さえずる鳥は恋を歌って

夕雪えい

1 晴れの日

 たくさんの人々が訪れ暮らす王都で、このところひときわ話題にのぼる吟遊詩人がいる。

 『七色の声の小夜啼鳥』と呼ばれるその青年は、東の果てからやってきたと噂される。なかなかの美貌で、何より声が良い。どの歌も評判だが、ことさら好評なのは恋の歌だ。長い旅路で見聞きした恋の話を叙情たっぷりに歌い上げると、観客たちは時に手に汗握って聴き入り、時に大いに涙するのだという。



***


「アルヴィン、聞いたぜ。貴族の夜会のお誘いを断ったんだってな」


 酒場の亭主に話を振られ、吟遊詩人の小夜啼鳥その人、アルヴィンは微苦笑を返した。


「奥方からのお招きだったんだけど、何かと面倒ごとの多そうな家でね」

「面倒だあ? 一度で良いからそんなセリフ言ってみたいぜ」

「僕は恋の噂話を歌うがわで、歌われるがわじゃないんだよ。変に気に入られても旅に出づらくなるだけだしね」

「まったく、恋の歌で有名な吟遊詩人とは思えない冷めっぷりだぜ」



 呆れられてもあいまいな微笑を返すのみだ。


 アルヴィンは、歌うことを生業とする吟遊詩人だ。

 特に旅で仕入れた今昔の恋の話の幅は広く、語りも上手い彼の歌は人々によく受け入れられている。


 しかしアルヴィン自身が恋多き男かと言うと、それが全くそうではない。

 引く手はあまたある。

 それでもなんと言うか、気が向かない。遊びでも良いではないかと言われることもあるが、恋は遊びでするものではないだろうと思う。

 恋の歌が歌えるのだから、色恋にも器用だろうと言われもするが、そんなことは決してないのだ。


 それに恋人がいないことは身軽なことでもある。

言い訳に聞こえるかもしれないが、世界を旅して回るために、その身軽さはそう悪いことではなかった。


「『恋はまるで空模様。晴れあり、曇りや、時には嵐も』」


 今日も愛用のリュートをかき鳴らしながら、慣れた歌い出しの言葉を連ねる。

 歌はこう続く。


「『人はにわか雨に降られるように、恋に落ちる』」


 お決まりのフレーズだった。

 そんな歌詞の意味を噛みしめるように実感することになったのは、アルヴィンが王都に来てしばらくが経ってからのことだった。




 その日、アルヴィンは商店の通りに足を運んでいた。

 王都の商店街は賑やかで広大だ。その通りの外れにある小さなパン屋が、美味いらしい。

 アルヴィンが定宿にしている酒場にパンを卸している店で、味が気に入ったと伝えたら酒場の亭主が店を教えてくれたのだ。

 小さな店のドアを開き、なんの気もなしに足を踏み入れる。


「いらっしゃいませ!」


 鈴を転がすような澄んだ声がかけられた。

 店のカウンターに立っていたのは、鈍い金色の髪を三つ編みでまとめあげ、エプロンをした若い娘。


「パンをいくらか求めて行っても構わないかい?」

「もちろんです、そこの棚がオススメですよ、さっき焼きあがったばかりなんです。さあお好きなものをどうぞ!」


 気持ちの良い笑顔を向けられれば、悪い気持ちにはならない。

 アルヴィンがパンを選んでいる間も、彼女は忙しく立ち回っている。

 見るからに気立ての良さそうな、いわゆる看板娘なのだろう。ずば抜けて器量良しというわけではないが、誰にでも好かれそうな可愛い娘だった。

 選び終えたパンを包みながら、彼女は笑顔でアルヴィンに話しかけてくる。


「お客さんは、楽士さんですか? 立派なリュートですね」

「吟遊詩人なんだ。今はカーティスの酒場で歌ってるよ」

「カーティスさんのところの詩人さんですか。ひょっとして、うちのパンを美味しいって言ってくれた?」

「ああ、そうなんだ。それでこの場所を聞いて、王都にいるうちにぜひ買いに来なくちゃと思って」

「嬉しいなあ! 毎日パン焼いてる母も喜びますよ」


 それは他愛のない雑談話だった。

 だがいつの間にか、くるくると表情を変える彼女から目が離せなくなっていた。


 極めつけは瞳だった。

 ハシバミ色の大きな瞳が、喜色に染まって細められる。その度に、アルヴィンは瞳に吸い込まれそうな錯覚を感じたのだ。

 初めての感覚にへどもどしながらも話を続けていると、ふと彼女がアルヴィンにこう切り出した。


「あたし、ブリジットって言います。詩人さんのお名前を聞いても良いですか? せっかくのご縁ですし、今度歌を聞きに行きたいから」

「そう言えば名乗ってなかったな、失礼。アルヴィンって言うんだ」

「えっ! 『七色の声の小夜啼鳥』! 有名な詩人さんなのに、あたしったら気安くしちゃって……すみません」

「いや、ただの吟遊詩人だから……気にしないで、ええとブリジットさん」

「ブリジットで良いですよ」

「……ブリジット」


 名前で呼ぶと、彼女のハシバミ色の目が親しげに細められる。

 素朴な笑顔を見て、あの歌のフレーズが胸のうちに再生されたのだ。


――人はにわか雨に降られるように、恋に落ちる。


 今まで確かに歌ってはきたものの、まさか自分がそうなるとは。

 アルヴィンは、恋に落ちたのだ。

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