第9話 金龍と白猫の仕事始め

※都鳥様とミドリ様主催の #2024新春年賀状SS・イラスト企画 参加作品です。




 十二支は自分たちの年がやってくると、神の御使いとして生きとし生けるものすべてに奉仕するべく、神の住まう御殿に身を寄せる。

 今年の干支である辰――つまり龍族だ――は、その役目を金龍家の長男である泰輝様に任せることとした。

 

 ぬばたまの髪に、金龍族の特徴である太陽のような金色の瞳。

 他の一族を圧倒させる大柄な体格に凛々しく精悍な顔立ち。

 その側頭部には、誇り高い龍族の証である立派な角が生えている。

 立場に甘えることなく日々修練に励み、どのような身分の者にも礼節を持って接する。

 

 まさに、龍族の頂点に立つべく生まれてきた人だ。

 

 神の御殿へと向かう、いぐさが濃く香る御輿の中。

 そんな彼の腕に包まれているのは、つい三月前に天界に飛翔したばかりの、十二支の眷属にかすりもしない猫族白猫家の出身の俺――然河――だ。

 

 背後から鼻腔を擽るのは、白檀と混じった泰輝様の匂い。

 またたびのように芳しい匂いに思わず引き寄せられて喉を鳴らす。

 

「さっきまでの緊張はどこに行ったんだ?」

 

 ふふっと笑われて、へにゃんと寝た耳の裏を撫でられる。

 これがまた気持ち良くて、さらに喉を鳴らすのが止められなくなった。

 

「知りませんよ」

 

 現金な自分が恥ずかしくて、俺は御簾へと視線を逸らした。

 何故、俺がこんな状況下にいるのかと言うと説明が難しい。

 が、思い出しながら話していこうと思う。

 

 俺は元々、地上界のとある国で文官として働いていた。

 所属は宰相室。

 つまりは、宰相様直属の文官だ。

 そこで俺は国内外における高度な政治案件を捌いていた。

 

 やりがいは存分にあるけれど、これがまあストレスがやばくてさ。

 滅多に休みも取れないから、星見台に登り、またたび酒を煽りながら天体観測をするのが唯一の気分転換だった。

 

 そんな変わり映えのない日々を過ごしていた七年前、俺の安寧の地に踏み入ってきたのが泰輝様だ。


「毎夜、星を見るのは飽きないのか?」

「いいえ。同じように見えて、空は少しずつ変わっていくのですよ」

「少しだと言うが、わかるのか?」

「目はいい方ですからね。ちゃんとわかります」

「ほう? 教えてくれないか。俺も目はいいんだ」

「え? いいですけど……」

 

 彼は武官の服を着ていた。

 顔も知らぬ同僚だと思った当時の自分を殴りたい。

 

 それはさておき。

 その日から、約束をしなくとも星見台で落ち合い、夜半になるまで星を眺め、酒を片手に語らった。

 体格と顔に似合わず物腰が柔らかく、博識な彼に俺はすぐに夢中になった。

 父にも兄にも向けることはない気持ちが恋慕だと気付いたのは、出逢ってから五年も経ってからだ。

 自分の鈍さにはほとほと呆れる。

 

 泰輝様を意識するようになってから、少なからず彼も同じ気持ちでいることは察していた。

 でも、それが勘違いだったら?

 関係を壊すのが恐ろしくて、想いを告げることはできなかった。

 

 俺が馬鹿みたいに足踏みしている間に、泰輝様は辺境の砦へと向かうことが決まる。

 俺は絶望した。

 だって、辺境へ行った独身の武官は、決まって彼の地の女性を連れにして都へ戻ってくるからだ。

 最後の逢瀬の夜、またたび酒に酔った俺はみっともなく彼に縋った。

 

「泰輝様と離れるの、嫌だ」

「俺もだ」

「俺を置いて行くなよぉ……」

「それは……ごめんな」

「泰輝様が他の女と一緒になるのは嫌ぁ……!」

「え、然河? それって……」

「好きだよぉ……泰輝様が好きなんだよ!」

 

 涙も鼻水も垂れ流し、恥も外聞もなく、ロマンチックの欠片もない告白に普通はドン引きするところだ。

 ところが、泰輝様は満面の笑みを浮かべた。

 

「俺も然河を愛している」

 

 不意に唇に触れた熱は一瞬で、けれど松明の灯りよりも熱くて。

 たった一度の口付けだったけれど、とてもとても幸せな瞬間だった。

 我慢ができなくなるからとそれ以上はお預けにされ、続きは五年後、辺境から戻ってきてからと約束した。

 

 指折り数えて泰輝様の帰還を待ち侘びていたある秋の早朝、俺は神殿に呼び出された。

 神殿に呼び出されるのは滅多なことではない。

 俺は何をしでかしたのか自分の記憶を掘り起こし、どんな罰を受けるのかビクビクしながら神殿へと向かった。

 

 ところが、そこにいたのは都にいるはずのない泰輝様で、しかも、本当は天界に住む龍族の中でも名家の金龍家の長男であると神官長から告げられた。

 

「こんな俺は、嫌?」

 

 力なく眉尻を下げる泰輝様は彼らしくない。

 堂々とした彼はどこに行ったのか。

 けれど、そんな弱気な彼が可愛くて仕方がなかった。

 

「まさか。大好き」

 

 俺は大きな体に抱きついた。

 そして、うんと背伸びをして、拒絶を恐れて戦慄く彼の唇に自分のそれを重ねる。

 約二年ぶりの愛しい人との口付けは多幸感を伴って体を熱くさせた。

 

「天界に戻るのはもっと先のはずだったんだが、来年の干支のお勤めをするはずだった青龍族の一人娘に子が生まれてそれどころではなくて。代わりに私が役目を担うことになったんだ。一緒に天界へ行ってくれるか?」

「もちろんです」

 

 当然返事は即答だ。

 これ以上、泰輝様と離れるなんて考えられなかった。


 天界へ飛翔した俺は泰輝様の両親と対面し、連れ合いになる許しを得た。

 許しも何も、両親をはじめとする龍族からは盛大に歓迎されたのだけど。

 そして、泰輝様とその御母堂さまから天界の常識を叩き込まれ、泰輝様の連れとして相応しい振る舞いを身に付けた。

 今日はそのお披露目の日でもある。

 

 俺の耳の裏から喉へと手を移した泰輝様は優しく囁く。

 

「大丈夫。誰が見ても然河は愛らしい。白銀に輝く髪も、空のように澄んだ瞳も美しい」

「泰輝様は欲目もあるので信用できません」

「俺を信じられないって?」

「そうは言っていません。時と場合によるということです」

「全部本当のことなんだがなぁ。然河はもっと自信を持て」

「善処します」

 

 そう言われたって、天界の中でも稀有な存在である泰輝様の連れとして俺はまだまだ力不足だ。

 彼と立ち並ぶにはもっと努力しないと。

 

 そうこうしているうちに御輿は神の御殿に到着した。

 音もなく御簾が上げられると、泰輝様は軽やかに地に足を着けた。

 外から黄色い歓声が上がる。

 泰輝様は天界でそれはそれは人気なのだ。

 

 泰輝様に和らげてもらった緊張が一気に戻ってきた。

 寒いのに、手のひらが汗でベチョベチョになる。

 御輿の外が怖くてたまらない。

 

 縮こまる俺に、泰輝様が大きな手を差し伸べる。

 その顔は春の日差しのように柔らかだ。

 その温もりに包まれたくて、俺は手のひらを手拭いで拭くと、差し出された手に自分のそれを重ねた。

 

 おずおずと御輿から降りると、温かな拍手に迎えられた。

 豪奢な宮殿と、これから一年、共に仕事に励む仲間たちが視界を埋め尽くす。

 

「ほら、大丈夫だったろう?」

「はい!」

 

 どんな仕事が待っているのか、きちんとお役目を果たせるのか不安なこともある。

 でも、泰輝様と一緒なら絶対に大丈夫。

 

 鳴り止まない拍手の中、俺と泰輝様は神様が待っている御殿へと歩みを進める。

 俺の白銀の髪には黄玉、泰輝様のぬばたまの髪には蒼玉があしらわれた簪が、元旦の初陽に反射して煌めいていた。

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