第7話 貴族の青年・ゼファ
「なんでついてくるのだ」
「だってこの街は厳重警戒中なんだろ? 下手に動けねえし、他に行くところもねえ。だからお前についていく」
「はあ? 貴様は何を言ってる」
ついてくるシエナに嫌悪感を抱く青年だが、当のシエナは大真面目だった。それにここまでシエナにあっけらかんに言われてしまっては、返す言葉が見つからなかったらしい。青年は呆れたように深くため息をついた。
「ついてくるのは勝手だが、邪魔だけはするなよ」
「任せとけって」
シエナは親指を立てながらニッと笑う。
そんな彼の対応を見ていると拍子抜けするのか、青年はガシガシと頭を掻いた。
「それと、今から俺がやることは他言無用だ。いいな?」
「安心しな。告げ口できる相手がいねえ」
「……そうか」
少し不安そうな青年だが、もう考えることをやめたのか、もう一度息をつくとまた歩き出す。そんな青年をシエナは「待てよ」と呼びとめた。
「お前、名前は?」
そこで青年はようやく自分が名乗っていないことに気づいたようだった。
「……ゼファ・フィルン・セレスト。ゼファでいい」
そう答えたゼファに、シエナは「了解」と歯を見せて笑った。
「……で? これからどこへ行くんだ?」
頭の上で腕を組みながらシエナはゼファに尋ねる。だが、ゼファは何も答えない。
「おい、ゼファってば」
もう一度訪ねるが、ゼファは口を噤んだままだった。代わりにスッと塀を指す。
「塀の向こう側だ」
「向こう側って……何しに?」
「貴様には関係ない」
「チッ。つれないねえ」
しかし、今はゼファについていくことしか手立てがないシエナはこれ以上訊かなかった。
「やれやれ」と息をつきながら、ひとまずゼファの後についていく。
ゼファは塀にペタペタと手をつきながらゆっくりと歩いていた。まるで塀の材質をじっくりと見比べているようだった。彼が一体何を選定しているのかシエナにはわからなかったが、やがてゼファは「よし」と呟いて立ちどまった。
「おいお前……メイズって言ったか?」
「シエナでいいよ」
「わかった。じゃあ、シエナ……ちょっと息をとめていろ」
「は!?」
何を言っているのだと思ったが、ゼファは本気のようだ。
「見張りがいないか音で探るのだ。貴様の呼吸音ですら邪魔だ。今だけ死んでもらいたい」
「おいおい、マジかよ……というか、さらっと物騒なこと言うなよ」
他にも色々とツッコミを入れたかったシエナだが、ゼファが「早くしろ」というので渋々息をとめた。
その横でゼファは静かに目を閉じる。集中しているのか、その後のゼファがピクリとも動かなかった。けれどもこれで音など聞けるのか。ゼファを疑るシエナだが、今はただ息をとめて見守るしかない。
吹き抜ける風がゼファの結んだ長髪を靡かせる。
風はしばらく吹いていたが、やがて何事もなかったかのようにピタリとやんだ。そしてゼファは風の声を聞き終わったかのようにそっと目を開ける。
「……もういいぞ」
「ぷはっ!」
ゼファの声と同時にシエナは声をあげて息を吐いた。
「あー……本気で死ぬかと思った。お前、確認する時間が長いんだよ」
「それは悪かった。だが、喜べ。見張りはいない」
そう言いながらゼファはニヤリと笑う。その企んだ笑みにたまらず悪寒が走り、シエナの頬が引きつる。
「何……泥棒でもするの?」
「そうだな……似たようなものだ」
「なんだよそれ。散々人を不審者扱いしておいて……」
不貞腐れるシエナを見て、ゼファは「ククッ」と短く笑う。しかし、その笑顔もすぐになくなり、真面目な表情でじっと塀を見つめた。
「時間はない。来い、シエナ」
ゼファは反対側の塀の端まで移動すると、構えるように腰を落とした。そしてそこから一気に助走をつけ、塀に向かって駆け出す。
あまりに突然のことでシエナも言葉を失った。
塀に向かって走ったと思ったゼファがそのまま壁を蹴って塀の上まで駆け上がって登ったからだ。しかもこの短い助走で、少なく見積もっても二、三メートルはあるこの塀の上まで、だ。彼の身軽さと並外れた身体能力の高さにシエナは開いた口が塞がらなかった。
「何してるんだ。早く登ってこい」
「いや! 無理だから!」
涼しい顔で塀の天辺から見下ろすゼファにシエナは思わずツッコミを入れる。
そんなシエナにゼファは「仕方がない」と隠すように腰ベルトに装備していたロープを取り出した。そのロープの先端には爪があり、ゼファは爪を塀の縁につけるとロープをシエナのほうへと垂らした。
「そんな便利なものがあるなら最初からそれ使えよ」
「飛んだほうが早いだろ。常識的に」
「お前の常識で言うなし」
呆れるシエナだが、手は自然とそのロープに伸びていた。
「手間をかけさせやがる」
素直じゃないシエナにゼファはぼやくが、口元は微かに笑っていた。
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