【第七夜】 そろそろ



 千歳の手のひらに収まった携帯電話が細かく振動した。


 曲が流れて着信を知らせる。


 この仕事を始めてから、それが可能なときには、携帯電話に触れていることが癖のようになっていた。


 この仕事とは―――「祓い屋」のほうである。


「はい」


「あ、俺」


「どこの俺?」


 電話をかけてきた相手はわかっていた。


 それでも千歳はわざと訊く。


 どうしていつもいつも、名前を名乗らないのだろう?

 「俺」という代わりに「正宗」と一言でいい。

 それで済む話だろうに。


「俺だよ俺」


「俺には俺という知り合いはいない」


「またまたぁ。千歳ちゃんはお約束だなぁ。画面に名前が表示されるでしょ?」


「ちゃんをつけるな。いちいち見てない。切るぞ」


「あ~。待って待って! 仕事の進捗のハナシだから」


「……」


「どう? 明日で三日目でしょ?」


「……」


「玉木サンはいつも通り。『祓い』のほうには五万以上は出せないって。日数かかると千歳も割が合わないでしょ?」


「……」


「水回りの工事も入れなきゃだし、そろそろ大丈夫かな?」 


「……たぶん、そろそろ」


「りょーかい! じゃ、終わったら連絡ちょうだいね」


 千歳の眉間に浅いシワが寄る。


 今は気分のままに、携帯電話をベッドの上に放り投げた。


 これも毎回のことだが、正宗は騒々しい。

 長所と短所は紙一重というのなら、明るくて賑やかともいえる。


 自分では口下手だと思っている千歳としては、さすが営業職だと感心もする。


 その一方で、正宗のなにも考えていなさそうな能天気な声に、若干イラっとさせられることも否めない。


 実際に正宗がなにも考えていない能天気なのかといえば、そんなこともない。


 千歳もそれは理解している。


 昔の正宗はどちらかというとおとなしくて、怖がりで、なにかあるとすぐに泣いていた。


 千歳のほうが正宗の世話を焼いていた。


 今ではわりと逆のような気がしている。


 仕事柄、千歳に近いものは生者ではない。


『気をつけるんだね。油断をすると、かれるよ』


 祓いの師である夜須社長の言葉だ。


 騒々しい正宗は、この騒々しい現実に、千歳を繋ぎ止めているもやいなのかもしれない。


 静寂の彼岸にるものに、千歳を曳かせないために。


 


 


▲▽▲▽▲



 翌日の朝。


 千歳がマンションの玄関の鍵を廻して扉を開けると、廊下にあかりが立っていた。


 立っていた。というか、ふよふよと浮いていた。


「おはよう! 見て! これスゴくない?」


 千歳が来るのを今か今かと待ち構えていた。


 浮いているのを、早く見てもらいたかったらしい。

 あかりはにこにこと笑って、くるくると金魚のように回ってみせた。

 まるで無重力空間にいるようだ。


「おはよう。スゴイね、それ。楽しそう」


 その笑顔につられて、千歳も笑う。


 あかりの周囲を取り巻いていた糸のようなかげは、よく目を凝らさないと見えないほどに、細く薄くなっていた。


 もう、ほとんど消えているといってもいい。


 これなら……大丈夫だろう。


 千歳はそう判断した。


「なに? じっと見て。どうしたの? 入ったら? って、わたしが言うのもおかしいよね」


 てへっとあかりが舌を出した。


 その仕草も笑顔も声も、昨日よりも、その前日よりも確かに幼くなっている。

 まるで十代の少女のようだ。


 それは気のせいではない。


 儚くなった者は無意識のうちに、還かえりたい姿へと変化していく。

 千歳はそういった者たちをずいぶんと視てきた。


 あかりの透けている身体越しに、廊下の先にあるリビングが見える。


 がらんとしたその部屋にはテーブルも椅子もない。なにもない。


 カーテンのない窓から射し込む、朝の淡い光があるだけ。


「あかりさん……あのさ」


 千歳は切り出した。


「ずっとここに居るわけにもいかないよね? そろそろ……く?」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る