへ。最後の一撃を叩き込み、世界に平和を取り戻そう!」
そして一同は魔王城の内部へと通じる無骨で巨大な扉の前に立った。
全員で力を合わせて扉を押すと、重く冷たい扉が、ズズズ、と音を立ててゆっくりと動き出した。その先には開けた空間が待っていた。
城のエントランスは薄暗く、かび臭い空気が充満していた。
入口の両側には魔族の英雄の彫像が立ち並び、彼らの歴史を描いたと思われる荘厳な壁画が飾られていた。
壁面は古くなった大理石でおおわれている。
高い天井からは錆びた金属製の大きなシャンデリアが薄ぼんやりとした光を放ち、床に影を落としていた。
城内は異様に静かだ。
一同が足を踏み入れるのをためらうなか、レオンが先頭に立ち、恐怖を誤魔化すようにずんずんと歩き出した。
「待て。静かすぎる。警戒したほうがいい」思わずアレックスが彼を制止した。
「気にしすぎだって」
意気揚々と一歩を踏み出すやいなや、その瞬間、風を切る高い音が響いた。
目にも止まらぬ速さで無数の飛来物が射出されたのだ。
「ぐががががが!!!」レオンの断末魔が城内に反響した。
飛来物は凶器の雨となり、次々とエントランスの石壁に激突する。落雷のようなとてつもない轟音を放ちながら次々にレオンの肉体を撃ち抜いていく。
ほんの一瞬で彼の体は蜂の巣のように穴だらけになり、あたりに血しぶきと肉片、骨片の嵐が舞い踊る。
「きゃああああ!!」セリーナの叫びが城内にこだました。
しかしアレックスたちができることといえば、体の隅々まで穴だらけにされ、ひき肉になりながら死んでいくレオンをただ呆然と見つめることだけだった。
やがて発動した罠が終わりを迎えると、レオンを襲ったのは先の尖った小さな金属の塊であることがわかった。
魔法使いイゾルデは興味深そうに床に落ちた金属の塊を手に取り、観察していた。
「すぐに回復します!」セリーナは焦る気持ちをおさえ、首にかけられたアミュレットを握りしめて回復の呪文を唱え始める。
「光あるところ、闇退きぬ! 偉大なる精霊ルビウスよ、我が呼び声に応え、壊れたものを修復し給え! お願いっ!!」
すると、血の海に沈んだ肉片と化していたレオンの体は見る見るうちに修復されはじめ、やがて完全に元通りになった。
「ふう、びびったぜ。サンキュー」次の瞬間、レオンはなんでもないような顔をして立ち上がった。
「これで終わりじゃないみたいだぞ」アレックスが剣を構えて叫んだ。
城の奥から重い足音が聞こえた。
最初はかすかな足音だったが、やがて豪雨のように響きはじめる。大量のなにかがこちらに近づいてきているのだ。
やがて不規則に配置された階段や闇の奥から滑り出るようにして、数え切れないくらいの魔族がアレックスたちの前に姿を現した。鋭利な爪や牙を持つ異形の集団だ。
アレックスはすぐに仲間たちの先頭に立ち、勇者の剣を構える。
「来るぞ。油断するな! 前衛は俺とレオンに任せてくれ。イゾルデは後方から援護を、セリーナは防御魔法を頼む!」
異形の魔族たちは一斉に地の底まで響くような恐ろしい叫び声を上げながら、武器を構え、アレックスたちに向かって突進してきた。
†
その後も、数え切れないほどの戦闘があった。
一同は向かってくる魔族をすべてなぎ倒して城内の奥へと歩みを進める。
脅威は魔族だけではなかった。
城内の廊下は迷宮のように複雑にからみあい、所々に巧妙に隠された罠が仕掛けられていた。鋭利な刃が飛び出す罠、突如開く落とし穴、壁から吹き出る灼熱の炎など、城内は少し油断するだけでいともたやすく命を落としてしまうような危険に満ちていた。
魔族と戦闘になるたび、罠にかかるたび、石作りの壁や床には斬撃や魔法の痕跡が残され、血の跡が戦いの印として点々と残された。
アレックスたちは無数の罠に引っかかり、襲いかかる魔族たちと戦い、傷つけられ、殺されながら、城の奥深くへと進んでいった。
そして、傷つくたびに回復魔法によって再び立ち上がった。
彼らは精霊ルビウスの加護で守られており、たとえ傷つき、死んでしまったとしても、神に祈るだけで受けた傷が嘘のように全回復し、再び剣をふるうことができた。
心が折れてしまわない限り、何度でも立ち上がり前に進むことができるのだ。
そして、数々の困難を乗り越え、勇者一行はついに城の地下の最奥部、魔王の待つ玉座の間へとたどり着くことができた。
玉座の間は広々としていながら、装飾は一切なく、ただ無機質な石の床が広がっているだけだった。
そんな殺風景な部屋の中央。
巨大な玉座の上に、青白い顔をした男が座っていた。
「勇者たちよ。遠路はるばる、ご苦労なことだ。大した歓迎もできずに申し訳ない」
彼はすべてを見通すような暗い眼差しでアレックスたちを見下ろし、静かに立ち上がった。どこか、薄く笑っているようにも見える。
「お前が魔王だな」アレックスが眼の前の男を見据えて剣を構えた。「俺は精霊ルビウスの祝福にあずかりし勇者、アレックス。お前を倒し、世界に平和を取り戻すためにここに立っている。覚悟はできたか?」
「勇者とその仲間たちよ。お前たちのことはよく知っている。本当に、よくぞここまで。しかし、お前たちはすでに傷だらけではないか。そんな状態でこのわたしと戦えるのかな?」
魔王の言葉を受け、セリーナがその場にひざまずいた。
「偉大なる精霊ルビウスよ。我が呼びかけに応じ、我らを癒やし給え……」
彼女がそうつぶやくと、光の粒子が舞い上がり勇者たちの周辺を包みこんだ。
これにより、ボロボロだった彼らの体は完全に回復する。彼らにはもはや、ほんの少しの疲れすらもなかった。
そのようすを見て、眼の前の男――魔王は不敵な笑みを浮かべた。
「待て。本当におぬしが魔王なのか?」イゾルデが目を見開いて尋ねる。
「いかにも」目の前の男――魔王が答えた。「自分でそう名乗った覚えはないが、人間のなかにはわたしをそう呼ぶ者もいることは知っている。お前の思っている通りで相違なかろう」
「そんな、まさか……」
「どうした? イゾルデ」アレックスがたずねた。
「いや……わらわの考えすぎじゃろう。決戦を前に、少し神経質になりすぎているのやもしれぬ」イゾルデはなんだか歯切れの悪いようすを見せる。
「心当たりでも? もしかして知り合いなのか?」
「そうではない。そうではないが……あやつはあまりにも、われわれ人間と似すぎておるような気がしてのう。……思えば、これまで戦ってきた魔族や、魔族の幹部たちもそうじゃった。肌の色や肉体の色、形などの構造は多少異なる部分もあるが、この世界の生き物のなかで、あやつに一番近いのは我々人間であるように思える。これは一体、どういうことなのじゃ」
長寿の種族の生き残りであるイゾルデは少女のような見た目をしているが、すでに百年近くも生きており、この世界のすべての魔法を習得した賢者でもある。
それに加え、魔法以外の知識も豊富だ。
長い旅の途中、食料が尽き、餓えそうになったのは数回では済まされなかった。そしてそのたびに、彼女が作った動物を捕らえるための仕掛けや、食べられる野草やきのこなどの知識に助けられてきた。
知識の豊富な彼女の目を通して見ると、魔王や魔族の姿には違和感があるのだろう。
アレックスは魔王の姿を観察してみた。
彼は闇夜を思わせるような漆黒のローブを羽織っていた。その下に金属製の薄い鎧が透けて見える。人間が身に付ける防具とは異なり、特別な力が込められた魔法の装備に違いない。
彼の肌は異様なほどに青白く、まるで生気を完全に失った死者を想像させた。
その肌は滑らかであるが、ところどころ薄く青い血管が浮かび上がっており、その白さはまるで夜の月に照らされた湖面の氷のようだ。彼の手足はひょろ長く、指先から伸びる鋭い爪が希少な鉱石のように黒く輝いている。
イゾルデの言葉を聞いたせいか、アレックスはその姿を見てなんだか不安な気持ちになった。
魔王の姿は、まるで生きている人形みたいだ。
イゾルデのいうとおり、彼はどこか人間に似ている。しかし、その異質さは明らかだ。彼はおそらく、この世界の理から外れた存在なのだろう。
「おしゃべりは済んだか?」
魔王の低い声が静かに響き渡る。
彼の冷たく感情の読み取れない瞳は、アレックスたちの心の奥を見透かすかのようだ。
アレックスが一歩前に進み、勇者の剣を握りしめて宣言する。「俺たちは、お前を討ち、この世界に光を取り戻すためにここに来た」
魔王はその言葉に笑みを浮かべる。
その表情は冷酷で、どこか愉悦を感じさせた。
「愚かな人間どもよ。お前の言うその光とやらが、本当に大切なものだと信じてやまないようだな」
魔王は静かに頷き、まるで待ち構えていたかのように提案を持ちかける。「ならばこうしよう。世界の半分をお前たちにやろうではないか」
彼の言葉にレオンが反応した。「世界の半分だと? そんなもん、いらねえよ! 俺には難しいことはわかんねえけど、俺たちは正しいことをするためにここに来たんだ! お前みたいなやつが支配する世の中なんて、俺は絶対に認めねえ!」
アレックスが力強く頷き、レオンに賛同する。「よく言った、レオン。お前の言う通りだ。俺たちは正義のため、世界に希望を取り戻すために戦っている。取引きなんて考えたくもない!」
セリーナが続く。「私たちが求めているのは、土地や領地ではない。自由と平和、そしてすべての命が尊重される世界です。わたしたちにとって大切なものを奪おうとする貴方とは、話し合う価値すらありませんよ!」
一瞬、玉座の間が静まり返る。
やがて魔王は再び冷ややかな笑みを浮かべて言い放つ。「イゾルデよ。お前はどうなのだ。なにか、言いたいことがありそうな顔をしているではないか」
「まさか魔王から交渉を持ちかけられるとはのう。おぬし、一体なにを考えておるのじゃ」
「お前たちは長きにわたる旅の末、ようやくここまでたどり着いた。その勇気は、まったくもって称賛に値する。しかしわたしは思うのだ。この戦いに意味はあるのだろうか。小さき賢者イゾルデ。お前には我々と似たものを感じる。遠慮しなくてよい。お前の考えを述べてみよ」
「旅のなかで出会い、戦ってきた魔族たち。あやつらはまるで人間のように苦しみ、恐怖し、そして時には仲間をかばい合う姿をも見せた。魔族は世界を混沌へと導く存在じゃ。そう教えられてきたし、そう信じてきた。しかし、この世に絶対的な悪などあるんじゃろうか。正義とはなんじゃ? 魔王は平和的な解決を望んでいるようにも見える。同じ言葉を使うもの同士、よく話し合えば、わかりあえる部分もあるんじゃなかろうか……」
「イゾルデ。奴の話を聞くんじゃない。罠だ」
アレックスがふらふらと魔王に歩み寄ろうとするイゾルデを制する。
イゾルデはその場に立ち止まり、杖をついて悩む姿を見せた。しかし、彼女はそれ以上なにも言わなかった。
「交渉決裂だな」魔王が笑う。「最初からわかっていた。それがお前たちの意志であるならば、わたしも応じる準備はできている」
魔王はその不自然に大きな手のひらをゆっくりと持ち上げると、部屋全体が震え始めた。アレックスたちはおのおの戦闘態勢を整える。
魔王の体から魔力を帯びた黒い煙が立ち上がり、やがて、巨大な異形の魔物へと変身した。
「来い、愚かな人間どもよ。見事わたしを打ち倒し、この玉座から退かせてみるかいい!!」
†
戦いは苛烈を極めた。戦場はまさに地獄だった。
魔王が装飾の施された杖を振りかざすと、部屋の温度は瞬時に下がり、空気中の水分が凍結した。それは煌めくダイヤモンドダストとなり、無数の氷の刃と化して勇者たちを襲った。
魔王の力は人間の理解を遥かに凌駕していた。
彼が腕を振りあげると城全体が揺れ、爪が閃けば勇者たちは次々と瀕死の状態に追い込まれ、あるいはその場で命を散らしていった。
「光あるところ、闇退きぬ! 偉大なる精霊ルビウスよ、どうか私たちに力を!」
セリーナが石造りの床に錫杖を叩きつけると、死にかけていた仲間たちは再び立ち上がった。まるで最初からなにごともなかったかのように。
「
怒りをあらわにした魔王の鋭い爪が、セリーナに向かって猛然と襲いかかる。
イゾルデは瞬時に防御の結界を張り巡らせたが、魔王の圧倒的な力の前にあっさりと粉砕された。その力は純粋な破壊であり、絶対的な暴力だった。凄まじい勢いで振るわれた一撃が、セリーナの細い身体を襲う。彼女の体は無残にも宙を舞い、硬い石壁に激突する音が部屋に響き渡る。
満足げな魔王の爪には彼女の腹から飛び出た内蔵がだらりとぶら下がっていた。彼はそれを口に運ぶと、美味そうに食らった。
「精霊ルビウスよ! 我が呼びかけに応じ、壊れたものを修復し給え!!」
アレックスが叫ぶと、地下深くにある薄暗い部屋に光が差し込んだ。
そして、当然のようにセリーナが命を取り戻す。着用している衣服は彼女の血や体液で汚れたままだったが、傷は完全に回復していた。
魔王は眉間にしわを寄せながらも、どこか安心した表情を浮かべていた。
「愚かな、人間どもよ……」
戦いが始まる前から、魔王にはわかっていた。この戦いが、自分にとって分が悪いものであることを。
若く、未熟で、そして脆弱な勇者たち。
しかし、彼らには精霊ルビウスの加護があった。
その加護が彼らの勇気を支え、無知ゆえの自信を与えていた。
歴史を変えるのは、いつもそうした無謀とも思える勇気を持つ者たちなのだ。
魔王の
そのすっかり細くなった瞳で彼女を見据え、心の中で語りかける。
(ルビウスよ、あなたに会うのはなんと久しぶりのことだろう。どうか教えてくれ。あなたはどうして我らを見捨てたのだ……)
気がつくと、魔王の眼前にはレオンが立っていた。
彼は拳法の構えをとっていた。
次の瞬間、レオンの肉体はまるで紙切れのように裂けた。血飛沫と共に肉片や骨、内臓が床に飛び散る。
眼の前の人間を粉々にすることくらい、魔王にとってハエを叩き落とすのと何も変わらない。
「光あるところ、闇退きぬ!」
セリーナが声を張り上げ、必死に祈る。
その声に応えるかのように、陽の光も差さない地下の空間に光の柱が立った。
粉々になったレオンの肉体が再び完全な形で蘇る。
何度命を奪っても、何度塵の如く打ち砕こうとも、精霊ルビウスの加護によって彼らは蘇り、何度でも立ち上がる。
おそらく、ここにいる四人の命が同時に奪われたとしても同じだろう。
その肉体を塵のひとかけらになるまでバラバラにしたとしても、この世界のどこかで彼らは必ず蘇り、再び魔王の前に現れる。
魔王が倒されるその日まで。
これは永遠に繰り返される世界の理なのだ。
分が悪いどころの話ではない。
勝ち目など、最初から魔王にありはしないのだ。
魔族の中にも、回復魔法を扱うことができる者が存在するのは確かだ。
だが、傷ついた肉体を再生させる、あるいは死者を蘇らせるといった魔法は、神の奇跡そのものだった。決して、勇者たちのように軽々しく連発できるような代物ではない。
同じ魔法でも、破壊するのは簡単だ。
大量のエネルギーを衝突させるだけで、その対象の構造はいとも簡単に崩壊する。
それに対して、破壊されたものを元通りに修復するのはとても難しい。特に生き物の体のように複雑で精密なシステムを持つものを修復しようとすると、その難易度は信じられないほど跳ね上がる。
破壊はエントロピーの増大を伴う。
このことは宇宙の自然な流れに沿っている。
一方で、破壊されたものを元に戻す行為、つまりエントロピーを減少させる行為は、自然の法則に逆らうことを意味する。
ありえないことが起きること。
それを人は奇跡と呼ぶ。
故に、回復魔法は神の奇跡と呼ばれている。
そして勇者には神の加護があり、魔族にはそれがなかった。
この世界に魔王が存在する限り、勇者もまた現れる。
最初は未熟だった勇者が成長し、手にした剣がついに魔王の喉元に届くとき、世界は混沌から解放される。
そして、勇者が魔王を討とうと旅立つとき、この宇宙全体が彼らを応援し、使命を果たさせようとする。
それが、この世界の
だから魔王は、勇者が誕生した瞬間、ついに己の時代が終わることを悟った。
しかし、ただ滅びを待つだけというのもつまらない。
魔王は、冒険を経て成長した勇者たちが自分と対峙するとき、ある提案をすることに決めていた。
世界の半分をお前たちにやろう。
それは、彼にとって最大の譲歩であり、同時に最善の選択だと信じていた。
お互いに対等な存在として、この世界を共に歩むための提案。
この先には、誰も知らない未知の世界が待っているに違いなかった。
「ぐっ……ぬうう……」
長きに渡る戦いのなか、数え切れない攻撃を受け、ついに魔王が床に膝をついた。
彼の苦悶に満ちた唸り声が玉座の間に響く。
(ルビウスよ。なぜ我らを捨てたのだ。かつてあなたは、我らの一族と共に戦った仲間であったはずなのに……)
しかし、ルビウスはその問いかけに答えることなく、ただ優しく彼を見つめるだけだった。
千年の時を経ても変わらぬ、慈愛に満ちたその微笑みで。
(……いや。そうではない。あなたはいつも傍にいてくれた。今もここにいる。我らは捨てられたのではない。我らがあなたを捨てたのだ)
魔王はすべてを諦めたかのように、静かにその目を閉じた。すると、魔王の頭の中に声が響いた。
(もう十分でしょう。この世界の魔王となった者よ。わたしと共にゆきましょう。あなたは何も悪くないのです)
(おお、慈悲深きルビウスよ。我らは傲慢にもあなたへの信仰を捨ててしまった。それでもあなたは許してくれるというのか)
(許すも許さぬもありません。わたしはいつだってあなたと共にありました。でも、もう疲れたでしょう。今のあなたには休息が必要だと思います。この世のすべての生命と等しく、あなたもまた、わたしの愛する子だということを忘れないでください)
(人間は、やはり愚かだ)
(そうかもしれません)
「これで終わりだ、魔王ッ!!」
長い戦いにも、ついに終わりの瞬間が訪れようとしていた。
魔王が弱っているのは誰が見ても明らかだった。
勇者アレックスが力いっぱい握った剣は、その隙を見逃さなかった。光り輝く勇者の剣が魔王の鎧を突き破り、その腹を切り裂いたのだ。
その瞬間、派手に開いた傷口からは鮮血が噴き出し、はらわたがどろりと流れた。魔王の体がぐらりと揺らめく。
一瞬、彼の表情に苦痛の色が浮かんだ。
しかし、その表情はすぐに不敵な笑みへと変わる。その瞳はどこか安らぎに満ちていいた。
「……勇者アレックスよ、よくぞわたしを倒した。わたしは長い間、こうなることを望んでいたのかもしれぬ。だが、覚えておけ。光と闇は対極には位置しない。ルビウスの加護により、お前たちは何度でも立ち上がり、挑み続けた。しかし、その加護が当然のものと思わないほうがいい。予言しよう。その力は、いずれお前たち自身をも討ち滅ぼすことになるのだ」
「どういう意味だ。お前は一体、何を言っている?」
魔王は僅かに笑みを浮かべ、囁くように応じた。
「お前たちの命は短い。なにも知らぬまま
その言葉を最後に、魔王の身体は崩れ落ち、霧のように消えていった。
その場には魔王の羽織っていた漆黒のローブと着ていた鎧だけが残された。
「終わったのか?」レオンがつぶやく。
「ああ。これですべて終わりじゃ。魔王は完全に消滅した」そう語るイゾルデの瞳には少しだけ迷いの色があった。
そして、地下の薄暗い大広間。
静寂のなか、勇者たち一同の頭の中に透き通るような女性の声が響いた。
『勇者アレックス。そして、格闘家レオン、神官セリーヌ、魔法使いイゾルデ。見事な戦いでした』
それは、旅がはじまったときから勇者たちを見守り続けてきた、精霊ルビウスの声に違いなかった。
『本当によくがんばりましたね。でも、あなたたちの旅はこれで終わりではありませんよ。これからもこの世界を守り、光り輝く未来を築きあげてください』
そして、あたりには静けさだけが残された。
アレックスは魔王を切り裂いた剣を鞘に納め、ともに戦った仲間たちの方を向いた。
みんなの顔には濃い疲労の色が見えた。しかし、その表情は魔王を倒したことによる達成感に満ち溢れていた。そんななか、イゾルデだけは納得いかないようすだった。
「なあ、イゾルデ」アレックスは彼女に向かって言った。「全部終わったんだ。気にすることないぜ。俺たちは正しいことをしたんだよ。俺たちがずっと旅をしてきたのはこの時のためだろ? 違うか?」
「……ああ。そのとおりじゃ。お前さんの言う通りじゃとも」
しかし、彼女の表情はどこか浮かないままだった。
続けてアレックスがなにか言おうとしたその刹那、部屋全体が不穏な音を立て始めた。直後、轟音とともに激しい揺れが彼らを襲う。
「一体、なんですか!?」セリーナが叫んだ。
壁に亀裂が走り、天井からは瓦礫が音を立てて落ち始めた。魔王が消滅したことで、城そのものが崩壊を始めたのだ。
「やばい! 早くここを出るぞ!」
レオンが声を張り上げると、それを合図に四人は全力で走り出した。
背後で崩壊の音が響き渡る中、一瞬も立ち止まることなく、駆け抜けた。
彼らが思い描く、光に満ちた輝かしい未来へと向かって。
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