7-7【走馬灯の果てに】
ただひたすらに、自分の記憶を魔力の波長として送り続けるかつての勇者。
思い出の中に見る異世界の情景は美しく、しかし年を重ねるにつれ彼の心を強く蝕んでいく。
優しい人に囲まれて育った幼少期から、故郷を魔物に滅ぼされ、人間同士の思惑に苦悩し続け……。
二十歳にも満たない少年が経験するには、あまりにも過酷な旅だった。
その様な中であっても、彼には大きな心の支えがあった。
それこそがフィーちゃんとの出会いであり、そして彼女によって与えられた勇者の称号だった。
「ターシャ・クエンティン。あなたに聖剣の加護があらんことを」
多くの聴衆が見守る中、彼女は周りの反対を押し退け自らが選んだ勇者に聖剣を授けた。
身を引くつもりだったターシャを仲間たちが無理矢理祭壇へと押しやり、フィーちゃんの前に立たせる。
戸惑いながらも彼はフィーちゃんの前で跪き、彼の右肩に聖剣の刃の側面が当てられる。
アニメとかでしか見たことがない儀礼の様子を目にすることが出来たのは、なかなかに感慨深い。
そして他ならぬフィーちゃんこそが、彼を勇者として認めた張本人だったという事実に驚きを隠しきれずにいた。
『私を含めた全ての人々が送り出した勇者』
初めて勇者のことを放した時、あの子は確かにそう言っていた。
だがこの状況を目の当たりにした今、その言葉が持つ意味が俺の中で変わっていくように思えた。
周囲の反対を退けつつも、最後は彼女が認めたからと聴衆も認めるところとなった勇者ターシャ。
しかし彼とその仲間たちは、旅の果てで取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
その責任を取るために勇者は自らの身を犠牲にし、仲間たちは彼を置いてその場を去っていく。
「そういうこと、だったんだな」
ようやく理解できた。フィーちゃんがなぜここまでひたむきに活動していたのか。
今のフィーちゃんを突き動かしてるのは、強すぎる後悔だった。
あの子は自分を見送った大衆の一人などと最初から思ってはいなかった。
フィーちゃんは自分の考えを押し通し、周囲の反対を無視したうえで一人の少年を勇者に仕立て上げた。
その後の結末を鑑みれば、あの子がそれまでの行いをどう思うかなんて想像に容易いだろう。
気付けば記憶の走馬灯は終わり、俺は一人夕日の下の荒野に佇んでいた。
「ここは……?」
勇者の記憶が見せている光景であることは間違いないだろう。
しかし勇者やその仲間の姿はないし、あまりにももの悲しい風景が広がるばかり。
今までとは雰囲気の違うこの場所に取り残され、言いようのない不安が湧き上がる。
黙って立っていることがつらくなり、俺はジオラマを手にしたまま荒野を歩き始める。
燃えるように赤い夕空とオレンジに染まる荒涼とした大地。
地平の先には何もなく、ただ平坦な地形が延々と続いている。
十分ほど歩いただろうか。
砂と岩だけの荒野の中に、ようやく佇む人影を見つけることが出来た。
とはいえここも勇者の記憶だ。声をかけたところで俺に反応するものはない。
とりあえずその人物を確認するため、俺は人影に向けて少し速足で進む。
「うっ……」
正直、人影に近づいたことを後悔してしまった。
予想はしていたが、人影の正体はこの記憶の主である勇者だった。
しかしその姿はこれまでの煌びやかなものからは程遠く、全身に傷を負い、半壊した鎧を身に纏った半死半生の状態だ。
だがそれ以上に目につくのは、彼の左肩から背中にかけてを貫く一本の剣。
黄金色の刃を持つそれは、フィーちゃんから与えられた件の聖剣だったのだ。
弁慶の如く立往生をしているのではないか。
そんなことを思いつつ、俺は恐る恐る勇者の顔を覗き込む。
「……ああ、来てくれたんだね」
飛び出るかというほどに心臓が高鳴り、俺は声を上げることも忘れて後ろに飛びのく。
そのままバランスを崩して地面に尻もちをつくが、痛みを感じている余裕などなかった。
彼は……勇者は俺が顔を覗き込んだ瞬間、俺と目を合わせてきたのだ。
今までこんなことは一度もない。近くに寄ったことはあっても、向こうが俺の存在を認識したことは一切ない。
なのに今、確かに勇者はその場にいないはずの俺に対し声をかけてきた。
もはや生きていたとか何とか言っている場合ではない。
明らかにおかしな状況を前に、俺は頭の整理が追い付かずにいた。
「驚かせてごめん。でも、ここまで付き合ってくれるとは思っていなかったから」
力ない笑い声を漏らしつつ、体をふらつかせながら俺の方を向く勇者。
しかし歩み寄る力もないのだろう。
彼が動けたのはそこまでで、数回血を吐いた後に膝から崩れ落ちてしまう。
苦悶に満ちた表情を浮かべる勇者を目の当たりにし、ようやく俺の頭も冷静さを取り戻す。
俺は急いで立ち上がり、今際の際にある勇者の傍に駆け寄る。
だがこの場に治療する術など存在するはずもなく、何より素人目から見ても彼はもう助からない。
「俺のこと、見えてるのか?」
「ああ……他ならぬ君を待っていたから」
もはや身動きも取れない勇者の前で膝をつき、彼と顔を合わせる。
血と傷とほこりまみれの苦悶に満ちた顔だが、同時に満足しているような表情も浮かべている。
「ここは、僕らが過ちに気付いた場所……そして、僕が覚えている最後の姿なんだ」
「これが最後? 一体何があったんだよ?」
「ちょっとね、仲間と意見が合わなくて……ッ!」
咳き込む口を押える勇者。
指の隙間から零れ落ちる血液が、彼の体内もボロボロになっていることを訴えかけてくる。
あんな剣に貫かれているのだから、内臓なんて悲惨なことになっていて当然だろう。
それでも死ねないということは、これが今の彼の姿に他ならないということなのか。
「……瘴気の源を取り込んだ時、変貌する僕に対し仲間の一人が剣を突き立てた」
血に濡れた右手を伸ばし、左肩に突き刺さる聖剣の柄を握る。
「だがこれは傷つけるためのものではない。この剣が体にあったから、わずかな自我を保つことが出来ているんだ」
「じゃあ、今こうして俺に記憶を見せているのも?」
「ああ。僕の意思だよ」
「マジか……」
つまり、勇者の記憶が見えていたのは全て向こうの故意だったって訳か。
だがそうなると、俺みたいな素人ではなくフィーちゃんやリーンシェッテに記憶を見せるべきだ。
何よりこうして言葉を交わすことが出来るのなら、なおさら俺である必要性が見いだせない。
「でも、今はそれが問題を起こしている。この剣が僕の体にあることで、二つの魔力がせめぎ合ってしまっているんだ」
「魔力がせめぎ合う……どういうことだ?」
彼が手にする聖剣を見つめつつ、俺は次の言葉を待つ。
「聖剣が持つ天の魔力は、わずかに残された人間としての僕を維持しようと力を発揮している」
勇者の手に付いた血液が、剣の柄を伝い鍔の端から落ちる。
血液は地面に落ち、俺の膝元に迫るほどに広い血だまりを作っていた。
「その魔力に反発するように、僕が取り込んだ魔力の根源が地の魔力を放ち続けている。このままでは瘴気による世界の浸食がより早く進行してしまう……」
世界の浸食。
俺達が対抗すべきその事象の名を聞いた瞬間、これまでのことが全て繋がったような気がした。
リーンシェッテが驚くほどに変化する状況も、フィーちゃんが必要以上に責任を背負おうとしていることも。
あらゆることが、今俺の目の前で勇者を貫く聖剣に結びついていた。
そして聖剣があったからこそ、勇者と俺は意思疎通を行うことが出来るのだ。
……だからこそ。
「だから、康介さん……魔力の影響を受けないあなただからこそ頼みたい」
だからこそ、俺は大きな決断をしなければならなくなった。
「今も同じ場所に刺さるこの聖剣を、僕の体から引き抜いて欲しいんだ……」
「……は?」
一瞬、彼が何を言っているのか全く分からなかった。
今も同じ場所に刺さるとは、つまりあの巨人の肩には今もこの聖剣が刺さっているということか?
それは今もなお魔力を放ってて、そいつに反発するように大量の瘴気が放たれてて。
でも聖剣の魔力ってのは、わずかに残った勇者を維持するために……。
「……それを抜いたらアンタ、消えてしまうんじゃないのか?」
「ああ……ああ、うん。そうだね」
そうだねって、そんな他人事みたいに言うか普通?
「でも大丈夫。消えるのは僕の存在であって、地の魔力の根源を収めるあの体は永久に残り続けるから」
「それって、全然大丈夫じゃないだろ……」
こういう時、フィクションなら怒鳴ってでも止めに入るべきシチュエーションなのだろう。
しかし俺と勇者はほぼ初対面に近い状態だし、冷徹かもしれないが何を優先すべきかというのも理解できている。
このまま聖剣の力を勇者の存在を維持するために使えば、それこそリーンシェッテの想定以上に世界が瘴気に侵食されてしまう。
二者択一。どちらかを立てるには、どちらかを犠牲にしなければならない。
そして目の前で荒い息をする勇者は、残された自らの意思すらも犠牲にして世界を守ろうとしているのだ。
「自分が消えること、責任感じてるフィーちゃんには伝えられなかったんだな」
俺の言葉に、勇者は黙ってうなずく。
「聖剣を抜けなんて無茶をリーンシェッテに頼まなかったのも、魔女だと聖剣に触れられないとかそんなところか?」
もう一度、静かにうなずく。
「俺が何でもない一般人って、分かってるんだよな?」
「ごめんなさい……」
そんなしょんぼりしないでくれ。まるで虐めてるみたいじゃないか。
いや、こんな質問攻めにしたら似たようなものか。
でも俺だって、覚悟を決めるには少しくらい言いたいことはある。
「……もう少し都合のいい奇跡とか用意してくれないのかよ、神様ってのは」
俺はがっくりと肩を落とし、深いため息をつく。
確かにこれが人の過ちだというのなら、誰かが責任を取らなければならない。
しかし、勇者だからって何でもかんでも責任をかぶせすぎだ。
例え世界が救えても、俺には彼が報われるとは到底思えなかった。
でも、やらなければならないことだ。
肩に刺さる聖剣を抜き去ってやらなければ、勇者はずっとこの姿で痛みに耐え続けなければならない。
だとすれば、せめてこの痛みから解放されるくらいは許されてもいい……。
「……人間に都合のいい神様がいなかった」
勇者のつぶやきを聞き、俺は顔を上げる。
「そういう神様がいなかった結果なんだ、これは」
「……あー」
そういえば、フィーちゃんも言ってたな。神様はいないって。
人々に手を差し伸べる善神も、世界を守るために倒さなきゃいけない悪神も。
彼らの世界にそんな神はおらず、全ては自然の流れに過ぎなかった。
それに対し、神様という人々にとって都合のいい存在を結びつけた結果に過ぎないのだ。
「じゃあ、奇跡なんてハナから期待するモンじゃないかー」
何とも無慈悲で、情け容赦ない現実だ。
だが結局そういうのに向き合って生きてかなきゃいけないし、今は覚悟を決めるしかない。
俺は、勇者にトドメを刺さなきゃいけないのだ。
「……分かった」
それだけつぶやき、俺は立ち上がる。
ジオラマを持つ右手が震え、乗せてあったパーツがカタカタと音を立てる。
そりゃあ怖い。怖すぎる。あんな巨人の肩に乗れっていうんだから。
だがそれ以上に、俺は同情してしまったのだ。
人々の過ちを全て被る羽目になった勇者と、今も後悔に苛まれるフィーちゃんに。
ダンジョンを造るのも、この問題に自ら頭を突っ込むのも、全てそれが理由だ。
理由なんて、もうそれくらいでいいだろう。
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