第38話 いってきます

 念のために村にも行ってみたが、やはりロレッタの姿はなかった。


 代わりに、何人かの村人に不思議そうに声をかけられる。


「なあ、今朝早くにロレッタちゃんが挨拶に来たんだよ。あの子、レオンさんを置いてどこへ行っちまったんだ?」


 どうやら、お世話になったからとみんなに声をかけて回っていたらしい。あの人見知りのロレッタが、たったひとりで。


「……実家に、帰るみたいですよ」


 おれはそう伝えるだけで精一杯だった。


 それはないんじゃないか、ロレッタ。


 いずれ行くことはわかっていたけれど、みんなには声をかけていったのに、おれにだけはなにも言わずに出ていくなんて、ひどいじゃないか……。


 そりゃ、面と向かえば引き止めちゃってたかもしれないけどさ……。


 肩を落として家に戻ると、ますます気が滅入ってしまった。


 誰もいない。


 ただ静けさだけがある。


 暖炉に火をつけても、あたたかさが足りない。カーテンを開けても、明るさが足りない。


 ふたりならちょうどいいと思っていた家の広さが、あまりに広大に思えて寂しくなる。


 キッチンには昨日作ったスープが残っている。悪くならないように、ちょくちょく火にかけて沸騰させるようにと言っていた。ひとりでこのスープを飲み切るのに、何日かかるだろう?


 暖炉の前のソファに座ってみても、くつろげない。隣に寄り添って欲しい誰かがいないから。


「……ロレッタ」


 ああ、ダメだ。我慢できない。涙がこぼれてくる。


 家の中にいる限り誰かに涙を見られるわけでもない。だから泣いてもいいのだが、その事実に気づいて、ますます涙が溢れてくる。


 ひとりなのだ。この先、ずっと。


 もうロレッタの料理は食べられない。


 もうロレッタがベッドに潜り込んでくることはない。


 もうロレッタとソファでゴロゴロすることもない。


 もうロレッタと、会うこともない。


 ……忘れたい。


 いっそ、初めからひとりが良かった。


 小さな家で、たったひとりで、まずいスープを飲んで、寂しさも知らずに生きていれば、こんなにつらい気持ちになることもなかった。


 この家を壊して、元通りの小さい家にしてしまおうか?


 そんな気持ちさえ湧き上がってくる。おれが剣を振るえば、こんな家、一分もかからず破壊し尽くすこともできる。


 けれど剣を取ってみれば、一緒に材木を切って作ったこと、水路を作った日のことが思い出されてくる。とても握っていられない。


 次に思いつくのは酒だった。


 飲んでいれば少しは楽しい気持ちになって、飲み続ければ少なくともその間のことは忘れられる。


 そう思って酒場でたくさん買ってきたのだが、これも失敗だった。


 飲んでいたって、ちっとも楽しくない。


 むしろ一緒に飲んだ日が思い起こされて、つらくなるだけだった。


 そして飲み続けても、なにも忘れられない。


 二日酔いになって苦しむときでさえ、彼女が看病してくれた思い出に悩まされる。


 結局、おれにできることは、できるだけなにも考えず、心を殺して生活することだけだった。



   ◇



 ロレッタが去ってから、どれくらい経ったか、もうわからない。


 思い出がありすぎてベッドでは眠れず、床に寝袋で寝る日々だった。


「おじさま……? なにがあったのですか」


 切迫した声に目を覚ますと、レティシアがいた。


「やあ……久しぶり。また遊びに来たの?」


「そのつもりでしたけれど……どうしてしまったのです、この有り様は。ロレッタさんはどちらに?」


「ロレッタ……ロレッタなら、帰ったよ……。おれを置いて、帰っちゃったんだ」


「それがショックでこんな風に……?」


「あはは。情けないね。でも、きついんだ。この家のどこもかしこも思い出だらけで、ロレッタがもういないって、突きつけてくるんだよ……」


「おじさま……。話はあとです! まずはヒゲを剃って、髪を洗ってきてください! その間に、この散らかり放題の部屋は、掃除しておきますから」


 強引に起き上がらされて、風呂場に向けて背中を押される。


「あははっ、しっかりしてるなぁ、レティシアは。きっといいお嫁さんになるよ。いや、むしろ……やっぱり、おれと結婚する……?」


「――ッ!」


 瞬間、左頬に強烈な衝撃を喰らい、おれは床に転がされた。


「バカなこと言わないでください! そんなおじさま、私は大っ嫌いです!」


 その悲痛な叫びと痛みが、おれを少しは正気にさせた。


「……ごめん。どうかしてた。君まで傷つけるようなこと、言ってしまった……」


「いえ……。私も、殴ってしまって申し訳ありません。……お掃除、してますから。早く行ってきてください……」


「ああ……」


 言われたとおりにしてから戻ってみると、居間に散らかっていた酒瓶やゴミを集めてくれていた。


 続いておれの部屋の掃除をして、その次はロレッタの――いや、今はただの空き部屋に入っていく。


「この部屋は、綺麗なままなのですね……。あら?」


「どうかした?」


「あの、おじさま? この手紙はもう読みましたの?」


「手紙?」


 レティシアが持ってきてくれたのは、一通の封筒だった。ロレッタの字で、『レオンへ』と書かれている。


「知らない……。これ、どこにあったの?」


「ベッドの上に。ひと目でわかるように置かれていましたわ。おじさま、このお部屋に一度も入っていなかったのですか?」


「あ、ああ……入る気も湧かなくて……」


 封筒の中には、便箋が一枚。その内容は、たったふた言だけ。


『いってきます。約束、忘れないで』


 おれは手紙を持ったまま、その場で崩れ落ちた。


「あ、あははは……。なにやってたんだ、おれは。すぐわかる場所にある手紙にも気づかないで……。これを読んでさえいれば、なにも苦しまなくて済んだのに……」


『いってきます』は出かけるときの言葉だ。


 ここに帰る意志を示す言葉だ。


 そして約束。これはきっと、ロレッタが魔王城に帰る約束のことじゃない。


 もうひとつの約束だ。ふたりで幽霊ゴースト退治をしたときに交わした、『ロレッタが帰る日が来た時、もし彼女が助けを求めたら手伝う』という約束。


 つまり、ここへ帰るために、手を貸して欲しいと言っているのだ。


「レティシア、お願いがある。大至急、サイラスを連れてきてくれ」


「はい? ですが、お掃除は……。それに家までかなり遠いですけれど……」


「掃除ならおれがしっかりやっておく。それに、サイラスはどうしても必要なんだ。おれの特訓に」


「特訓、ですか?」


「頼むよ。おれの考えていることが正しければ、おれは、今度こそあの子に勝たなくちゃいけないんだ」




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次回、特訓を終え、時が来たとき、レオンは再び魔王城へ発つのでした。

『第39話 迎えに来たよ』

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