第二十九話 ロミヤとの終戦

 私こと兎梁 萃那は一人で日陰の森を歩いていた。

 先ほどまではヴァネットや霊歌と一緒だったが、いつの間にか逸れたらしい。


「まったく。いい年にもなって二人とも迷子なんて信じられませんね」


 私は大きなため息を吐いた。

 私がいないと心細くて仕方ないだろう。ここはお姉さんである私が二人の事を探してあげるとしよう!


 私が意気揚々と歩きだそうとしたその瞬間、霧の奥で人影が揺れ動いた。

 ヴァネットかもしれない、と近づくがその輪郭が彼ではないことを告げた。頭にはとんがり帽のようなものを被っているし、体系的に女性だろう。

 誰だ?と私が目を凝らしているとその人影はどんどんと近づいてきた。やがてその陰の持ち主は霧の中から現れた。

 影の主は黒と赤を基調とした、所謂魔法使いの衣装を纏った女性だった。クールな目つきと凛とした佇まいが印象的であるのに対して、とんがり帽のつばには幾つのもアクセサリーや小さな骨董品をぶら下げており、左手には大きなリボンでデコられた竹箒を持っていてギャップを感じる。


 格好からして恐らく魔法使いだ。第一に人間が簡単に来られる場所ではない。

 魔法使い。自然と鬼将山で目撃された魔法使いのことが頭に浮かんだ。見た目は完全に一致していることから、脳内で同一人物の可能性が示唆された。


 こちらに気が付いた魔法使いは何か言いたげに睨み付けてきた。

 私は警戒心をマックスにしながら相手を睨み返す。


「どうしてこんなところに人間がいるの。早く逃げなさい」

「え?あ…」


 意外な言葉にしどろもどろになる。


「私はリアドロレウスの討伐に…」


 そう言いかけると魔法使いはピクリと眉を動かし、


「リアドロレウスの討伐?貴方本気で言っているの?奴は人間が戦って勝てる相手じゃないわ」


 まるでリアドロレウスと戦ったことのあるような口ぶりをする彼女に、私は再び疑いの目を向けた。仮にリアドロレウスと戦ったことがあるのならティモリヴァを瞬殺できてもおかしくない。


「貴方、魔法使いですよね」


 確認のために問うと、魔法使いはニッと笑って…。


「ええ、私の名前はアグレス・メリカロマーシャ。炎属性最古の魔法使いよ」

「え」


 魔法使いには様々な属性があり、当然それぞれに発祥者がいる。炎属性最古、つまりアグレスは炎属性を最初に会得した魔法使いとでもいうのか。


「リアドロレウスの討伐は不可能に近いわ。未来永劫、彼女を超える存在は創れない。放っておくしかないのよ」

「つくるってなんですか」


 つくる。その言葉に妙な違和感を憶える。

 アグレスは自分が歩いてきた方向に視線を飛ばした。


「リアドロレウスの正体が一人の吸血鬼というのは知っているわね。その少女はある組織によって人工的に創られた究極の生物なのよ」


 聞いたことないな。3年間以前の情報がルナソルには残されていないから当然かもしれないが。



「このことを知る者は口を揃えて彼女のことをこう呼んでいるわ。—————」


 ▲  △  ▲


 俺ことヴァネット・サムは未だロミヤと対峙していた。

 互いの得物がぶつかり合い、甲高い音と共に火花を散らす。


 俺の飲んだ薬の効果が切れないのを不審に思ったのだろう。ハイスピードでの攻防戦の中、ロミヤは訝しんだ様子で口を開いた。


「おかしいな…もう少なくとも30分は経っている。それなのに…」


 ロミヤは一度、大きく両剣を薙いで…。


「何故、君はまだ立っている」


 その斬撃を避けた俺は、間合いを取って薙刀を弄ぶように回転させた。

 流石と言ったところか。30分間戦い続けたのにも関わらず、ロミヤは息を切らしてはいなかった。しかし、段々と集中力が落ちてきたのか攻撃に若干の粗さが出てきている。このまま押し切れば俺はロミヤを倒すことができるだろう。

 互角の戦いに見えてこの場を制しているのは俺の方だ。

 俺はニヤリと不敵な笑みを浮かべ…。


「だから言っただろ。お前じゃ俺は倒せない」

「どんな薬を使っているんだよ」


 そう言ってロミヤが両剣を回転させると、背中の蛇の触手が一斉に突進してくる。

 俺はその全てを薙刀で切り刻み、ロミヤに向ってその薙刀を投擲する。

 初めての遠距離攻撃にロミヤの対応が僅かに遅れた。俺はその瞬間を逃さない。

 ロミヤの視線が薙刀に集中するさなか、懐から再びナイフを取り出し…。


「あっ…」


 その両剣を弾き飛ばした。

 蛇の触手が再生する前にロミヤを地面に押し倒し、仰向けになった彼女の首にナイフをあてがう。


「早」


 肌とナイフの距離は0。もし万が一ロミヤが意表を突くような行動をしてもすぐに殺せる状態だ。

 しかしロミヤにその気配はなく。ただただその状況を受け入れていた。


「私の負けか…」


 ロミヤは倒れた状態で両手を上げた。


「で、どういう仕掛け?」

「お前の口の軽さに免じて教えてやるよ。3年前から俺は鬼族の血を引いているとバレずにフォージアに潜入する必要があった。仮面と黒装束で見た目は隠せたが一部、巫女のように妖力を探知して妖怪を見極めることができる人間がいたんだ」

「それになんか関係ある?」

「まあ、聞けよ。だからこそ俺は知人から妖力の生成機能を停止させる薬を入手した。偶然、同じ考えの奴がいたもんでな。そして、その効果は抜群で、俺の身体には妖力が一切なくなった」

「…まさか」

「お、勘づき始めたか?そうさ、俺がさっき呑んだ薬はな…」


 ▲  △  ▲


「そうだ、湖影。欲しい薬があるんだが…」

「ん、何?」

「俺たちが飲んでいる薬の解毒薬ってあるか?」

「ないよ。必要ないし。なんでそんな物がいるの?」

「狭霧を守るって決めたからな。この状態では倒せない敵がいるんだ」

「貴方が倒せないって相当だね。わかった。ちょっと待ってて、すぐ作るから」

「そんな一瞬でできるのか?」

「私はこの道進んで数百年だよ?それに元ある薬の解毒薬くらいなら簡単に作れるし…」

「ありがとう。助かるぜ」


 ▲  △  ▲


「妖力の生成機能を停止させる薬の解毒薬だ」


 ロミヤは真顔のまま目だけを丸くして…。


「つまり…その力こそが本来の君の力」

「正解。効果時間なんてもの端から存在しないんだよ」


 妖力の隠蔽、それは妖怪の血を引く俺にとってフォージアで生活するための最低条件だった。今でこそフォージアに祓い屋は源家しか残っていないが、3年前までは大勢の祓い屋が活動しており、彼らの目から逃れる必要があったからだ。


 ちなみに3年間で源家以外の祓い屋を消し去ったのが目の前にいるロミヤ・グラファスである。

 友人の中に湖影がいたのかは幸運だった。彼女がいなければ俺は祓い屋に消されるか、復讐を断念していただろう。


「戦った時点で私の負け…か」


 か細い声を漏らし、俯いたロミヤ。


「ああ、お前の負けだ。ロミヤ。そこで大人しく地面舐めてろ」


 そう言って俺は立ち上がった。ロミヤは必然と首に押し当てていたナイフから解放される。


「殺さないの?」


 寝転がったまま視線だけでこちらを追ってきたロミヤに、俺は蟀谷を掻きながら答える。


「お前には一度見逃してもらっている。これでチャラだ」

「…そうだね」


 その時、初めてロミヤが笑みを浮かべた。

 笑った?笑ったのか?否、満足げに口角を上げたとでもいった方がいいか。

 何て言ったらいいかわからなかったため、そのことについて深くは突っ込まなかった。


「俺はもう行く。連れが迷子なんでな。今回はもう俺たちの邪魔はするな」


 俺がくぎを刺すとロミヤは吹っ切れたような顔で…。


「ま、仕様がないね。わかったよ」

「じゃ…あ、触っていい?」

「…え?///」


 一瞬硬直したロミヤはその意味を思い出したのか赤面した。

 一応表情筋はあるんだな。


「冗談だ。じゃあな」

「またね」

「…またな」


 俺はロミヤに背を向け歩き出した。


 ただの気まぐれだった。

 例えここでロミヤを殺そうが俺には何の不都合もない。それどころか脅威が一つ減ることに関しては俺に有利に働くだろう。


 俺は常備していた、妖力の生成機能を停止させる薬を呑んだ振りをした。同時に意図的に妖力を抑える。


 攻撃してこない…か。

 どうやらロミヤは本当に俺の邪魔をする気はないらしい。

 それならばここでロミヤを逃がそうが、彼女はもう俺にたてつくようなことはしてこないだろう。俺とロミヤ、戦闘力は互角でもそこには明確な差があることを理解したはずだ。

 何よりあいつの父親と兄貴には世話になったからな。


 俺はいつかの夜を思い出しながら仮面を付け直した。

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