19 パーティーの反乱


 グロウパーティーが開幕するや否や生徒も教師も非日常の空間に夢中になった。どれもミリーの狙い通り。皆、ナイトサーカスから着想を得た思い思いの格好に身を包み、休暇前の憩いの時を満喫している。


 国立図書館で起きた事件の話を知らない者はいなかった。けれどだからこそ、生徒たちは浮かれた様子で仲間との会話やダンスに勤しむ。胸に溜まった不安の反動から歓天喜地するのは無理もない。


 ミリーはヒューマリードリンクを片手に巨大なケモノを模ったふかふかのソファに座り込む。円形のソファが囲むのは豪華絢爛な食事が並べられた特別なテーブルだ。会場のメインフロアよりも高いところにあるこの場所から、ミリーは火吹きのパフォーマンスにはしゃぐグループを見下ろした。


 ミリーがいるのはパーティーの委員を務めた生徒のみが立ち入ることができる、通称「浮島」と呼ばれる場所だ。

 会場の宙に用意されたまさに浮島のためそれほど広い空間ではない。が、多くの人で賑わうメインフロアの喧騒から少しの間離れることができる。


 もちろん、壁はないため階下で盛り上がるパーティーの雰囲気も問題なく肌で楽しめる。料理は定期的に補充され、飲み物もオーダーすればすぐに届けてもらえる権利すらある。

 人に囲まれもみくちゃになりながらパーティーを楽しむのも一興だが、外界から隔離されたかのような贅沢な場所で貴族のごとく振舞う優越感も捨てがたい。


 ミリーは黒魔術師を彷彿させる妖しい風貌のパフォーマーにきゃっきゃと騒ぐ女子生徒たちをぼうっと眺め、手元のグラスを口に運んだ。

 彼女たちが身に纏うのはどれも業界で話題のデザイナーが手掛けたもので、つい最近発表された新作ドレスばかり。ナイトサーカスのテーマに合わせ、彼らに頼んでパーティー用に新たに仕立ててもらったと思われるものもある。


 ミリーは空になったグラスを机に戻し、視界に入り込んだ自分のドレスに目を落とす。

 ミリーが着用しているのは母のクローゼットの奥に眠っていたものを改造したドレスだった。

 光沢のある黒い生地をベースにシルエットはタイトな作りになっている。身体のラインを拾うシルエットを纏うのは、何段にも連なるシルバーのビジュー飾り。全身を包み込む静かな輝き。シンプルな黒のドレスを覆うビジューはまるでシャンデリアが揺らめいているようだ。


 母に借りたこのドレスは元は飾り気のない地味なデザインだった。そこにミリーがビジュー飾りを施したのだ。ドレスを借りたいと母に申し出た時に彼女の背後で話を聞いていた父の姿が脳裏に浮かぶ。

 パーティーがあるのなら新しいドレスを買えばいい。

 端整な笑顔でそう言ってくれた彼の提案を断り、ミリーはドレスを手に自室へ戻ったのだ。

 その時の心情が胸に蘇り、ミリーは居心地が悪くなって顔をしかめる。


 もし父の申し出を素直に受け入れていれば、パフォーマーに熱烈な視線を送っていた彼女たちと同じように自分も最新の高価なドレスを手にできたかもしれない。むしろその方が自然な展開だったはず。

 ローフタスラワ学園に通う生徒たちは環境に恵まれた裕福な家の出が多く、大体が出費の額など気にせずにそうしてきただろう。ならば何も特別なことでもないのだ。


 けれどミリーは父の提案に乗る最後の一歩を踏み出すことに躊躇してしまった。

 学園に入学してから。いや、彼に出会った七年前からずっと。

 義理の父親に我儘を言うことは、ミリーにしてみれば永遠の命を得ることと同じくらい不可能な難題だからだ。


 義父に嫌われているというわけでもない。どちらかと言えば娘が甘えてくれないことを義父は寂しがっていると母から聞いたことがあるくらい関係も良好だ。

 ミリーも彼のことは嫌いではない。というよりも好きな方だ。優しくて遊び心もある良い人だと思っている。母のことも大事にしてくれて、文句などあるはずがない。

 問題は彼ではない。七年前に家族になったあの日から変わらず、彼に甘えられない理由は他にある。


 ミリーはドレスから目を離し、誰も座っていない右側に顔を向けた。

 今、浮島にいるのはミリーの他にイエナとモリーだけ。先ほどまでシエラとレジーもいたが、友人に呼ばれてフロアに下りてしまったため、委員会メンバーのみが立ち入れるはずの浮島にいるのは大半が委員会に関係のない人間となっていた。


 パーティー好きのヴァレンティナはここぞとばかりに露出の激しいドレスを着てこれ見よがしに踊りに行っているし、委員会のあとの二人はパーティー前に顔を合わせたきり行方知らずだ。

 が、その方が却って居心地がいい。話題の合わない生徒たちと無理に一緒にいるよりも、気の知れた仲間たちといる方を選択するのは当たり前のこと。

 彼らも正しい選択をしたまで。

 しかしまだ不完全なのだ。

 ミリーは眉根を寄せ、ケーキを手に浮島に戻ってきたばかりのモリーに訊ねる。


「ねぇ、ジュールを見なかった?」

「ふぇ? ジュールですか?」


 早速ケーキを頬張るモリーは、クリームで一杯の口をなんとか動かす。


「今朝、パーティーで会おうって言ってから一向に姿が見えないの。まさかこんな日まで魔道具部に駆り出されてるはずがないでしょう?」

「さっき、ダイルが踊っているところを見たわ。リアンナや他の魔道具部のメンバーも彼の近くにいたのだから、魔道具部は活動していないんじゃないかしら」


 慌ててケーキを飲み込もうとするモリーを微笑ましく見守りながらイエナが答える。


「ジュールもパーティーに来ているはずよ」


 ケーキを上手く呑み込めなかったモリーがゲホゲホ咳き込むと、イエナがそっとペーパーナプキンを彼女に差し出す。モリーは申し訳なさそうにそれを受け取った。


「浮島にいることは知ってるのよね?」

「うん。去年も一緒に浮島に来たし、分からないはずはないんだけど」


 イエナの問いにミリーは頬を僅かに膨らませながら頷く。

 過去のグロウパーティーにも彼と一緒に参加をし、最後のダンスタイムで会場を沸かすのが定番となっていたのに。

 ミリーは腕を組んで不満を露わにする。今年は最後のグロウパーティーだというのに、彼は一体どこで油を売っているのか。ミリーはじれったさが抑えきれなくなり脚も組む。


「彼はなんでも着こなすから、私も彼の装いも楽しみにしているのだけれどね」


 イエナは苛立ちから足をゆすり始めたミリーを見やり、あらあら、と眉尻を下げて笑う。


「こんなに素敵なお姫様を彼が放っておくはずがないわ。何か事情があるのかも。もう少し、待ってみましょう?」


 ミリーのドレス姿をじっくりと見たイエナは彼女を宥めるように優しい口調で囁く。イエナの穏やかな態度にミリーの焦燥感が僅かにほぐされた。


「……ええ。でも、やっぱり遅すぎる──」


 イエナの説得に納得しかけたミリーが口を開くと、途端に自分の声がはっきりと聞こえるようになった。会場内は絶えず音楽が鳴り響き賑やかだったはずなのに、急にすべての音が途絶えたのだ。


「え?」


 しんと静まり返る会場にミリーも違和感を覚える。こんな演出は予定になかった。音響トラブルでも発生したのだろうか。きょろきょろするイエナとモリーをよそ目に、ミリーは浮島から身を乗り出してフロアを見下ろす。すると。


『♪√☆≒▼≫&∧¶∵<@▽℃∈∂%≡∀Ⅰ──‼』


 突如として会場中に耳慣れない重低音が鳴り響く。地底から身体を突き上げてくる轟音に驚き、ミリーは思わずソファの背もたれにしがみついた。


「なっ、なになになに⁉」


 会場全体をかき回すかのような爆音に耳を塞ぎ、ミリーは音に負けないように声を張り上げ叫ぶ。イエナとモリーも驚いたようで、目を丸くしてぽかんとしていた。


「ちょっと──‼」


 動転している暇はない。ミリーは委員会のメンバーとして非常事態に備えるためにも現状把握に気持ちを切り替える。浮島から落ちないように気をつけながら身を乗り出し、もう一度フロアに目を向けた。

 耳を塞いでいた手を離せば、マモノの鼓動音に似た不気味な音程がリズムを刻み、音楽となっていることに気づく。


「はぁ⁉」


 腹の底から声が出ていった。先ほどまで自分たちが雇ったはずのDJがいた舞台を見やり、ミリーは豪快に顔を歪める。

 舞台にいるのはずっと姿をくらましていた委員会メンバーの二人だ。会場の最終確認の時から気配を消していた二人がまさかここで堂々と姿を現すとは。

 二人はDJに変わって音楽を回し、ノリノリで会場を煽り出す。


 前触れもなく変貌した会場の雰囲気に参加者たちもはじめのうちは戸惑っていた。が、既にパーティーの空気にどっぷり浸かっている彼らは、何が起きたのかを噛み砕くこともせずにすぐに音の煽りに乗る。

 爆音で流れ続けるのは聞いたこともない音楽だった。アップテンポな楽曲はロックとも違い、色を持った音が何重にもなって襲い掛かってくる印象を抱く。品性を感じられない楽曲にミリーは呆れてしかめっ面をする。


 彼女は寄り付かないが、クラブと呼ばれる下品な場所で流れている音楽に近しい。

 ただ憎らしいのが、知性の欠片も感じない音の連なりにもかかわらず、非常にノリやすく、思わず身体が動いてしまう魔の魅力を感じてしまうことだ。

 生徒たちも同じ気持ちだったのか、舞台に立つ委員会メンバーの動きを真似して踊り出す。主に手や腕を動かし足は左右移動のステップを繰り返す奇妙な踊りは遠目から眺めているだけだと異様に思えた。


 しかしこれもまた厄介なことに、やけにキレのいいダンスに目が釘付けになってしまうのだ。同じ振付に揃っていくフロアの様子を見たミリーは呆気にとられ口を開く。無駄に一体感がある。


「な。これは、なんなの……⁉」


 言葉も出なかった。こんなことは予定にない。機材トラブルというわけでもないということは、恐らく舞台にいるあの二人が独断で音楽を切り替えたのだ。

 浮島から伸びる滑り台を滑降し、二人を止めようとミリーは慌てて駆け出す──が。

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