第37話 暫定家族
慎之介の高校生活は順調に始まった。慎之介を受け入れた僕の生活も細々したことはあっても順調だった。
驚いたのはミーシャがあの後本当に週末には僕たちと函館で過ごすようになったことだ。最初こそ土曜日の昼過ぎに現れ、日曜の昼過ぎにまた出かけて行ったが、最近では金曜日の夕飯から僕たちに合流し、日曜の夕飯を済ませて出かけて行った。
春に行われた慎之介の高校入学式では、校門にある入学式という立て看板の前に、慎之介を挟み僕と3人で写真に納まった。慎之介はその写真を見ると少し照れくさそうにデータを共有してほしいとねだった。せっかくなので、彼とミーシャと僕で共有アルバムを作ったら、ミーシャがここに私たちの思い出が積み上がるのが楽しみだなと言うものだから、慎之介はちょっと俯いて部屋に引っ込んでしまった。慎之介のそんな情緒を理解できず残されたミーシャは怪訝な顔でこちらに説明を求めてくる。面倒くさい。でも、ミーシャなりに彼を理解しようとしているから、一つずつ人間の情緒を教えていく。
「あんたも昔は人間だったんだろう?あんただって、彼ぐらいの時期があっただろうに」
すると、ミーシャは窓の外を見上げながら、そんな昔のことは忘れたと言うと、のそりとソファから立ち上がった。それこそ高校生男子のような態度だった。
***
久しぶりの現場仕事に出た。目下急成長中の若手写真師が妻の出産の立ち会いで行けないと連絡があったので代打だった。守護についてくれたのは、アンナという使徒、小柄でゆっくりとした口調で話す彼女はどこか育ちの良さを感じさせる女性だった。
「教区長が現場なんて珍しいですね」
合流すると、アンナは開口一番そう言った。
「ああ、しばらく他の写真師で回していかないとならないんだけど、今日は誰も手配がつかなくてね。老体に鞭打ってきたよ」
「ミハイルに鞭打たれてるんですか?」
僕が怪訝そうな顔をすると、
「ウラジオストックの大天使の?」
ああ、そうそう、と言いかけて、慌てて否定しながら、アンナが冗談を言っているのが分かり苦笑した。
「ミハイルは最近よくこちらに顔をだしているそうですね。近々異動とかでこちらに来るんでしょうか?みんな戦々恐々としてますよ、あの人いつも不機嫌で必要最低限しか話さないし。それに何だか怖い」
うーんと言いながら、最近ふと疲れた顔をしている彼の横顔を思い出した。
「僕はただの写真師だからそこまで詳しくは聞かされていないんだ。彼も忙しいから僕は函館のデスクに置物としてそこにいるだけ。だからこうやって現場にも出ているわけで」
それもそうですね、と彼女もそれ以上は言わず車を発車させた。
ウラジオストックの大天使というのは初めて聞いた気がするが、権力のピラミッドでいうと、結構上にいたはずだった。多忙だろうしカバーエリアは広いはずだし、週末ごとにここに来て大丈夫なのだろうか?勿論、普段はどこか別の場所に住んでいるはずなのだが、そういえば奴はどこに住んでいるんだろう?どこか別の場所で家族の食卓の時間をすごしているのだろうか?それとも一人で食事をしているのか。
前者であれば、そんなに毎週末不在にして問題ないのかと心配になるし、後者だとしたら、少し胸が痛む。何しろ、あの男は食事中よく喋るのだから。
***
仕事がはかどり過ぎてちょっと欲張ってしまった結果、帰りが遅くなってしまった。帰宅が遅れると慎之介に電話を入れ、夕飯はデリバリ―を頼むようにいうと、ちょっと間があり、いらないと思う、と何やらごにょごにょ言っている。慎之介の背後から何やら物音がしている。
「誰か家に呼んだのか?」
慎之介と僕の間の約束事として、もし友人を呼びたいときには事前にいうこととしていたのと、これまで慎之介が誰も家に呼んだことがなかったので、純粋に驚き思わず尋ねると、
『健吾さんが来てる』
「え?今日水曜日だよな?」
『うん、僕もそう思ったんだけど…』
「あいつ何しに来たんだ?」
『わかんない。でも今夕飯作ってる』
困惑した慎之介と同じくらい僕も困惑した。とりあえず、あと30分で帰ると伝えて電話を切った。
手元の端末で一応確認したが、今日も明日もミーシャが参加する報告会はスケジュールになかった。
「アンナ、悪いんだけど、事務所じゃなくて家で下ろしてもらっていいかな。ちょっと慎之介から連絡があって急ぎ帰らないと」
勿論です、とアンナは何も尋ねずに頷いた。上位にいて楽なのは、基本的に下位の者から質問されない。まさか大天使がうちのキッチンで子供の為に夕飯を作っているなんて、どう説明していいのか僕にはわからなかったし、それにあれで大物なのだ(実際あいつが翼を広げて戦闘態勢に入ったのを一度だけみたことがあったが、威圧感で足がすくんで動けなかった。敵じゃなくてよかった)そんな姿はあまり知られたくないだろう、大天使の沽券にかかわる。あいつは基本的にはカッコつけなので、そこは忖度してやる。僕はつくづくいい部下だ。
帰宅すると、慎之介とミーシャが夕飯を食べていた。唐揚げ、麻婆豆腐とご飯とみそ汁と野菜炒め、それから作り置き。
「おかえりなさい、先食べてます」
慎之介がそう言うと、
「おかえり」
ミーシャは立ち上がり、僕の空の茶碗を手にした。
何だろう、この既視感。
僕は以前にトマスとアガタのクリスマスディナーを思い出した。あの晩、仕事納めのピーターが帰ってきて、トマスとアガタが嬉しそうに世話を焼いていた。あの時感じた羨望、家族に限りなく近い絆を目の当たりにして自分は酷く孤独を感じたことを思い出した。
「何突っ立ってるんだ。早く手を洗ってこい、冷めるから」
味噌汁を温めながらミーシャがこちらを振り返ることなく言った。何ら特別ではないこの光景に、僕は胸が詰まった。
僕が食べ始めるのを見ると、ミーシャは安心したように食事を再開した。
慎之介は高校生らしくガツガツご飯をかきこんでいた。
「この味は永谷園だな」
僕がちょっと考えるそぶりをして麻婆豆腐を味わいながら言うと、
「え、お前そんな事までわかるのか!」
驚愕の表情を浮かべこちらを見るミーシャに、慎之介は目の端で笑いながら、
「健吾さん、箱が出しっぱなしだから」
そう言って慎之介がミーシャの背後のキッチンに転がる箱に目をやった。
「健吾、片付けながら料理すると後が楽だぞ」
僕は耐えられず笑いだし、慎之介もつられて笑った。それをみたミーシャも笑いだした。こんな他愛もないことで笑えるなんて、なんて僕はお手軽に幸せになれるんだろう。
「今日は助かった。ありがとうな」
僕は皿を洗いながら横で拭き上げるミーシャに言うと、ミーシャは
「お前はいつも慎之介に寂しい思いをさせたくないって、言ってただろ。今日は何だか急に入った案件をこなしていたから気になったんだ。慎之介に連絡したら夕飯の用意がないから自分で作ろうと思うって」
「慎之介がそんな事言ってたの?」
「史郎さんが疲れて帰ってくるのにご飯がなかったらかわいそうだとか殊勝なことを言ってたぞ」
「僕はとてもいい子にあたったな。世話してるつもりがそのうち世話されそうだ」
「でも今日の夕飯の支度をしたのは私だ」
「はいはい、知ってます。ウラジオストックの大天使様」
「何だそれ」
「今日会った使徒が言ってたぞ。ウラジオストックから来た大天使ミハイルは怖いって」
「お前もそう思うか?」
そう言われて初めて彼を見た時のことを思い出した。
「そうだね、だいぶ怖かったな。あの時は僕、威圧感で窒息するかと思ったよ。」
「あれは、ゲートを閉めないといけなかったし、ゲートから逃げ出すやつが出てきかねないから警戒していただけだ。大げさだな」
昼間の函館中の光を一瞬で指先に集めた男は呆れたように言った。
「ミーシャって、そんな成りしてても実は武闘派だったりする?」
「そんな成りとはどんな成りかは知らないが、私は問題は外交で解決するのが最良とは思っている。」
話しが通じればだが、とぼそっと付け加えられ、やっぱりこいつは武闘派だったのだと再確認した。
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