10 お迎えが来ました③
合図と共に、魔力が火となり水となり稲妻となって、マルツィアたちを襲う。ハルーン最強の魔術師集団になんて、敵うはずがない。マルツィアは思わず目を閉じて、来る攻撃に備えた。けれど。
「な、何だこりゃ!?」
いっこうに衝撃は訪れない。困惑の声を耳にし恐る恐る目を開くと、辺りは薄灰色の靄に覆われていた。それがミネの生み出した黒い炎の名残だと気づくまでに、さほど時間はかからなかった。
「くっ、もう一度放て!」
目も眩むような魔力の奔流が、再度襲いかかってくる。けれどそれは、ミネとマルツィアの全身を包み込むように現れた黒い炎によって焼き尽くされ、煌めく煙となって無効化した。
異様な現象を目の当たりにして呆然とするマルツィア。ミネが怒気を纏いながらゆらりと進み、マルツィアの隣をすり抜けた。
まるで魔物か亡霊のような足取りに、魔術師たちが気圧されて後ずさる。
頭上にネズミの使い魔を乗せたぽっちゃりとした壮年男性が、汗をどばーっと流しながらミネに人差し指を突き付けた。
「お、おまえは何者だ?」
「
「は……?」
「本来ならばそなたらのような小者に名乗る価値などない。それどころか対峙するまでもないことよ。しかし、そちらにいるのがマルツィアの父親だというならば、せめてもの敬意を見せようではないか」
ミネの琥珀色の瞳がぎらりと底光りした。それから、口の端を歪め悪人じみた笑みを浮かべる。
「我が手で直接引導を渡してやる」
ミネの全身を再び黒い炎が包み込む。揺らめく熱の塊が
全てがゆっくりと進むようだった。炎は膨張し、熱が急速に上昇。少し離れた場所に立つマルツィアだが、髪先が焦げそうになり身を引いた。
圧倒的な炎の力。こんなものに身体を貫かれたら、どんな魔術師だってひとたまりもない。
父とは若干の確執がある。目の前にいる高位の魔術師たちだって、使い魔を連れ帰れなかった落ちこぼれのマルツィアを
「だ、だめっ! 暴力はぜったいだめー!」
マルツィアはミネの腹に体当りをかまして拘束を試みた。結局、ただ抱きつく格好になっただけなのだけれど、突然の攻撃にミネは驚いたらしい。周囲を浮遊していた炎は勢いを緩め、宙に霧散して消えていった。
「マルツィア、そなたはまた……大胆な」
「ふえっ?」
先ほどの激怒はどこへやら、一転して猫なで声になったミネを見上げ、マルツィアは目を白黒させる。
「ふむ、確かにそうだ。このような小者を相手するなど、時間の無駄だな。それよりも共に愛を育もう。そなたの嫉妬した姿も愛おしいものよ」
「あの、ちが」
「なんと、マルツィア嬢の命令を聞いた……?」
マルツィアの動揺をよそに、二人の会話内容が聞こえないのだろう魔術師の中から、当惑した声が上がる。
「まさかこの男、人の姿をしているというだけで、本性は使い魔か?」
「へ」
ざわりざわりと声が飛び交う。
「なるほど、そういえば
「なんだと。しかしそれは伝説の」
「だが今目の前で起こったのは」
「確かに言われてみれば、あのような規格外の魔術を扱う男、ハルーンの魔術師に登録があっただろうか」
「いいや、あたしは知らんぞ」
「しかし、ハルーンの外には魔術師はおらぬ」
「そうか、つまり」
「やっぱり」
皆の視線がマルツィアに刺さる。マルツィアはたじたじとしながら両指をつんつんと突き合わせ、目を泳がせて言った。
「そ、そう。どうやら私の使い魔みたいなんです。多分?」
そういうことにするのが最も丸く収まる。多分。
マルツィアの言葉に辺りは一瞬、水を打ったかのように静まり返る。束の間の沈黙の後、まるで海底から巨大なものが急浮上して水面を破裂させたように、拍手喝采の波が押し寄せた。
「おおおおお……!」
「なんだなんだマルツィア嬢! 良かったではないか。これで追放を免れたぞ」
「お父君も安堵されたことだろう。なにせ、マルツィア嬢の追放命令を取り消させるために、船が出る寸前まで総督府で根回しをしていたのだからな!」
「え、お父様。まさか、私の旅立ちの日に見送ってくれなかったのは……」
都合の良い言葉が耳に届いた気がして思わず声を上げたマルツィアだけれど、アウレリオは何も言わずに仏頂面で、余計な暴露をかました同僚に鋭い目を向けるだけだ。睨まれた魔術師は、こほんと咳払いをして取り繕う。
「ま、まあ何はともあれマルツィア嬢も、使い魔を得たのならば早く言ってくれたら良いものを」
「あ、はい。ごめんなさい。えーと、なんだか気恥ずかしくて?」
マルツィアは嘘を吐くのが得意ではない。「あはは、えへへ」とへらへらしながら冷や汗をかく横で、ミネが眉間に深い皺を刻んでいた。
「使い魔? 私はそんなちんけな存在ではないぞ。何といっても、夜と火を司る偉大な
「しーっ! とりあえず話を合わせてください」
「しかし使い魔とは確か、人間に魔力という超常的な力を提供し、魔術師に付き従う存在なのだろう。かつての世で巫女であったそなたが今回も神に仕えるというならばともかく、逆とは何事だ。……いいや、待てよ。度重なる
「
「しかしな、マルツィア嬢」
マルツィアたちのひそめた会話には気づかないようで、年配の魔術師が口を挟んだ。
「すでに背中に
封魔の刻印が刻まれた者は、魔力への感度が著しく低くなる。つまり、背中にいる忌まわしき蛇が、マルツィアの身体に集う魔力を食ってしまい、魔術を放つことができなくなるのだ。本土へ追放されるのならばそれでも問題ない。けれど、魔術都市ハルーンに戻るとなると。
「あのう、この刻印って消えませんか」
年配魔術師が、ううむと唸りながら頷いた。
「善処しよう。ともかく、使い魔と共に魔術師が本土へ向かうなどあってはならないことだ。一度ハルーンに戻り、今後の方向性を練ろうではないか。皆、異論はないか」
反対の声は上がらない。正直、ハルーンを追放された魔術師が、外で使い魔と契約を交わしたなど、予想外の事態だ。どう対処すべきか明確な答えを持つ者など誰一人としていないのだろう。
結局反論はなく、二人は魔術によって帆に追い風を受けた船に乗り込んで、故郷へと出戻った。
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