姉を喰らわば妹まで 前編

 あきを部屋に残して、扉を開け廊下に出る。

 来た時には気づかなかったけれど、扉の前にプレートがかかっていて、『あき』とふにゃふにゃした文字で書いてある。

 名前の周りにはお花や星、色んな模様が書いてあって、幼いころのあきが書いたらしかった。

 混沌としてまとまりがない、実に子供らしさを覚えるが、今も混沌としていてまとまりがないのは変わらない気がする。

 案外子供の頃から変わっていないのかもしれない。


 自分の家では無い廊下を進む。

 他人の家を一人で歩いていくのは妙な感覚だ。

 でもパッとしない訳ではなく微妙に既視感がある感覚で、思い返せば両親が居なくなった後の我が家の感覚に似ていた。

 あの時はどんな音がしていたか。

 自分の足音と呼吸音がやけに大きく聞こえて、それ以外は何も聞こえなくなったのだったか。

 父が薪を割る音、母がテレビを見ている音。

 料理の匂い、父からする野草とタバコの匂い。いつも感じていたそんな匂い。慣れ親しんだ日常。無くなってから、そんな匂いがあったことを思い出す。

 両親と生活している間はそんなことには気を取られなかったのに。


 下からはフライパンで何か炒めているのだろうか、じゅーじゅーと焼ける音がする。

 テレビでニュースでも見ているらしく、明日の天気を報じる声がした。

 たった今立ち去ったばかりのあきの部屋からは、ぼすぼす、と何か柔らかいものを叩きつけている音がして。

 あきが悶絶している光景だけは容易に想像できて、少し笑う。

 

 一方妹ちゃんの部屋はどうだろう。

 階段の方へと進み、手前の部屋の扉の前へ。

 あきと同じくプレートがかけてあり、『陽』と書いてある。陽と書いてはると読むらしい。

 そういえばあきはそのまま平仮名であきだなあ、と関係の無いことを思う。

 私は漢字で楓。

 あきとメッセージでやり取りをする時、そういえば、彼女は私のことを平仮名でかえでと呼ぶ。

 なんて、あきのことばかり考える。

 いつもはこんなに彼女のことを考えたりはしないけど、あきの家に来ている特別感からなのかな、私をそうさせていた。


「ごほん」


 いい加減、と息を整えて。


「はるちゃん。あきが――お姉ちゃんが呼んでるよ」

「……何の用でですか」

「何の用でし

「え?」

「失礼、声に出ちゃった」


 くだらないダジャレにひと笑い。


「お姉ちゃんがあれは誤解じゃないんだよーって」

「はあ――!?」


 ガバ、っと扉が空いて妹ちゃん――はるちゃんが顔を出す。その顔は驚愕に満ちていて、隙だらけだ。

 すかさず体を挟み込んで、中へ押し入る。

 こういう時は小さく薄い体も役に立つものだ。

 普段、結構不便が多いから。


「いや、ななっ、な、何入ってきてるの! で、でてって!」

「まあまあまあ…………うーん、まあまあまあまあ」


 ははは、と笑い飛ばす。話も上手いこと飛ばせないだろうか。


「い、言い訳も思いつかないなら入ってこないでくださいよっ! ほら出てってって!」

「まあまあまあ」

「まあまあまあはもういい!」

「どうどう」

「や、やかましいよ!」

 

 結構遠慮なく体を押されるが、私より非力らしく、割と余裕で押し勝てる。私が力で勝てるとは思っていなかった。ちょっと嬉しい。

 

「い、意外と強い……!」

「君が弱いんじゃないかな」


 どちらかと言えば。


「お、お姉ちゃん! 助けてっ!」 


 お姉ちゃんを呼ぶことにしたらしい。

 隣の部屋から結構洒落にならなさそうな、どかっ、と転げ落ちる音がして、扉を開ける音に続き、廊下を走る音がする。

 このままだとご両親にまで誤解されてしまいそうで、強硬策へ出ることにした。


「ちょーい、静かになさーい」


 さっき見た光景だなあ、とはるちゃんを押し倒してからぼやく。

 暫くは沈黙していたはるちゃんだったが、本当に暫くだけだ。突然、四肢をぐるぐる動かして暴れる暴れる。猫に掴まれたネズミみたいだ。

 こういう時なんて言うのだったか。

 窮鼠猫を噛む。あれ、その場合私は負けているじゃないか。


 暴れるはるちゃんは結構容赦がない。

 お腹をガシガシと叩いたり蹴ったりだ。

 痛い、痛いから。お腹はやめて。

 

「おっお腹にはあきとの大事な子がっ!」

「なっなな! なにっ! 言ってる!」

「か、かえで大丈夫!?」


 がたん、と扉を開いたあきがこちらを見て固まる。「あっあき、ちょっと無計画すぎてさ」話しかけてもあきは固まって動かない。

 

「……なんか既視感ある光景」


 あきが扉を開けたっきり、はるちゃんは抵抗をやめて、うなだれている。

 私も少々疲れてしまって、上からはるちゃんにのしかかってしまうことにした。


「ふぃー……」

「なななっなっなな」


 さっきも聞いた反応が、下からも後ろからも聞こえてくる。確かに姉妹なんだなあ、とどうでもいいことをまた考えた。

 部屋に入る所までは良かったのに、ここまで本格的に抵抗されるとは思っていなかったのが、私の失敗である。あきの妹だから、なんやかんや大人しい子なのだと思い込んでいた。

 身体能力はあきほどではないらしく、私でも押し勝てるぐらいには非力だったのだが。


「まあ、こういうこと……があったわけなんだよ、はるちゃん」

「意味がわかんないよ……」


 諦めたように、私に潰されたはるちゃんがギブギブ、と私の背中をポンポン叩いた。

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