2-3【誓いを込めた小さな家】
石段を登り切った頃には、空も大分薄暗くなっていた。
目の前には社殿に続く五十メートルほどの道と、道の両側に置かれた狛犬と低めの外灯。
道には灰色の石畳が敷かれ、外側は白や灰、黒の玉砂利で覆われている。
ここは寿山神社。
正月くらいしかここに来ることはないが、地元にいくつかある神社の中でも特に由緒ある場所らしい。
「木造の神殿ですかっ。珍しいですねぇ」
山林に囲まれた神社の敷地を見渡すフィーちゃん。
木々が生い茂る山の中で、この社殿がある敷地は山にぽっかりと開いた穴のようだ。
俺は昼光灯の明かりで照らされた石畳の道を、興味深げに眺めるフィーちゃんの後に続いて歩く。
「あちらの石像は獅子の門番でしょうか?」
「門番はまぁ正解。狛犬っていうんだよ」
「犬なのですか? そうは見えませんね」
「確かに」
狛犬の前に立ち、俺達は何気なしにそれを眺める。
ちょうど俺の目線の高さに狛犬の顔があり、その牙を剥く厳つい顔と見合う形になってしまう。
なあ狛犬よ、お前さん本当に犬なのか?
いや、空想の生き物に理屈を当てはめても仕方がない。狛犬は狛犬なのだ。
そんなことを考えつつ、感心した様子のフィーちゃんへと俺は視線を移す。
「フィーちゃん、社は見なくていいの?」
「そうですね。でも私、この世界の神殿を余すところなく見てみたいですっ」
両手で杖を握りしめ、少し興奮気味に答えるフィーちゃん。
こちらを見上げるその姿からは、先程自分の世界の事情を話していた深刻な様子はなくなっていた。
気を取り直したのか。務めてそうしているのか。
どちらにせよ、コロコロ表情が変わるフィーちゃんの姿は見ていて飽きない。
「それだったらもっと有名な場所に行った方がいいんじゃない?」
「神殿に有名も無名もありませんよ。敬うべきところに変わりはありません」
「それは確かに」
神格という言葉があるが、神様は神様ってことか。
何かと人に災いをもたらす神様だって祀られる存在である。
何せ神様は八百万。それどころか世界中にいらっしゃる訳で。
だとしたらそうだな、せめて推しの神様を決めていきたいところだ。
我ながら何を考えているのかと首をかしげたくなるが……んっ?
「そういえばフィーちゃん」
「はい?」
社の方へ歩き出そうとしていたフィーちゃんが俺の方を振り返る。
「フィーちゃんって聖職者なんだよね。崇拝している神様って、もしかしてさっき話してた天の魔力を司る魔神?」
「その通りです。何かお知りになりたいことがありますか?」
「え、あー。うん……まぁ」
さも当然のように答えるフィーちゃん。
だが先程の話を思い出したら、それって少しおかしくないだろうか。
だって、その話の通りならば魔神っていうのは……。
果たしてこれをフィーちゃんに尋ねていいのか。
失礼にならないかと言い淀む俺に対し、彼女は微笑みをこちらに向けてきた。
「いないと分かった神様を信じているのか、でしょうか?」
「……そうだね。それが気になった」
聖職者にとって、信じていた神の存在を否定されることがどれほどの衝撃なのか。
信仰心の薄い平均的日本人である俺には、どうしてもそれが想像できなかった。
そして、そんな事実を突き付けられてもなお、フィーちゃんは神へ感謝の言葉を述べていた。
だが少なくとも、俺の疑問に対しフィーちゃんは眉をひそめるようなことはしなかった。
「神様が存在しないという事実は、私も受け止めるしかありません。ですが」
杖を両腕で抱えるようなポーズを取り、フィーちゃんがそっと目を閉じる。
彼女の両手は、自らの胸元に添えられていた。
「両親も神官である私は、幼少の頃から心に自らが思い描く神様を持っていました」
「心に……?」
「はい。私にとって大切な、規範としての神様が存在しています」
閉じていた目を開き、真っ直ぐに俺と目を合わせるフィーちゃん。
「今の私はそれを信じているんです。そのおかげで私は康介様と出会うことが出来たのですよ?」
ああ、この子は本当に真っ直ぐなんだな。
こちらを見据える視線のように。
それだけの強い決意を胸に、フィーちゃんはこの世界までやってきた。
そして彼女の求める【何か】を俺に見出したのだ。
例えば、この紙袋に納まっているジオラマとか……。
「康介様?」
首をかしげるフィーちゃんをよそに、俺はその場にしゃがんで紙袋を石畳の上に置く。
そして中からジオラマの入った白い厚紙の箱を取り出し、それも石畳の上に置いた。
俺は中のものが破損しないよう、ゆっくりと上蓋を持ち上げる……。
傍にある外灯が、中に納まる俺の新しい作品を照らし出す。
それを見たフィーちゃんが早速俺の傍へと駆け寄り、箱の中を覗き込んだ。
「まあ、これはっ」
「今日店に置いてくるつもりだった奴」
それは、中世風の一軒家を模した小さめのジオラマだ。
プラ板とパテで表現した二階建ての黄色い住居。
木材に見えるよう塗装を施した剥き出しの木組みと、その間を埋める漆喰に見立てたパテの壁に力を入れたつもりだ。
赤い屋根は四角く切った小さいプラ板を瓦のように重ねて作ってある。
他にも花の飾られた窓やそこから見える室内、煙突なんかも見てもらえると嬉しいところだ。
ただし生活費の問題で建物を作るのが精いっぱいだった。
そのため台座を含めた風景は簡易的なものしか用意できず、草原とあぜ道を模した簡易的な農村風にしてみた。
「俺がイメージするフィーちゃんの故郷って、こういう建物がある感じなんだよね」
「ああ、確かに昔はそういった建物もありましたね」
「そっちでも昔の建物なんだ……」
フィーちゃんの格好だけでゲームの中世ヨーロッパ風の街並みを想像していたが、なかなか当たらないものだ。
いや、それよりも俺がこれを開けたのにはちゃんとした理由がある。
俺はジオラマに破損がないことを確認し、箱を両手で持ってゆっくりと立ち上がる。
そして箱の行方を凝視するフィーちゃんに向け、それを差し出した。
「えっ?」
突然のことに驚いた様子のフィーちゃん。
「これ、フィーちゃんにあげるよ」
「えっ? ダメですよ、何の対価もなく大事な作品を頂くなんてっ」
案の定、慌てた様子のフィーちゃんが一歩後ずさる。
だが俺は決めたのだ。これをこの子に送ろうと。
「フィーちゃんが何を考えて俺に相談を持ち掛けたのかは分からないよ」
二つの世界のために迷宮を創る。
その意味は今も分からないし、それがどうして二つの世界のためになるのか見当もつかない。
だけど俺はフィーちゃんに習って、彼女の顔を真っ直ぐ見据える。
「でもさ、今すっごく知りたくなったんだ。フィーちゃんがそこまで真剣になる理由」
「私が……」
「俺の作った模型が理由に対して意味あるものになるなら、そいつがどうなるかすげぇ見てみたい」
俺の言葉に目を丸くするフィーちゃん。
この子に多少魅了されている節があることは否定できない。
でもそれ以上に、俺はフィーちゃんの実直さに心打たれたのだ。
彼女が大切な人と語る勇者のため、世界の壁を乗り越えてまで救う術を探し求めるその勇気。
きっとこの不思議な出会いに、俺の好奇心にも火がついてしまったのだろう。
この子の勇気の先に何が待ち受けているのか、知りたくてたまらないのだ。
「康介様……分かりました。元より私もあなた以外に頼めないと話を切り出したのですから」
フィーちゃんは深く深呼吸をした後、石畳の上に置かれたジオラマを見つめる。
もちろん俺も考え無しにジオラマをフィーちゃんに渡したわけではない。
きっとこの子なら、これを使って驚くべき光景を見せてくれる。
そんな好奇心が俺の中に渦巻いているのだ。
気を取り直した様子のフィーちゃんが、ゆっくりとジオラマの前に立つ。
そしてもう一度箱の中を見下ろした後、抱えるようにしていた杖を右手で持ち直す。
「ご覧ください。私が旅の中で見出した、想像の魔力を」
杖の先端、赤い宝玉の側をジオラマへと向けるフィーちゃん。
その後彼女は目を閉じ、小声で呪文のようなものをつぶやきながら瞑想の態勢に入る。
最初に魔力の存在を見せてくれた時には行われなかった行動だ。
それだけで、これから特別なことが起きるのだという予感と期待が高まる。
果たして俺は何に首を突っ込んでしまったのか。
二つの世界やその狭間。存在しなかった魔神に勇者の末路。
何も明かされぬ夕暮れの空の下で、その疑問に答えるかのように宝玉が輝く。
一瞬の赤い光が、俺達の周囲を取り囲んだ。
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