2-6【勇者の末路】
土の巨人。あれが勇者の末路だって?
報われない勇者の物語も見聞きすることが増えたが、それを俺は目の当たりにしてしまったのか。
一体何がどうなればあのような姿になるのか、全く理解が追い付かない。
フィーちゃんの深刻な表情を見れば、それが冗談などではないことは一目瞭然だ。
そして、そのことを俺には極力黙っていたかったんだろうということも。
「ターシャ様は自らの体に地の魔力の根源を取り込み、土の巨人となって狭間に落ちました」
「あ、ああ。そうやって自分を要にしたんだったよね」
「その通りです。そして今は魔力の流出を抑えるため、狭間の空間を漂い眠りについている状態です」
夕暮れの神社前で、勇者は人の姿を失ったとフィーちゃんが話してくれた。
彼女の言う通りだ。例え頭と四肢があったとしても、生気のない土の体では【人間】などと思えるはずもない。
生物の体をあのような形に変える。
文字通り、地の魔力というわけか……。
「それでも全ての瘴気を押し留めておくことは出来ず、わずかながらの流出が今でも起きているのが現状なんです」
フィーちゃんの杖を握る手に力がこもる。
そのわずかに震える手が、彼女が抱く恐怖の感情をこちらに実感させてくる。
これまでの口ぶりからしても、彼女が勇者を慕っているのは間違いないだろう。
そんな相手があのような姿に変貌してしまえば、それも仕方のないことだ。
それでもフィーちゃんは恐怖心を抑えた上で、世界の狭間で何か行動を起こそうとしている。
「放出される瘴気は、いずれ双方の世界に流れ着く可能性があります。それが康介様の世界に悪影響を及ぼさないとは言い切れません」
「そっか。それで二つの世界の危機って言ってたんだ」
俺の言葉にうなずいて返すフィーちゃん。
「特に魔力と関わりのない康介様の世界では、瘴気に対処する術は皆無です。だからターシャ様をどこかに留めておく必要があるのです」
そこまで話すと、フィーちゃんは視線を天井の方へと移す。
天井……すなわち俺の作ったジオラマだ。
「
俺とフィーちゃんの顔が再び向かい合う。
彼女の顔は真剣そのもので、決して俺の目から視線を逸らそうとしない。
そこには、二つの世界と勇者を助けるという決意のようなものが感じられた。
「そのための迷宮、ってことなんだ」
「はい。ターシャ様にとって安らかな眠りの場となる迷宮を、康介様に作って頂きたいのです」
少し時間はかかってしまったが、ようやくフィーちゃんの依頼の全貌が見えた。
俺が作る迷宮のジオラマ。
それを触媒にして、フィーちゃんが迷宮を現実の存在へと変異させる。
そこに先程の土の巨人を(フィーちゃんには悪い言い方だが)封印するというわけだ。
なるほど。最初は安請け合いしてしまったかもと考えたりもしたが、これは相当なことだ。
本来ならばしがない大学生と女の子のコンビでやるような仕事じゃないだろう。
もっとこう、大勢が集まって話し合いながら、土の巨人をどうやって迷宮に収めるとか……あれ?
「……そうだよ。どうしてフィーちゃんは一人で」
「えっ?」
「いやだって、魔神の問題は世界的なもので、勇者は仲間と一緒に魔神……だと思っていたものを倒したんだろ?」
そう。この問題を解決するために異世界に来たのは、フィーちゃんただ一人だ。
別行動しているというのなら俺の勘違いだろうが、現状勇者を救おうとしているのは彼女だけにしか見えなかった。
世界の命運にかかわる重大な事柄だというのに、だ。
「大きなことを成し遂げられるくらいの仲間がいるなら、フィーちゃんに協力してくれてもおかしくないじゃないか」
「あ、えと、その……あの……」
この重大な役割の一端を担うことになるのならば、フィーちゃん以外の協力者にも会っておきたい、
そんなつもりで尋ねたのだが、フィーちゃんの様子はどこかおかしい。
先ほどまで決意のこもった目で俺を見ていたのに、俺が尋ねた瞬間一気に目が泳ぎ出した。
額からは一筋の汗が流れ、焦りのような表情も浮かんでいる。
「フィーちゃん?」
まさか瘴気の影響だろうか。
俺は身を乗り出し、机越しに彼女の肩に触れようとする。
「…………いです」
「えっ?」
消え入りそうなフィーちゃんの声。
微かに聞き取れたその言葉を受け、俺の背中に冷たいものが流れる。
「……いないんです。私以外」
俺の表情が固まる。
まぶたを見開き、小動物のように震えるフィーちゃんから目を離せない。
空いた口からは言葉が出ず、ゆっくりと椅子の方へ体を戻す。
自分以外にいないとフィーちゃんは言った。
それはあれか? こんな大事を小さい女の子一人に押し付けたっていうのか?
自然と口角が痙攣し、胸の辺りが熱を帯び始める。
「ち、違うんです。えと、だから違うのは、あの……」
「違うって、どう見たって命に係わる重大な仕事をフィーちゃん一人に押し付けたようにしかっ」
「それは、わ、私が自分で勝手に始めたことだからなんですっ」
「自分で? まさかフィーちゃんが独断でやってるのっ!?」
いよいよとんでもない事になってきたぞ。
フィーちゃんの方はすっかり冷静さを失っており、怯えた様子で俺の方を見ている。
きっと今の俺、おっかない顔してるんだろうな。
でも仕方ないじゃないか。
あんな勇者の変容した姿を見せられたら、自分に何かしら危険が及ぶと考えるのは当然だ。
ジオラマを作るだけならいいが、命懸けの作業を安請け合いなんてしたくない。
だが、それ以上にだ。
目の前にいるこんな小さな子だけが、いずれ世界に訪れるであろう危機を察知し行動している。
なのに他の連中は何をやっている? この子だってその事実をみんなに伝えたはずだ。
なのに、誰も行動に移さなかった?
勇者が存在するような世界の住人が、誰も?
「いや……いやいや有り得ないでしょ。勇者には仲間だっていたのに」
とてつもない違和感が俺に襲い掛かる。
ここまで俺は、勇者はゲームや漫画みたいに仲間と旅をして目的を果たしたものだと考えてきた。
その先が悲劇であったのも、勇者が仲間や世界を守るために自らを犠牲にしたものだと思っている。
これが俺の勝手な妄想だとしたら。
フィーちゃんの言葉を思い出す。
勇者との同行が一時的なものだったという彼女の言葉を信じるならば、勇者の末路は仲間や関係者からの又聞きだったはず。
そして、俺の違和感をあえて言語化するのだとしたら……。
「見捨てられたのか?」
一瞬大きく、フィーちゃんの肩が震える。
それがまるで、俺の問いに対する答えのように見えて。
魔神という迷信に惑わされた世界で祭り上げられた勇者。
彼は誤った使命を果たし、そして自らを犠牲にすることで世界の危機を食い止めた。
そんな彼に対する世界の答えが、これだというのか。
視線を落とし、唇を嚙むフィーちゃん。
こんな姿を見せられたら、嫌でも察してしまうじゃないか。
「違うんです……全ての人々が誤った伝承を信じていたために起きたことで、だから……」
見ていられなかった。
震える声で言葉を紡ぎ、必要もない弁明を俺に話しているフィーちゃんのことを。
そして彼女が、勇者を見捨てた仲間を庇おうとしているのを。
もちろん見捨てたというのは俺の憶測だ。
出来ることならそれは違うと否定してほしいと思っていた。
なのにフィーちゃんは考えすぎだと言い切ることもせず、中身に乏しい弁明を口にして……。
きっと、勇者の仲間を悪く言いたくないのだ。
そして同時に、彼らの言葉を信じ切れていないのだろう。
自己犠牲ではなく、彼らに見捨てられたことで勇者が犠牲になったという可能性を捨てきれずにいるんだ。
「だから……だから、誰かがターシャ様を救わなきゃいけなくて、だから私が……だから…………」
違うだろ。
勇者を救おうとしたのは、フィーちゃんしかいなかったんだろ。
俺はこみ上げる熱を、彼女にぶつけぬよう必死に抑える。
明らかに俺より年下なのに、見ず知らずの世界でようやく出会った相手にきつい言葉を言われたらそれこそ不憫だ。
だがこの子の無理な提案で自分の命を危険に晒すような勇気、俺が持ち合わせているはずもない。
俺は彼女が慕う勇者のように、勇気のある存在などではないのだから。
「……ヒャヒャッ」
――それは明らかに、俺たち二人とは別の人物の笑い声だった。
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