6-5【人並みの思い出】

 しばらくの休憩の後、二人は夕方頃まで公園内を調べて回った。


 しかし俺が見たあの幻覚以外に、明確な異常現象は発生しなかったようだ。


 リーンシェッテ曰く、空間のひずみに引っ掛かった際の衝撃により最初だけ大きな反応が出たのだろうとのこと。


 その後の干渉はあまりに緩やかすぎて、結果的に目に見える形での現象が確認できないのだそうだ。


 少なくとも、急にこの世界がおかしくなることはないと見て間違いないらしい。



 多少の猶予があることを確認しつつ、俺達は帰路につく。


 今は人気の少ないバスに乗り、最後列の長椅子に三人並んで座っていた。



 窓際に座るリーンシェッテは、額を窓に当てながら居眠りをしている。


 彼女の隣にはフィーちゃんが座り、その隣には俺という状況だ。



「熟睡してますね」



 よほど疲れていたのかは知らないが、こうも無防備に居眠りをするリーンシェッテというのはどこか新鮮だ。


 普段は決して見せない隙だらけで、いい夢でも見ているのか少し口元がにやけている。


 かつてフィーちゃんの故郷で悪名を轟かせた大魔女の姿とはとても思えない。



 それはフィーちゃん自身も感じているのだろう。


 警戒すべき魔女をどういう目で見ればいいのか分からない。そんな苦笑交じりの困惑が顔に浮かんでいた。



「暑い暑いって何度も言ってたし、疲れがたまってたんだろうな」

「かも知れませんけど……」



 フィーちゃんからすれば、古い伝承に残された強大な存在というイメージが先行しているのだろう。


 でも結局のところ伝承は伝承だし、実際の姿を知らなかったという点では俺もフィーちゃんも認識としては大差ないと思う。


 つまるところ、どれだけやばい魔女でも暑いのが嫌いってだけの話だ。



 そんなことを考えながら、窓の外に視線を向ける。


 時刻としてはそろそろ帰宅ラッシュが近い。その為か大通りを走る車の数も大分増えてきた。


 車列の中ほどに位置するバスの進みも少し悪くなってきたように感じる。



 最寄りのバス停まではまだ道中ほど。これでは家に着くまで一時間近く掛かるだろう。



「しばらく掛かりそうだし、フィーちゃんも寝てていいよ」

「いえ、私乗り物だとどうしても寝られなくて」



 それは俺も一緒だと、二人で笑い合う。


 その間にバスは停留所に停まり、十数人の学生の団体が乗り込んでくる。


 時間的には少し遅れて下校した高校生だろう。



 フィーちゃんが席を空けるため、リーンシェッテの方へと詰め寄る。


 それに合わせて、俺もフィーちゃんの方へ席を詰めた。



「お荷物、私が持ちますね」



 フィーちゃんが俺から荷物を受け取り、それを膝に乗せる。


 ちょうど俺の鼻の下辺りにフィーちゃんの頭頂部があり、そこからシャンプーのいい香りが漂ってくる。


 それが互いの距離の近さを意識させてしまい、これは大丈夫なのかという不安と緊張が俺の脳裏に浮かぶ。


 しかし俺の隣には既に男子学生が座ってしまった。もはや距離を取る余裕はない。



(大丈夫ですか? 苦しくないですか?)



 その時、以前リーンシェッテがやってきたように、フィーちゃんが直接俺の脳内に言葉を送ってくる。


 突然のことに俺も驚くものの、さすがに二回目なのですぐに落ち着きを取り戻す。



(フィーちゃんもこういうことできるんだ)

(はい。少し魔力を消耗しますが、便利なんですよね)



 視線の下のフィーちゃんが少しいたずらっぽい笑顔を見せる。


 これもまた、居眠りするリーンシェッテと同様になかなか新鮮な姿だ。



(それにこうすれば、康介様とだけお話しすることが出来ますから)

(リーンシェッテにも聞かれたくない感じ?)

(そうですね。個人的なことなので、二人だけの秘密にしておきたくて)



 二人だけの秘密というワードにはなかなかときめくものがあるが、もちろんそれが色気のある話でないことは分かっている。


 先ほどまでの笑顔から打って変わり、どこか陰のある表情を見せていることからも、それは間違いないだろう。



 しばらくの沈黙。


 バスの揺れる音や学生たちの会話が耳に入ってくる中、俺はフィーちゃんの言葉を待つ。


 そして、顔を伏せていたフィーちゃんが、俺の方を見るようにゆっくりと顔を上げる。



(今日、康介様が見た幻覚なのですが)

(ああ。勇者の記憶なんだよな、確か)



 声には出さず、静かにうなずいて答えるフィーちゃん。



(昔、ターシャ様が私にお話ししてくださいました。あの方の故郷のことを)

(故郷?)

(はい。ターシャ様の生家は、人里から離れた山麓の高原にあるそうです)



 山麓の高原。


 それを聞かされ、俺はあの時見た草原と牧場を思い出す。


 確かにあそこはそれなりの標高に位置する場所だったが、なるほどそういうことか。



(じゃあ俺が見た牧場っぽい場所っていうのは、勇者の実家だったってこと?)

(ええ、私はそう考えています。それに……)



 再び目を伏せ、言葉を詰まらせるフィーちゃん。


 その暗い表情から、この先を俺に話すべきか深く悩んでいる事が伺える。



(難しいことなら、無理に話さなくてもいいんじゃないか?)

(……いえ。康介様があのような幻覚を見たということは、もしかしたら何か意味があることだと思うのです)

(意味?)



 フィーちゃんが再び顔を上げ、俺と目を合わせる。


 彼女の真剣そのものといった表情を前に、俺の背筋が自然と伸びる。



(ターシャ様は、自らの過去を康介様に伝えようとしたんじゃないかと。そう思えてならないのです)

(俺に? でも俺、勇者とは顔も合わせたこともないのに)



 俺が知る勇者像は、フィーちゃんが語る言葉の中から浮かんだイメージでしかない。


 責任感があり、勇気があり、そして自己犠牲の精神を持ち合わせた文字通りの勇者。


 だが俺の想像ではそれ以上の人物像は浮かんでこないし、後は勇者という言葉のイメージが補完してくれているだけだ。


 それほどまでに繋がりの薄い俺に、果たして何を伝えたいというのか。



 俺が見た幻覚というのが、勇者にとってそれだけ重大な記憶だというのか。



 だがフィーちゃんが告げた次の言葉で、その憶測は確信に近いものへと変えられてしまう。



(康介様が見たターシャ様の故郷は……既に滅んでしまっているのです)

(え……)

(瘴気の悪用を企んだ者達の手により村はモンスターの襲撃を受けてしまい、ターシャ様以外の村民は皆……)



 そこでフィーちゃんは言葉を区切る。


 いや、それ以上は言わなくてもわかる。嫌でもわかってしまう。


 きっと勇者の存在を邪魔に思ったそいつらの手で、家族も友人もみんな命を奪われたって話だろう。



 改めて、フィーちゃんが異世界の住人だということを思い知らされる。


 こんな国で暮らしていたら間違いなく経験しないような悲劇が、異世界ではもっと身近に存在するのだろう。


 そうでなければ、勇者なんて存在が求められるはずがないのだ。



 あの幻覚の中で見た、金髪の女性の人影。


 きっとそれは、襲撃の際に命を落とした勇者にとって大切な身内だったのだろう。



(ターシャ様は常々、故郷の復興を願っていました。例え生き残りが自分一人であっても、と)

(……そっか)



 あまりにも現実離れした悲劇に、俺は言葉を失っていた。


 それと同時に、勇者にとってのこころざしであった故郷の光景を見せられたことへの意味を考えてしまう。


 いや、意味なんてあるのだろうか? 何せそれを送ってきたのは既に意思を失っていそうなあの巨人だぞ。


 俺が見たのは巨人に残る記憶の残渣ざんさとか、そういうものなのではないのか。



 でも同時に、本当に無意味な事象なのかという疑問も芽生える。


 俺自身が見たものを勝手に特別にしたくて、意味を与えたいだけなのではとも思えてしまう。


 しかしそうではないとしたら。そこに何か重大な意味が込められているのだとしたら。



 結局考えたところで分からないことだらけだし、意味があったところで俺に出来ることなどない。


 それでも、やはり考えてしまうのだ。



(無念、だったんだろうな……)



 故郷の復興を願いつつ、最後は一人世界のためにその身を捧げなければならなかった勇者。


 そんな彼に手を差し伸べたのは、かつてわずかな期間行動を共にした少女だけ。



 あまりにも遠い世界で起きた、理不尽で不幸で悲しみに満ちた物語。


 悲劇の一端を目の当たりにした俺は、果たしてどうすればいいのか。


 ただ迷宮を作ってそれで終わり……いや、現実的に見ればそれでいい。


 それだけでいいのかという、別の疑問が俺の中に渦巻いているのだ。



 窓の外を流れるのは、俺にとって見慣れた日常の街並み。


 幻覚で見た高原の牧場は、ここからだとあまりにも遠い。


 手を差し伸べるには、あまりにも……。

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